第18回『ノルゲ Norge』読書会ノート

佐伯一麦著『ノルゲ Norge』

講談社文芸文庫、2015年

 

■はじめに

今回の課題本『ノルゲ Norge』は、当時38歳だった著者の佐伯一麦氏が、再婚相手で染色工芸家である妻のノルウェー留学に同行し、北欧の地で過ごした一年間を、小説家の視点で綴った作品です。ノルウェー語はもとより、英語もままならない「オスロの外国人」と自身を位置づけた日常の描写には、短期滞在の観光とは異なる、現地に住む生活者としての気づきにあふれています。定住者だから見えてくるもの、発見できることが、丹念な文章でタペストリーを織り上げていくように、少しずつ読む者の目の前に広がります。2007年第60回野間文芸賞受賞作。

 

著者が過ごした1997年と同時期に複数年留学していた方、著者と同年代で家族と半年間在外研究で滞在された方、スウェーデンに留学経験のある方もいれば、ムンク研究のために今年初めてノルウェーを訪れた方、ノルウェーの民族楽器ハーディングフィーレを習いはじめ、今夏に山間の村で行われた音楽祭に行かれた方など、読書会参加者それぞれが小説に出てくる場面に自分の体験を重ねて記憶が蘇り、懐かしさや、共感を口にされ、和やかな雰囲気で読書会がスタートしました。

 

ノルウェーの外国人、「おれ」

『ノルゲ Norge』は全12章。8月のある日、妻の留学先の美術大学の学生課から斡旋された老朽化した8階建てのアパートメントの入り口で、その日から使うマットレスが配達されるのを待つ場面から始まります。著者は一人称の「おれ」で自分を語り、自己をさらけ出すように物語が語られます。住民が出入りする共同玄関で、彼らの言葉を聞き取ろうとしても、知っている言葉にしか聞こえないもどかしさ、物語冒頭から始まる著者が感じた言葉の壁に、参加者からも「言葉を理解できないまま異国の地に住む状況になったら、きっとこうなるのかという気持ちになった」という共感とともに、「言葉の通じなさはあったが、現地の人は温かく、解ろうと一生懸命聞いてくれる姿勢が嬉しかった」「言葉を理解しようとするだけに、鳥の啼き声や暖房器具のモータなど、音に対して敏感な描写がある」など、音に関する感想も随所であがりました。確かに著者の聴力は人並み以上に敏感で、帰国間近には、日本にはいない鳥の啼き声も聞き分けることができてしまうのです。

 

ノルウェーでの暮らし方

電車の乗り方、無賃乗車の取締り、お酒の買い方、酒場での禁止事項、魚の種類、伝統料理の感想、一日の食事の回数、ハンバーガーの食べ方、コインランドリーの料金、役所での外国人登録医療保険、失業率対策のための学制改正、国民高等学校制度、離婚制度、ノルウェー独立に至る歴史等々、ノルウェーに住むなかで著者が体験したこと、知ったことが、丁寧に書かれています。参加者からはその度に、「スーパーでは通常夜8時まで、休日の前は夕方5時になると酒類の売り場にカーテンがひかれて買えなくなった」「カフェに隣接するコインランドリーが割高だった」「バスを1停留所乗り越したらスマホに赤表示がでた」「スマホがないと交通機関の利用ができない」「無賃乗車のチェックが頻繁にはいり、リアルタイムでスマホの画面をみせた」「山間部ではドクターヘリで患者を運ぶらしい」「食事は一日中少しずつ、ずっと食べ続けている印象がある」「ノルウェー人は同じものが食事にでても飽きないらしい」「東京の人口を教えたら驚かれた」「街の規模が小さいためか知り合いが多い国だ」など、新しい情報も次々に提供されました。

 

■小説家としての視点

作品の中で、音に関する繊細な描写と同様に目を引いたのが、色の表現の卓越した豊かさです。小説家と染色工芸家の芸術家カップルということもあり、相互の刺激が感じられます。それは、タペストリーの作品描写や、ノルウェーの四季の自然描写、さらにはタペストリーをもとに詩編として表現した作品や、ムンク「叫び」の背景色など、様々な箇所で登場します。今年初めてノルウェーに行かれた方たちからも、「ノルウェーの空の色は青や紫など、誇張ではなく、本当に色鮮やかだった」という感想が聞かれました。「空気の澄んだノルウェー」だからこそ、日本では感じない色も沢山あるのでしょう。

多様性という点では、妻の級友に紹介されて通った外国人向けの無料のノルウェー語学校の場面でも、世界中のあらゆる国の人々が登場します。授業で行われるワークショップの様子や、成人学生たちの個性が語られ、単なる制度の紹介にとどまらない、内側からノルウェー社会を観察する作家の視点があります。

妻は、「ノルウェーの移民政策は、個々の文化を尊重しながら同化を求めるのが基本」であり、「ノルウェー語を習うことは権利と共に義務」であると級友からの情報を著者に伝えます。著者は、「この国が、社会人や主婦にも大学教育の門戸を開けていることは事実だが、それを享受するためには、どうやらタフでなければ自分のやりたいことは実現できないようだとおれは痛感」しますが、それは他の場面にも共通するノルウェー人の考え方です。妻の別の友人は、他者とのコミュニケーションがうまくとれない子供の一時保育をしていますが、その仕事に誇りを持っていて「これはボランティアではない」と言い切りますし、ボロボロのアパートメントを見たタクシーの運転手は、自分がオスロ市にこの建物が非常に危険な状態であることを通報してやると言います。

