第15回『声なき叫び 「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』読書会ノート

ファリダ・アフマディ著/石谷尚子訳 『声なき叫び 「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』2020年,花伝社 Tause skrik / Silent Screams

 

京都の会場とオンライン参加と、あわせて9名の読書会となりました。大学4年生から定年退職して3年目という方まで幅広い年齢層でしたが、みなさん『声なき叫び』は今回初めて読んだということでした。

この本は、アフガニスタン出身のファリダ・アフマディが、亡命先のノルウェーで執筆した修士論文を書籍化したものです。カブール大学で医学を学んだのち、アフガニスタン民主化運動に身を投じていたアフマディは、2度の投獄と拷問に遭い、1991年に、5ヶ月の娘を連れてパキスタン経由でノルウェーに亡命しました。40代半ばごろ、アフガニスタンにいる女性の厳しい現実を書き記そうと、オスロ大学で人類学を学び始めます。医学生時代に会ったアフガニスタンの女性たちは、身体の不調と痛みを訴えており、それは占領や戦争、貧困、原理主義的な宗教、知識や現代的な医療の不足などが原因でした。ところが、オスロに暮らすマイノリティ女性たちも大勢、同じ症状を抱えていることに気付きます。

〈人の本当の気持ちを理解するには、良い聞き手になることだ。これを目標に、私はオスロのマイノリティ女性の健康調査を始めた。出発点は体の痛みだった。しかしそこで見えてきたのは、精神的、日常的、社会的、経済的な問題の深い穴だった。それと同時に、所属意識を持てないのは、私生活でも社会生活でも認めてもらえない不満に関係していることがわかった。彼女たちはどこかに所属したがっていた!〉(p.250) 

痛みの調査結果から見えてきたのは、マイノリティ女性個人の問題ではなく、著者は「本質を見よ、それは社会構造だ」と繰り返します。研究論文を基にした、難しい内容ではありましたが、読書会での話題は多岐にわたりました。ここではとくに興味深かったトピックスを中心にまとめたいと思います。

 

■最初の感想

「出版されたときから気にはなっていた本。今回読むことができてよかった」「自主的に選ぶ本ではなかったけれども、これを機会に」などの声が複数ありました。読み始めるには気合の要る本だったようです。それでも「過去のノルウェー読書会で一番読み応えのある本」という感想も出ました。「ノルウェー人と関わりがあってもなかなか話題に出ないテーマ。ノルウェー社会を知る上で興味深い読書体験。多文化主義の裏にある実際の経験が描かれていた」「宗教や文化が差別につながるということを知った。イスラム教などについてもっと勉強が必要と感じた」といった感想もありました。

また、福祉先進国のノルウェーで?という方もありました。「移民、難民の生の声が重く、こうした厳しい生活をしている人がいることに驚いた。福祉の進んだ良い国という印象だったが、まったく知らない部分があった。痛みを抱えて生きる移民女性の存在など、日本のメディアからだけではわからないことがある」。ノルウェー社会についての厳しい批判も書かれていますが、それでもやはり「ノルウェーをまったく知らない人が読めば、ノルウェーはここに描かれているような国なんだと思うかもしれないが、その奥に、ノルウェーでさえ、こんな問題があり、これからもっと考えていかないといけないのだ、というメッセージが込められている本」ということばが印象的でした。

 

■日本人には見えにくいノルウェーの状況

ノルウェーでの滞在経験のある参加者のみなさんは、いつでも帰国できる立場にあり、家族も含めて嫌な思いをすることなくノルウェーで暮らしていたとのこと。この本には、短期滞在では見えてこない、移民・難民の状況が描かれているようです。

「3年半ほどの滞在中、オスロ在住で外国人パートナーのいる日本人に、”あなたが付き合っているのは高学歴の人たちばかりで、ノルウェーの真実が見えていない“と言われたことがあったが、この本を読み、こういうことだったのかと思った」

「留学中はいつでも帰国できるパスポートがあり、辛ければ帰る選択肢もあった。この本とはまったく違う生活環境で、差別を受けた経験もないが、マイノリティとしての痛みは感じていた。それをもっと知りたいと思って読書会に参加した」

