第6回 『ペール・ギュント』読書会ノート

                    2021年3月27日(土)14:00~16:15

                            オンライン開催、参加者11名

 

    第6回ノルウェー読書会 ペール・ギュント

    ヘンリック・イプセン作、毛利三彌訳(論創社、2006年)

 

前半では、オンライン読書会のメリットを活かして、イプセンが友人の作曲家グリーグに依頼した上演のための付帯音楽『ペール・ギュント』(独唱あり、合唱ありのスケールの大きな管弦楽;1876年)を聴きながら、井上勢津さん(ノルウェー政府認定音楽療法士)が、1幕から5幕までの劇詩の流れにそって構成を丁寧に紹介し、曲の持っている意味、使われている楽器の特性(ハーディングフェーレの共鳴弦が調弦できる)など、音楽家ならではの解説がありました。以下、後半のやりとりの中で出された意見を紹介します。

 

ペール・ギュント』が詩として書かれているので、韻などもあって翻訳するのは難しい面があること、また、音楽としてみると『ペール・ギュント』は面白いこと、例えば、第2幕7場、闇の中でペールが「おまえは誰だ?」と問うて「声」が「おのれ自ら」「くねくね入道」と答えるシーン(38頁)では、トロンボーンが「声」を合図するというように、楽器との関連がみられるところなど。

 

民話や民俗音楽の要素が取り入れられて、ロマンティシズムが漂う作品になっているが、実は第二次シュレスウィヒ・ホルスタイン戦争(1864年~対プロイセンオーストリア)でデンマークを支持しようとしないノルウェーを、イプセンは口先だけの卑怯な国として、ペールを「いざとなると逃げてしまう情けない人間」として描いている。そうした人間さえも、ソールヴェイによって救われるのがこの作品。

 

第2幕6場のトロルの国ドヴレ王とペールとの会話で、王は、照り輝く大空の下では「人間よ、おのれ自らに徹せよ!」と言うが、われらトロルの間では「トロルよ、おのれ自らに満足せよ!」と言うとして、「“満足なれ”。この力強い言葉を、倅や、生涯の武器となせ!」(32頁)と呼びかける。そして、王の「このお菓子は牝牛の糞、このお茶は牡牛の小便、甘いか酸っぱいかは問題ではない。肝心なのはすべて国産品ということ」に対して、ペールは「国産品なんて糞くらえ!どうせどっかの真似だろう!…人間万事、慣れの世の中」(32頁)と返す。ここのところの“満足せよ”・“慣れ”という箇所が、イプセンがこの戦争で感じたノルウェー人の自分さえ良ければいいという自己中心的な性格を風刺しているのでは?

 

例えば、第4幕13場の「おのれ自らに徹して、…他人の悲しみに涙を流したりしない。他人のことを理解しようともしない。おのれ自ら、考えることも言うことも」(86頁)の箇所なども痛烈だ。

 

さらには、事業に成功したペールが知人たちとの会食の席で「行動する勇気を持つためのコツとはそも何か?…いつでも引き退ることができるように常にうしろに橋を作っておくこと。この理論がわが輩に成功をもたらした。…この理論は故郷の国民性から受け継いでいる」(58頁)という箇所も。また、「生まれはノルウェー人。しかし、育ちはコスモポリタン。…アメリカからは資本主義、ドイツからは観念…ユダヤ人の吝嗇、イタリアからは甘い生活…」(60頁)など。そして、「問題は資本だ!…世界中の資本家に…投資をつのる」(69~70頁)という箇所では、「お金」ではなく「資本」という言葉が使われている。ちなみに、マルクス資本論』第1巻が出版されたのも、『ペール・ギュント』と同じ1867年。

 

なお、「最低のヤンキーかぶれ」(62頁)の「ヤンキー」という用語は、イプセンの原著にもあり、日本では1904年に初めて使われている(日本国語大辞典)ことを確認するなど、物語だけではなく翻訳された単語にも話題が広がった。

 

