第10回 『グリーグ』読書会ノート

グリーグ』 ウエンディ・トンプソン 著/新井 朋子 訳(偕成社、1999)

 

 今回のノルウェー読書会では、偕成社の伝記シリーズ「世界の作曲家」の10番『グリーグ』を取り上げました。課題図書を手に取って私が最初に思ったのは、「同じ題名の違う図書を取り寄せてしまったかな?」ということでした。というのも、装丁や中のレイアウトが小学校の図書室で読んだような雰囲気のものだったからです。少し大きめの文字とたくさんの脚注、ページをめくれば本文の合間にカラー写真やイラストが掲載されています。大人向けの方が当然詳しく書かれたものがあるだろうという先入観がありましたが、意外なことに、実はグリーグの伝記というものは日本であまり出ていないのだとか(他はもっとページ数も多くて専門的なものになってしまうそうです)。グリーグの一生を追うにはきっと一番わかりやすいだろうということで、この図書が選ばれました。有名な音楽家なら生涯をつづったものも多く存在しそうですが、その理由も読書会の中で参加者の方から教えていただきました。今回は、ピアニストの方やノルウェー人ピアニストのファンの方、日本グリーグ協会からの参加者もいらして、音楽の専門的なお話も聞けるのかなと、楽しみな予感で始まった第10回でした。

 

 今日の主役、グリーグは1843年にノルウェーのベルゲンで生まれました。名前は聞いたことがあるけれど、神童と呼ばれていたモーツァルトのエピソードや耳が聞こえなくなったベートーヴェンの話などは何となく知っていても、さてグリーグってどんな人…?という方が多いのではないでしょうか。

 私の最初の印象とも関連しますが、参加者の皆さんからも今回の図書については、「子供向けとはいえ、コンパクトにまとめられており、またノルウェーの文化がわかる写真やイラストも豊富でよく理解できた。」という感想が出ていました。この「ノルウェーの文化」というのも今回の読書会での一つポイントとなったところかなと思います。

 今回の課題図書は外国のシリーズが訳されたものということで、外国での評価と日本の評価の違いも面白さとしてあったようです。色々な方向からノルウェーを知りたい、というご意見もありました。

 冒頭に書いた日本であまりグリーグについての図書が出ていない理由ですが、日本では交響曲が少ないと評価が低いのだそうです。グリーグが唯一残した「交響曲ハ短調」はライプツィヒ音楽院を卒業した後に移り住んだコペンハーゲンで、ネールス・ガーデの助言に従って完成させたものでしたが、本人は気に入らず楽譜に「この曲の演奏を禁じる」と書き込んだほどだったようです。作曲家なら交響曲を!という考えが当時からあったようですが、グリーグは「ソナタ弦楽四重奏曲などの大がかりな曲よりも、ノルウェーの素朴な民謡集からヒントを得て曲を作るほうを好むように」(72ページ)なります。本の中でも書かれているように、彼は作曲家というだけでなく演奏家、指揮者など多くの役割がありましたので、なかなか大きな曲を作曲する時間が取れなかったということもあったのかもしれません。

 グリーグの作品は、テクニカルの面では平易でも、「どう」弾いたらよいかが難しいことがあるそうです。たとえばノルウェーの夏を知らないと、湿度の低いすがすがしい感じだったり、白夜の幻想的な雰囲気だったりを演奏に反映させることは難しいでしょう。その土地を知らないと、その空気を知らないと、その文化を知らないと、ノルウェー人を知らないと…というように、本の中でもクリストファー・パーマーの次のような言葉が紹介されています。「グリーグの得たインスピレーションを味わいたいなら…もう一度、すばらしいノルウェーの景色、山々、フィヨルドに目を向けなさい」(138ページ)。

 ただ、「楽譜にこう弾きなさい、という指示はないのか?」という質問も参加者からあがりました。それはもちろん書いてあるのですが、やはり実際に演奏するには十分ではないのかもしれません。本の中でも、パリで出会った19歳のモーリス・ラベルがグリーグの舞踊曲を演奏した際に、リズムをもっと強調するようにアドバイスされている場面が書かれています。「フィドル奏者が、足でリズムをとりながら伴奏したり、農民たちが踊っているのを、実際に見てみるべきだね」(143ページ)。

 この伝記では、グリーグの人のよさもよく描かれていました。彼は愛娘を一歳の時に亡くすという悲劇に見舞われていますが、何人もの素晴らしい友人が、彼の明るい性格と音楽に対する真摯な態度を好んでいます。人生の後半で、子どもほどに年の離れた若い友人もできているという記述に、参加者からは驚きとともに音楽家としてのグリーグの魅力所以であろうとの感想も出ていました。

 進行役によれば、グリーグは「謙虚で等身大」な人ということでした。自分はバッハやモーツァルトにはなれないことをよく理解しており、自分の能力より大きなことをするのをよしとしない、よりよく見えるような形を望まない人物だったのではないでしょうか。抒情小品集も、自分のことをつづっている「日記」なのだそうです。