「計3年間ノルウェーにいたが、この本を読んで、マイノリティの女性の声が拾われていないことがわかった。出版当時の2008年ごろと、その10年後の滞在だったが、その間、状況にそれほど変化はなく、いまも変わっていない」

「1994年、人口8500人の小さな町に家族と住んでいた。地元紙が大きく取り上げてくれ、子どもたちは地元の学校に通い、家族も大事にしてもらった。そのころ、進歩党は国会に1議席しかなかった。その後、右派が勢力を伸ばし、ノルウェー社会も大きく変わっていったことは、情報としては知っているが、体験してはいない。以来十数回訪問し、ノルウェーには計1年ほど滞在して調査したが、十分知らない社会状況が描かれていた」

 

■『声なき叫び』というタイトル

タイトルについては、〈文化が根本的に違うという考え方が政策に取り入れられると、マイノリティ女性は自分の暮らしぶりを受け入れざるを得なくなるし、マジョリティの側にいる人達はマイノリティ女性の文化や宗教を非難するようになってしまう。そうするとマイノリティ女性は、公の場でもプライベートでも自分が抱える痛みを口にしなくなる。それが、本書のタイトルを『声なき叫び』にした最も大きな理由〉(p.28)とあります。読書会では、痛みを認めてもらえない一方で、マイノリティ女性たちがノルウェーの制度をうまく使いこなせていなかった、という指摘がありました。女性たちが自分の問題を夫に相談したという記述がなく、家庭内でも共有できていなかったことが、外の社会に向かうときにも影響を及ぼし、“声なき”状況になったのでは?という意見でした。

ノルウェーは、恵まれない人だけでなく、全員のための福祉を築き、ノルウェー人は誇りをもってそれを使っている。ただし、だれでもその仕組みに放り込めば勝手に幸せになるのではない。子どものころからの教育を通して、自分のことは自分で決め、家族や先生に自分の意見をきちんと言い、18歳になったら自立する、という前提で成り立っているのが北欧の福祉。したがって、幸福度の高い高福祉国家に連れてきたら、だれもが幸せになれるというものではない」

 

■制度があっても救われない

p.197〜199には、戦争が原因でアフガニスタンを出て、ノルウェーに来ざるをえなかった元教師ショゴファの困難が語られています。ショゴファは、無理解を示す社会福祉事務所で激高し、戦禍を嘆いて訴えますが、対応する若いケースワーカーは、ショゴファに〈私は戦争のことを知らないの〉と言って、精神科の受診を勧めます。クライアントに寄り添う「戦争のことを知らなくてごめんね」ではなく、「私は知らない」と言い切ることに衝撃を受けた、という方もありました。

社会福祉事務所とは、社会経済的に困難な状況にいる人々がより良い生活ができるように手助けをする目的で作られた組織〉(p.207)ですが、〈社会福祉事務所は問題を解決するよりも悪化させるだけの組織であると言う。“社会福祉事務所には行きたくありません。あそこに行くと、どっと苦しくなるんです”〉(p.213)という記述があります。社会福祉を教えてきた方からは、なぜこういうことが起きているのか考えさせられる、という発言がありました。日本でも介護保険などの制度化が進み、保険料を納めればだれもが使えるようになりました。しかし、標準化とマニュアル化によって、個別の事情は考慮されにくくなり、物事は決められた通りに進められ、一律的な対応が行なわれるようになります。

ケン・ローチの映画(『わたしは、ダニエル・ブレイク』2016年)でも描かれていたが、社会福祉事務所は本来の働きができておらず、やる気のある職員は上司に叱られてよい仕事ができない状況。この本がノルウェーでの状況をはっきり示せたのは、やはり当事者だからこそ」

なにか困ったことがあると、「スマホで調べたら? 〇〇に聞きに行けば?」とアドバイスしがちですが、「PCやスマホを使いこなせない人や、ことばにハンディのある人には操作も難しい。情報へのアクセスが難しい人は大変だろうなと思った」と、高齢のご家族のことを思いながら話す方もありました。