「いまどきこんな立派なおっ母は、どこの村探したっていやしねえ」と言いつつ、「折檻したり、歌うたったり。礼をいうよ」(53頁)の箇所で、「折檻」という強い語気の単語は、ノルウェー語ではお尻ペンペンしつつ子守歌を歌うほどの意味合いか? というように謎が解けたのも、参加者が原文に当たったりノルウェー語の辞書を引いたりした成果である。

 

第4幕6場で、アニトラがペールについて、「彼の人の乗り物は、ミルク河のように白いお馬」(71頁)と言っているところで、“ミルクのように白い“という表現は性的なものをイメージさせる。第6~8場(70~78頁)では、そうした性的なものを感じさせる表現が続いている。

 

ペールを30年も待ち続けたソールヴェイは、ただ優しいだけの人間ではなく、信仰の中にある神聖な愛を秘めた強い人間ではなかったか? 「ソールヴェイの歌」を歌うときには、“決然として”歌わないと最後まで歌が続かない。やはり信仰を持つ強い女性ではないか!

 

物語の結末でペールは安息の眠り(=死)についたのか? それとも、ペールは快復して物語は続き、ソールヴェイはペールを「許す」というより「受け入れ」、尻に敷いたのではないか? 「おっ母、女房、けがれのない女―!」(121頁)の解釈を巡っても、一人の女性のなかの3側面か? それとも物語全体で、無償の愛・信仰の女(ペールの母オーセ、最後までペールを待つソールヴェイ)、家族という社会的責任を持つ女(ドヴレ王の娘、結婚式で略奪されたイングリ)、欲望の対象(山の女、アニトラ)を描き分けたのか? をめぐって意見が噴出した。


「おまえをあやし、見守ってあげる」(121頁)という結末は、男のエゴイズムをあらわす侮辱的な女性像としてのソールヴェイというカミラ・コレットの批判(訳者あとがき、124頁)の妥当性は? なお、近年の上演では、「自分探し」がテーマになっていることが多い。

 

以上、論点は多岐にわたりました。「このとっちらかった物語に、まとまりのある音楽を付けたグリーグはすごい!」との声もあり、今回の読書会はまとまらないということで、楽しい時間を終えました。また、今回は、早朝6時起きでノルウェーからの参加もありました。(掛)

 

【参考】「劇音楽《ペールギュント》全曲」は、下記のCDで入手することができる。

グリーグ管弦楽曲全集」オーレ・クリスティアン・ルード指揮、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、Bis:7318591440421(8枚組)

グリーグ「劇音楽《ペール・ギュント》全曲」パーヴォ・ヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団、Dg:4775433(2枚組)

グリーグ「劇音楽《ペール・ギュント》全曲」ヘリムート・フロシャウアー指揮、ケルンWDR放送管弦楽団、Capriccio:C60110(2枚組)                                                                                                                           

 【作者紹介】ヘンリック・イプセン

1828年生、1906年没。ノルウェーの劇作家。近代劇の父と呼ばれる。前期の二大劇詩『ブラン』『ペール・ギュント』で北欧随一の詩人とされたが、その後の社会問題劇『人形の家』『ゆうれい』『人民の敵』で世界的な作家となる。つづいて『野がも』『ロスメルスホルム』『海の夫人』『ヘッダ・ガブラー』で、近代リアリズム劇の基盤を確立し、晩年は、『棟梁ソルネス』『小さなエイヨルフ』など、象徴性を帯びた作品を書いた。<奥付より>

 

【訳者紹介】毛利 三彌(もうり みつや)

1937年生。成城大学名誉教授。東京大学文学部卒業、カリフォルニア大学大学院演劇科修士課程修了。ノルウェー学士院会員。日本演劇学会会長(1996~2005年)。著書に『イプセンの劇的否定性―前期作品の研究』(白鳳社、1977年)、『北欧演劇論』(東海大学出版会、1980年)、『イプセン戯曲選集―現代劇全作品』(東海大学出版会、1997年)など。