第11回 『氷の城』読書会ノート

『氷の城』 タリアイ・ヴェーソス 著 / 朝田千惠、アンネ・ランデ・ペータス 訳(国書刊行会、2022)

ヴェーソスとローマで拾ってきた猫 当日のPower Pointより

 はじめに

今回の「ノルウェー読書会」は、世話人メンバーの朝田千惠さんと、主にイプセンなどの戯曲の翻訳をされているアンネ・ランデ・ペータスさんの共訳で、20世紀ノルウェーを代表する作家タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』を取り上げ、Zoom を使った「講演会」形式で、多くの方に参加いただけるようにしました。当日は、訳者のアンネさんと朝田さんの絶妙なやりとりに、国書刊行会編集者の伊藤昂大さんも加わった拡大版読書会になり、とても充実した内容の会になりました(会場とZoomあわせて42名の参加)。

 

1.タリアイ・ヴェーソスについて

 著者のタリアイ・ヴェーソス(1897~1970年)は、テレマルク県内陸のヴィニエ市で生まれました。同じくテレマルク県出身のヘンリック・イプセン(1828~1906年)は、県庁所在地で都会の港町、シェーエン市で生まれています。

*なお、ヴェーソスとイプセンの関連について、アンネさんによると、ヴェーソスは時代的にもイプセンやヨナス・リーなどを好んで読んでいたようですが、他の作家の作品を取り込んだり、文学的知識を自分の作品に示したりするようなタイプではなかったとのことです。

ヴィニエの観光サイトより

ヴェーソス農場 Photo by Anne Lande Peters

 ヴェーソスは、ノルウェーの自然豊かな田舎を舞台に、孤独や不安といった根源的で普遍的な人間の感情を平易な文体で描き、独特な神秘の世界へと誘う作品を手掛けたとされています。アンネさんは、ヴェーソスの生家を訪問した時の写真を映しながら、ヴィニエの一番高い場所にある農場を長男タリアイが継がないで弟に任せたこと、作家のハルディスと結婚して息子と娘、二人の子どもをもうけたこと(ちなみに、娘のグーリさんとアンネさんは旧知で、最近も一緒にヴェーソスの代表作『鳥』の舞台を一緒に観に行ったり、翻訳上の疑問点に回答してもらったりしています)、ヴェーソスの仕事部屋には当時、最高級とされていたレミントン社製のタイプライターが置かれてあったことなどを紹介しました。娘のグーリさんは、ヴェーソスは「言葉で説明する(telling)のではなくて、描写する(showing)ことで語る」という話を何度もされたそうです。

 

娘のグーリさん Photo by Anne Lande Peters

 なお、2022年は、ヴェーソスの生誕125周年に当たります。ヴェーソスの作品が世界でどれぐらい翻訳されているか、NORLA(ノルウェー文学海外普及協会)が助成した件数で調べると、この18年間で26カ国語61件あったそうです(トップ3は、ジョージア14作品、フランス9作品、ドイツ5作品)。作品では、『氷の城』が18カ国語、『鳥』が16カ国語です(ちなみに、日本語は国書刊行会から「タリアイ・ヴェーソス コレクション」として出版される『氷の城』『鳥』『風』の3作品)。

 

2.ニーノシュクとブークモール

 ノルウェー語の文語には、「ニーノシュク」と「ブークモール」の2種類がありますが、ヴェーソスの作品はニーノシュクで書かれています。ノルウェーは、14世紀以降統治されてきたデンマークから1814年に独立してスウェーデン連合王国になりますが、91年後の1905年にスウェーデンから独立するまでに民族主義意識が強まります。1800年代、人口の90%を占める農民や漁民は方言を話していましたが、10%の上流階級はデンマーク語を使っていました。そうしたなかで、後に「ノルウェー語の父」と呼ばれたイーヴァル・オーセン(1813~96)が各地の方言を基に新しいノルウェー語を生み出しました(1848年に文法書、1850~73年に辞書)。オーセンは、「我が国が本当の民主主義を手にするためには、農民や漁師も政治に参加できなければならない。そのためには、誰もが使える国民の言葉がなければいけない」と考えたからでした。