ノルウェー語を話すと、“30年ノルウェーに暮らしていながら、ノルウェー語が話せない人がいるのに、日本人のあなたはえらい”と褒めてくれるノルウェー人が多い。私もこの本を読むまでは、自分の意思でノルウェー語を学んでいない人がたくさんいると認識していた」というコメントもありました。ノルウェーでは、勉強できる制度は整っているのにその情報を得られないだけでなく、家庭の事情でそこに到達できない人もいる。外国人について、そこまで想像が追いつかない現状は、日本も同じです。

 

■それでも“聞かれざる声に耳を傾ける”

ノルウェー音楽療法に詳しい方からは、“コミュニティ音楽療法”の考え方が紹介されました。ノルウェーでは、問題はクライアント本人にあるのではなく、周りとの関係性の問題ととらえ、周辺の人を巻き込んで解決していくのが主流。それを象徴するのが“聞かれざる声に耳を傾ける”という表現で、それが音楽療法士の仕事なのだそうです。この「聞かれざる声」こそ、まさに「声なき叫び」。実際にノルウェーでは移民・難民も音楽療法のクライアントで、中西部内陸の難民収容施設でのセッションで出会った子どもたちの眼が忘れられない、とのことでした。

「怒りというか、不安を抱えた、よそで見たことのない眼。ドイツ語、英語ができ、ノルウェー語も半年でペラペラ。この本にはノルウェー語がうまく使えない大人のことが描かれていたが、あの子たちはことばを身に付けなければ生きていけないんだなと、あのとき心に刻まれた」

「もうすぐ定年を迎える、音楽療法の恩師は、“まだやめられない。なぜならノルウェー社会にはまだまだ不公平さがあるからだ。それに取り組まなければならない”と言っていた。日本人からすれば、あんなに整った国なのに、なかにいる人にしてみたら、あるいはそういうことに対して感度の鋭い人にしてみたら、まだまだすべきことがあると映るんだなと思った」

 

多文化主義と同化主義

「フランスは同化主義を取っていて、ノルウェー多文化主義とは違うということはわかったが、制度についてもうひとつイメージが湧きにくい」という声がありました。『声なき叫び』がノルウェーで出版された2008年ごろは、ヨーロッパ中で移民問題が注目され、ノルウェーでも国内外の移民・難民の問題が取り上げられていました。その少し前、2004年から2008年までフランスでの留学経験がある方から、当時のフランスの様子をうかがいました。

シラクからサルコジ政権に変わり、外国人に厳しい政策が取られるようになった。大学改革が続き、留学生の学費も倍増。フランスで叩き込まれたのは、多文化主義に相当するコミュニタリズムは絶対に許されないということ。フランスでは、それぞれの国の出身者によるコミュニティを作らせない。フランスに来た人はみな、自由・平等・博愛の原則に基づき、フランス人なのだ、と。イスラム教徒のスカーフもキリスト教の十字架のペンダントも、宗教的なシンボルは学校では禁止。宗教を中心に生きてきたムスリムの人には抵抗もあるだろうし、家庭の内と外とでギャップも生まれる。結果的には、スラム化した地域にコミュニティができてしまっていた。外国人にとって、フランスはなんて厳しいんだ、と毎年思っていた。その後ノルウェーに来て、マイノリティにとって住みやすい社会という印象を受けたが、フランスとの対比で思い込んでいた節もある」

日本でもノルウェーでも多文化主義はよいもので、「違いを尊重するのはいいことなんじゃないの?」と考えます。ところが著者は、〈かけがえのない一人の人間としてではなく、民族や国籍や宗教で区分けしたグループの単なるメンバーとして捉えられる移民女性たち〉(カバー袖)が宗教的グループでは自分の問題を解決することができず、家父長的な考え方に抑圧され、さらに声を失くしていく過程を説明します。多文化主義に対する日本的な考え方と著者の考え方の違いをよく自覚しておかないと、この本の問題提起は理解しにくい、というアドバイスがありました。

 