一方でノルウェー人はシャイなところがあって、共通の友人、知人、同郷の人から人間関係をつなげていく「知り合いの多い国」であると紹介し、「ノルウェー人は自己満足が強い」とか、「ノルウェー人はまだまだ隣人の成功をうらやみ嫉妬するところがある」等、マイナス面を語ることも忘れません。

 

■夫婦の空気感

 夫婦二人で過ごす異国での1年間の滞在記ですが、妻との会話は彼女の友人の話や、ノルウェーで生活するうえでの情報など、差しさわりのない会話にとどまります。私小説であることからすれば違和感すら感じますが、読み込んでいくと、最初の連れ合いとの関係を赤裸々に小説化したことで、離婚に至った内容も書かれています。そこまで書くとは、まさに私小説だ!との感想もあがりました。新しい伴侶となった今の妻とは、感情的な会話や生活の様子などの描写はなく、芸術家同士、相手を尊重し踏み込まない配慮も感じられるほど透明な空気が漂う関係です。それは決して冷たい空気ではないことも、巻末の詳細な著者年譜には度々妻の動向も書かれていることに伺われます。

 染色工芸家の妻が「『織り』は経と緯の二本の糸で構成させるのに対して、『編み』は一本の糸だけで平面を生み出す。一度進んだら後戻りできない『織り』と、もう一度ほどいて再構成することもできる『編み』。『織りの人生』というものがあるのならば、『編みの人生』というものもある」と言った場面に感じる、妻とのどこか俯瞰的な関係性がこの小説の特徴といえるかもしれません。

 

■スズキ・メソッド、聞きなし、ルビ

滞在当時のノルウェーではバイオリンの教育方法のひとつ、スズキ・メソッドが注目されていて、著者が妻の級友から、スズキ・メソッドを知っているかと聞かれる場面があります。読書会に音楽の専門家が参加されていることから、日本人とノルウェー人の聴覚の話題になりました。楽譜を見ないで音で覚えて弾くこの方法は、ノルウェーの民族楽器ハーディングフィーレの教授方法とも共通点があるそうです。楽譜はなく、師匠の口伝で覚えていくのです。耳から入った音を、音として表現することに秀でたノルウェーの人たちと、鳥の啼き声を音としてではなく、言葉に置き換える(聞きなし)私たち日本人との違いも面白い発見でした。

 さらに、文中に出てくるルビにも話題が及びます。著者は日本語に英語のルビ、ノルウェー語に日本語のルビ、日本語にノルウェー語のルビなど、ルビの独特の使い方をされており、このルビが混在した状況を、「初期のころ、日本語、英語、ノルウェー語が頭の中で言語的にごちゃごちゃになっている感じが懐かしい」といわれる参加者もありました。その混とんとした状態が、著者の中で整理され、「身体の内側からノルウェーを感じていく」過程が読み進むうちに伝わってきます。日本語にノルウェー語のルビが振られた題名『ノルゲ Norge』も、実は、著者の内側から発せられた言葉、第12章「ノルゲ!」の伏線になっているのでしょうか。

 

■もどかしさから再生へ 『ノルゲ Norge』の魅力

 最後になりましたが、参加者の感想から、この本の魅力を感じてください。

「北欧を知りたい人はこの本を読むと情報がたくさんあって主人公とともにオスロの冬を体験した気分になれる」

「同じような経験をしていたにも関わらず、一冊の本としてこれだけまとまる人もいれば、ただ過ごして、ああ楽しかったなという私」

「モデム回線のことや、巻末のご自身の経歴など、記憶が詳細ですごい、こだわりの方、記録魔なんだなと」

「少しずつノルウェーに馴染んでいく著者の目を通して、読者も少しずつノルウェーへの理解を深めていく時間の流れを感じる」

「ヴェーソスの作品の試訳を本の中に実際に載せたり、本当に作家としての日常生活を記録されているような感じがした。著者がオスロで、日々自分を磨いておられたような、その一部を見るような気がした」

「この人は、知らないことを書いていない。経験していないことを書いていない。知らないことを背伸びして書いたりしていない。知ってること、経験したことだけが書かれているのがすごく面白い。それが私小説の醍醐味なのかなって」

 

 言葉が通じないまま異国での生活が始まり、「留学生の妻にのこのこついてきた夫」という不安定な立場から、著者は自分の存在意義を自問自答し、同じく生きている意味を問いながら最後は入水自殺した作家・太宰治と対比する場面があります。

著者の感じた「けっして物事そのものにはたどりつけないもどかしさ」についても、「もどかしさは今もずっとあり続けていて、知りえないからこそ面白いということがあるのだと思う。それが異文化であることは当然で、日本人同士だってわかり得ない。本来は違うはずなのに分かり合えたりするところもあったりして、それが面白い。昔のことでありながら今のことのような気がする」という参加者の感想もありました。

 最後、小説冒頭でも登場した蜂が、開け放した窓から入り込んで著者の頬を掠め、再び窓の外へ飛んでいきます。この冬おススメの一冊です。ノルゲ!          (弘)