当日のPPTより

 その後の「言語論争」を経て、1885年にデンマーク語の影響の強い「ブークモール」と新たに生まれた「ニーノシュク」は平等であると承認され、1901年にはニーノシュクの綴り方が標準化されました。しかし1913年、ヴェーソス15歳の時にはまだ、ニーノシュクを使う「ノルウェー劇場」で、反ニーノシュク派との乱闘事件も起きています。現在NRK(ノルウェー放送協会)では、25%の番組をニーノシュクで放送していますし、小・中・高の学校教育では両方を学び、どちらの書き言葉を主とするかは生徒が選ぶことになっています。自治体への問い合わせも、質問と同じ書き言葉で返事が来ます。現代ノルウェーの著名な作家ヨン・フォッセも、ニーノシュクを使っています。

 

3.『氷の城』について

 舞台になったノルウェーの冬は暗くても、子どもたちはライトをつけて外で遊ぶこと、凍った滝の様子や、鏡のような氷にひびが入るときの「氷の割れる音」など、この本の背景が紹介されました。https://youtu.be/Cnv7KzVAAZ4

暗いなか登校し、遊ぶ、冬の子どもたち 

凍った滝の様子

鏡のように凍った湖にひびが走る 

 編集者の伊藤さんは、『氷の城』がきわめて繊細で美しい物語であること、淡々としたごく簡潔な言葉により描写を積み重ねるなかで静謐な象徴性と幻想性を感じさせ、独特の神秘的な世界へ誘う作品であるだけでなく、言葉にしづらい「人と人との関わり方(コミュニケーション)」の過程を精緻に描ききっているところに「機微への気づき」があって思わずため息が出ると、その魅力を語りました(詳しくは国書刊行会のホームページ、伊藤さんのnote「<人間の孤独と不安を繊細に描いた、20世紀最高の作家>タリアイ・ヴェーソスについて」を参照ください https://note.com/kokushokankokai/n/ndc9939ba3ac6)。

 刊行までの裏話として、ノルウェー語の公用語でも少数派の「ニーノシュク」を訳せる人が探せるのかという不安はあったが、「ノルウェー夢ネット」の運営者で翻訳家の青木順子さんからの紹介で朝田さんとアンネさんへ繋がったことなど、小規模な国ならではの稀有な出会い(人脈)が重なってコレクション3冊の刊行に至ったことを話されました。

 また、この本の装幀にも話は及び、表紙カバーの装画は、朝田さんが惚れ込んでいるノルウェーの画家アイナル・シグスタードさんにお願いし、日本語版『氷の城』のために描き下ろしてもらったものです。カバーの用紙や配色、カバーを外した表紙のデザインも雪の結晶のようで美しく、手触りまでも凝った仕上げになっています。

 

4.シスとウン

 作品に出てくる人名はシスとウンの二人だけ、ノルウェーの地名も出てこないので、物語に集中できること、最小限の情報で物語が進んでいくことが特徴です。

 ちなみに、「シスSiss」はSisselやCecileに近く、伝統的な古い名前(「(悪が)見えない」の意。人気のピークは1959年、現在10,163人)、また、「ウンUnn」やUnniは少し都会風の名前(「最も愛された」の意で、人気のピークは『氷の城』出版の翌年1964年で、現在1,347人)とのこと。

 

5.訳した時の苦労と工夫

(1)翻訳を進めるなかで、ヴェーソスのスタイルとしての「枠組み」に気付いたとのこと。同じ描写が繰り返される部分があり、文字通りに訳すと日本語では奇妙に感じられるため、戯曲のト書きのように訳出したり、少しずつことばを変えたりする必要がありました。例えば135~6ページにある、「木立の中でシスはしゃがみ込んでしまった」「シスは突然、木々の中でへたり込んでしまったのである」「シスはしゃがみ込んでいた」という箇所がこれに当たります。「枠組み」であると気付くまでは繰り返しの意味がわかりませんでしたが、遠景から近景、引きから寄りの映像という具合に描写しているのがヴェーソスのスタイルだとわかりました。

 