■本質は社会構造

兵器産業や戦争を続けることで儲けるグローバル経済の構造。ノルウェーから建設費を得て建てられるノルウェー国内のモスクは、そこに集まる利用者の数によって活動補助金が増えていく構造です。モスクは人をさらに獲得しようとし、そこで保守的な家父長制が再生産され、問題は文化の違いということに収斂していきます。性器切除や名誉殺人ばかりにマスコミが注目することで、構造的な差別の仕組が明らかにならず、マイノリティ女性の痛みはいつまでも解決されないのだ、と著者は断じています。

 

■無職の痛み

「田舎の町でノルウェー語教室に通っていたときの話。タイで非常に優秀な医師だった人が、ノルウェーでは医師として働けず、高校からやり直して、いま助手を務めているということだった。そこを乗り越えていく力がないと、自分の国でどんなにいい仕事に就いていても難しいんだなと思った」

これは参加者のひとりがノルウェーで出会った移民の話ですが、p.212に〈無職の痛み〉という表現が出てきます。故郷では、高等教育を受け、社会に役立つ仕事をしていたのに、ノルウェーではその能力が一切認められず、社会の負担になりなくないと考えているのに、「職なし」として扱われる辛さ。無職では自信や自尊心をもてず、無力感に陥ります。マイノリティの多くは、その仕事に意義が見いだせずとも、与えられた仕事は受け入れなければならないと無理し、心身に不調と痛みをきたします。能力に応じた就労を叶えることが、女性の心身の健康に繋がっていくと著者は述べます。

また、著者は、極右政党の〈進歩党が“我々の福祉”と言い〉(p.206)、メディアが移民を〈福祉のサービスを奪っていく存在〉(p.95)として描くことの問題を指摘します。ノルウェーにはいざというときに頼ることのできる制度が整っていますが、マイノリティに就労を保証できなければ、その人たちを敵視される立場に追いやることになります。就労を阻む原因、ノルウェー人がしたがらない仕事を移民が担っている現実が伝わっていないことも問題視しています。

 

■“私たちにできることは、”を考えさせられる本

最後に、読書会の感想をみなさんからうかがいました。いくつかご紹介して、今回のまとめとしたいと思います。  

「この本は、世界の抱える諸問題を考えるときのひとつの視座を提供している。当事者として説得力があり、問題の根本を掴んでいると思った」

「留学生と関わることが多い。グループの一員としてではなく、一人の人として付き合っていくということをもっと意識し、考えていかないといけないと思った」

「〈人の本当の気持ちを理解するには、よい聞き手になることだ〉とあるが、よい聞き手になるのは簡単ではない。日本人だからこう、男だから、何歳だからこう、というフィルターをかけがちだが、そういうフィルターを外すことがよい聞き手になる一番の方法かなと思う。そういう意味でも、自分の北欧に対するフィルターを外してくれる本だった」

「外国籍の人に介護職に就いてもらうための介護研修に関わっている。研修に来てくれるのは、ことばも情報収集もできる優秀な人たちだと改めて実感した。研修を終えて修了証書を手にするとき、みなさん、涙を流される。介護の資格を取って日本の介護分野で働きたいといって来てくれることをもっと真摯に受け止めたい。自分の仕事への向き合い方に影響を与える読書体験だった」

「なにかがうまくいかないとき、“文化が違う”とか、“あなたたちの文化を尊重します”とよく言うが、本当に尊重しているのか、自覚的にならないといけない。いまの時代、自分とは前提条件が違うものや人との出会い方を学んでおかないと、なかなか“文化の違い”の先には進めない。そこで傷付き、ストレスを受けた経験が自分にもある。難民の境遇となれば、健康を害するほどの痛みになっていることは容易に想像がつく。これからの自分のテーマにしたい」

ウクライナのことではないが、日本語版に向けてのあとがきに、2020年の時点で、もう第三次世界大戦は始まっている、わたしたちにできることは行動を起こすこと、と書かれている。やっぱり自分の行動を変えていくのが大切だと思った。ノルウェーで生活した方の話もあって興味深かった」  (千)

                                     

■次回の予告

第16回ノルウェー読書会 2023年5月20日(土)14:00〜16:00

ペール・ペッテルソン 著 西田英恵 訳 『馬を盗みに』

白水社,2010年,2,300円+税