 「朝(朝の気分)」などはみな学校で聴いているし、現代でもCMなどでよく耳にします。メロディは知っているけれど、それを作った作曲家名とは結びついてないということなのでしょう。「10大作曲家」といった表現にグリーグはなかなか入れてもらえないし、グリーグの研究者も少ないそうです。とはいえ、認知度は少しずつ上がってきていて、卒演や卒論で取り上げられたりもしているとのことで、書籍も今後増えるといいなあ、というお話もありました。

 30代にもなるとグリーグはもうすっかり成功した音楽家に見えましたが、有名になれば批判も付き物です。19世紀の後半、新しい音楽がパリで次々に出てくる中、「ペール・ギュント」のようなメロディのはっきりした「わかりやすい」音楽は古いとみなされることもあったようです。例えば、サティやドビュッシーは新しいことをやっているのに、いつまでもロマンティックなものは甘いというような。

 ノルウェーのような小国の作曲家は、自国の音楽が持つ音階やリズムを取り入れたいという思いがあるようです。グリーグ民族音楽は深く結びついていますが、民族音楽は芸術と認められていなかったので評価が低かったのかもしれません。民族音楽を取り入れる派と取り入れない派とがあるようで、取り入れている作曲家といっても、シベリウスバルトークは評価が高いのですが、それは彼らが直接的にはそれとわからないような取り入れ方をして民族性を表しているからだそうです。反対に、グリーグは直球の取り入れ方をしていますが、それは元がどんなものかを知っている、わくわくできるという、そもそもの立ち位置、つまりは楽しみ方の違いからきているようです。交響曲を書かなくても、今、彼の名前が音楽史上に残っているということは、成功しているという証なのでしょう。

 グリーグイプセンの友人関係にも感想が出ていました。活躍する分野が違うので、年齢差があってもただ尊敬するという対象ではなく親しくなれたのではないか、ということでした。戯曲「ペール・ギュント」という作品はノルウェーらしさを少し揶揄するような内容ですが、「ペール・ギュント」が成功したことで結果としてノルウェー民族音楽の地位が高まったそうです。民族音楽でしか表せない場面も多く出てきます。

 今回の本ではグリーグの私生活のことなどに踏み込んだ記述もあり、そのあたりにも参加者の関心が集まっていました。また、日本グリーグ協会の方からは明らかに間違っている表記が何点かあるとのご指摘もありました。25ページにあるグリーグの生家についての紹介で、写真の家が彼の生家のように書かれていますが既に焼失してしまっており、この場所にあった、というのが本当のようです。ライプツィヒに向かった月も少し違いがあるそう。また、91ページに「民族楽器のハルダンゲル・フィドルの演奏をまねた」とありますが、本来ハルダンゲル・フィドルで演奏するようスコアには書いてあり、それが用意できない場合にバイオリンで演奏されるようです。もう一か所、同じページに「スプリングダンス」とあるのも「スプリンガル」(三拍子の踊り)としてほしいという意見もありました。                                                                                                                       

 本文の中で、グリーグは神経の細やかな指揮者だったと書いてあります。批判的なドビュッシーでさえ、グリーグの指揮に「どんな微妙な違いも見逃さず音楽を豊かに表現している」(61ページ)と敬意を表していたのです。この図書を読んでいて何度か出てきた言葉の一つに、「転機」やそれに似たような意味のものがありました。私はそうやって、人生の中の転機を意識できるというのは、1曲の中で様々な要素を意識しなければならない指揮者ならではの特性なのかなと思い、自らの進むべき方向やその時々の戦略をしっかり決めていける人という印象を持っていたのですが、グリーグについて詳しい参加者からは、やはり彼は迷いながら音楽を作っていったのだろうとのことでした。つまり、グリーグは生きているうちに名声を得てはいたが自分は大作曲家にはなれないことは理解しており、それでも挑戦していく中で民族音楽という表現に出あえたのだろうというお話でした。

 グリーグに限りませんが、音楽を聴いて得られる感動というのは、それが人生のように始まりから終わりに向かって流れているということ、そして人生では長く引き伸ばされている時間も1曲の中では凝縮されているので、物悲しさだったり喜びだったりが自分たちの日常生活よりもドラマティックに感じられることからくるのかなと思っています。

 今回はグリーグの一生を追いましたが、この本の巻末にはグリーグの年譜も付いています。彼の死後から100年以上経った現代の私たちから見ても十分成功した人生だと思いますが、それでもつらい経験や達成できなかったことなどもあるでしょう。晩年のグリーグは、作った曲は有名になり、広く人々に受けいれられているものの、音楽そのものを評価してもらいたくても人気だけが先行していくことに不満を感じていました。「この貧弱な肩に、とてつもなく大きな荷物を背負っているのです――それは、理想の音楽を追求するという仕事です。でも、目的のある人生はすばらしい。よろこんで犠牲をはらおう。輝くばかりの喜びにつつまれる瞬間も経験できるのだから」(129ページ)という言葉が本文中にありましたが、迷いながらも信念があるからこそ、振り返った時に一つの曲のように起伏が鮮やかなのかと感じた今回の読書会でした。(野)

 

 第6回で取り上げた『ペール・ギュント』の紹介もあわせてご覧ください。