(2)作中では音を表す名詞や動詞が多用されていますが、日本語のオノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)は安易に使わない努力をしたこと、使う場合はできるだけひらがなを用いた(カタカナは悪目立ち、子どもっぽい文章の印象を与えるので)、という話がありました。「オノマトペの国」といえる日本と違って、ノルウェー語にはオノマトペはそれほど多くありませんが、原作で用いられていた数少ないオノマトペeit plim-plam(ポタン、ピシャ)をあげ、96ページのひらがな表記《ぽたりぽたり》《ぴしゃ》(地の文)と104ページのカタカナ表記《ポタン、ピシャ》(音楽的な箇所)の印象の違いを確認しました。高くて音楽的な音の特別感をカタカナで表したのは日本語の表記の豊かさあってこそ、というお話でした。

 

(3)苦労した点として、雪や寒さを表すことばのほか、自然の描写が多いので、日本語にしにくい馴染みのない地形を表すことばが多いことがあげられました。例えば、「os」は、英語ではmouth(of a river),outlet ですが、日本語では「(川が海や湖に注ぐ)河口」「(湖から流れ出る)川、水路」とされています。これは「湖から川に注ぎ込むところ」と訳してあります。また、「redsle-stupet」は、直訳すると「恐怖の急斜面」ですが、「急斜面だ。ぞっとする」と訳されています。最終的に訳語を決めるまでには、日常的に使う単語か専門用語なのか、それに対応する日本語があるのか、地元の琵琶湖にヒントはないか調べてみたりしたそうです。

 

(4)登場人物の口調については作品が書かれた1960年代の子どもを意識し、例えば担任の先生に対しては日本よりも友だち感覚に近い口調です。豊かな家庭のシスの母親に対し、年配のウンのおばさんは少し田舎臭い、シスの母親とは違う口調になっています。シスからおばさんに対する返事の「ja」も、流れからニュアンスを読み取って、「はい」(緊張感、不安、打ち解けなさ)と「うん」(親しみ、安心)に訳し分けたことなど、自然な日本語にするために共訳で相談できたことが良かったと強調されました。朝田さんの友人の10~11歳ぐらいの娘さんも、会ってすぐは少しかしこまっているけれど、打ち解けると口調が変わるという話もありました。

 

(5)「地の文」と「心のなかの台詞」の訳出についても、271ページの「母親」「お母さん」を例に紹介されました。文法的に区別できないところは、共訳だからこそ間違いなく判断できたとのことです。

 

【以下、作品の内容に触れています。詳細を知りたくない方はお読みにならないでください】

おわりに 

(1)共訳について……「翻訳は選択の連続だなぁ」というのが、お二人の率直な感想で、読み込み、調べ尽くしたら、どこかで決定する必要があるとされました。ノルウェー語が出来る日本人と、日本語が話せるノルウェー人、二人でやることがすごく力となったとのことで、「音読」をしながら何度も推敲を重ねたそうです。また、戯曲の翻訳家であるアンネさんとの共訳で、「舞台では言い直しができないので、一読でわかることが大切」(くどくなく、説明的でない、耳で聞いて理解できることばで)ということを学んだそうです。

 

(2)“あのこと”とは?……作品中に、はっきりと書かれていないので、急いで読むと読み飛ばしてしまうかもしれません。ここはウンが抱えているトラウマを匂わせています。奥さんと娘さんがヴェーソスに質問しても、「ぼくはそれがなにか知っているが、それがなにかは言わない」と答えるばかりだったそう。言葉に出来ないと思う気持ちさえ、簡単な言葉で描写しているのが、ヴェーソスの凄さ。「飴を舐めるように、ゆっくり味わって」とのことでした。

 

(3)ふたりはどうして裸になるの?……「レズビアンラブ」と読む人もいますが、これについて娘のグーリさんによると、「ヴェーソスの時代は、いまほどホモセクシャルレズビアンの関係が話題に上がることはなかった。11歳の転校生ウンがシスと絆を深めるなかで、自分の心配していることが自身の身体に見てとれるか確かめたかったのでしょう」ということでした。(掛)

 

*第11回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。