24th ノルウェー読書会のお知らせ『未来のソフィーたちへ 「生きること」の哲学』

24th ノルウェー読書会のお知らせです。

6月28日の第24回読書会は、ヨースタイン・ゴルデル作/柴田さとみ訳(2024、NHK出版)を取り上げます。

1991年執筆の世界的なベストセラー『ソフィーの世界』から30年を経た作家ゴルデルのエッセイです。訳者あとがきによれば、「わたし」という一人称視点がゴルデル本人を指すのは本作がはじめてで、最初はとてもプライベートな感じのする執筆作業だったとのこと。ゴルデル小説がお好きなかたも、ゴルデルを初めて読むかたも、作家の哲学的思考を一緒に辿ってみませんか?

詳細は下のチラシをご覧ください。

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お問合せはこちらまで→ norwaybooks@gmail.com 

 

第23回 ヨン・フォッセ『朝と夕』 読書会ノート

ヨン・フォッセ著   伊達 朱実訳 『朝と夕』 2024年 国書刊行会 2,200円+税

 今回はヨン・フォッセ『朝と夕』の訳者の伊達朱実さんと、進行役にノルウェー語/日本語の翻訳者アンネ・ランデ-ペータスさんをお迎えしての特別回となりました。伊達さんは東京のノルウェー大使館に32年間お勤めになり、ノルウェーやその文化などにもずっと接してこられました。初の翻訳がノーベル文学賞受賞作家の作品で、その大きな挑戦へのきっかけや翻訳作業、作品について深いところまで聞かせていただきました。参加者のお気に入りの箇所や感想も挟みながら、当日の内容をお伝えします。*あらすじに触れています。『朝と夕』未読の方はご注意ください

 ■『朝と夕』について

伊達)『朝と夕』の主人公は西ノルウェーの小さな漁村に住む漁師ヨハネス。その誕生と最期の日の2日間を描いている。誕生の第1部はごく短く、第2部では夢現のなか、時間軸も消え去ったような世界をヨハネスが生と死の狭間を行ったり来たりしながら、少しずつ自分がもう死んでいることを悟っていく。この2日間だけからひとりの人生がすべて見えてくるような物語。題名は、朝が誕生、夕が死を表し、それが繰り返されていく、ということを表しているのだろう。

・『朝と夕』という題名である人物の1日の話かと思っていたら、「誕生と死」とあり、人生の話とわかった。危篤状態で朦朧としていると思っていたら、実はそれでもなかったとは。

 伊達さんの一番好きなところは物語の最後、「さあ、もう振り向くなよヨハネス……もちろんいるよ」(pp. 138-139)、親友ペーテルとともに旅立つ場面です。

伊達)翻訳のきっかけは、ノーベル文学賞発表の約1年前、アンネさんがノルウェー文学好き数人に声をかけ、「ノーベル賞受賞に備え、いまからフォッセについて勉強しよう」と誘ってくださったこと。毎年候補に上がっていることは知っていたが、正直なところ、本当にノーベル文学賞なんて獲れるのかなと思っていた。勧めていただいたこの本を読み、先の所で、心をぎゅっと掴まれた。当時、姉を亡くして間もないころで、本当に暗闇のなかにいる気分だった。「(そこには)好きなものが全部あって、……(マグダ姉さんも)もちろんいるよ」とあり、そこまで訳したいと思った。とにかく自分の心の安定のために、1日1行でもいいから写経のように訳そうと。本当に本になるとは思ってもいなかったが、なんとフォッセがノーベル文学賞を獲り、とんとん拍子で出版が決まった。ちょっと不思議なご縁だった。

■ヨン・フォッセについて

 ヨン・フォッセは2023年ノーベル文学賞を受賞したノルウェー人作家で、2025年、65歳のいま、戯曲40作、小説30作、詩集10冊、エッセイ集5冊、児童書を9作、そして翻訳も手掛ける筆の速い多産の作家です。

アンネ)フォッセは1959年、西海岸スタヴァンゲル近くのハウゲスンで生まれ、ハーダンゲルフィヨルドのストランデバルムで育ち、ベルゲン大学で哲学や文学を学んだ。ベルゲンの観光地ブリュッゲンにはハンザ同盟時代からの建物が立ち並び、小説『三部作』にはこの辺りが出てくる。首都オスロから西に水平移動するとノルウェー第2の都市ベルゲン、その少し南にスタヴァンゲルがある。むかしからこの辺りは漁業や海運業に従事する人が多い。岩場の多い海岸線が西ノルウェーの特徴的な風景。戯曲『名前』にも西ノルウェーの山やゴツゴツした岩場が描かれている。

ノーベル文学賞受賞時の記事で「北海の風景がなければ自分の作品は生まれなかった」と語っていた。私は広島出身だが、瀬戸内海の穏やかな海では絶対に書かれない作品だ。いま長野に暮らし、気候や見える風景で生まれてくるものや性格も変わってくると感じている。

■フォッセ作品について

アンネ)フォッセはベルゲンで初めて劇を観て、実は「演劇はつまらない」と思った。しかし結婚して赤ん坊が生まれ、経済的に苦しかったころ、戯曲は支払いが早いと知り、戯曲ワークショップに参加。サミュエル・ベケットゴドーを待ちながら』は、ふたりの男がだれかをずっと待っているが、結局だれも来ない物語。その反対を行くというアイデアから生まれたのが戯曲『だれか、来る』。みんなから離れ、ずっと自分たちだけ暮らしたいというふたりが「だれか来るかもしれないが、来て欲しくない、来たらどうしよう」と繰り返すシンプルな会話劇。とてもよいものを手にしているのに、だれかがやって来てそれを壊してしまうのでは?と恐れ、次第にふたりの関係が壊れていく。この戯曲は大ヒットし、ドイツやフランスでも大成功を修めた。ところが人前で話すのが苦手なフォッセは酒なしでは舞台挨拶に立てない。戯曲が当たるたびに酒量は増え、2014年、断酒のために戯曲はもう書かないと決意。そうして書いた小説『三部作』がノルウェーでもっとも栄誉ある文学賞を獲った。2023年のノーベル文学賞受賞はおそらく『七部作』を書いたから。才能豊かだがアルコール中毒の芸術家アスレとそのドッペルゲンガーのようなもうひとりのアスレの物語。7章からなる3巻本で、祈りと文学のあいだのようと評される。フォッセ作品で邦訳が出ているのは小説『朝と夕』と『三部作』、戯曲の『だれか、来る』、『名前』、『スザンナ』、『ぼくは風』。日本での初上演は2004年『だれか、来る』で、ほかに『死のバリエーション』(2007)、『スザンナ』(2015)、『ぼくは風』(2024)が上演されている。

■フォッセレクチャーとフォッセプライズ

アンネ)フォッセがノーベル文学賞を受けたあと、ノルウェーはフォッセの名を冠したフォッセレクチャー(フォッセ講演)の設立を決定。毎年世界中から講師を1名選出し、4月にオスロの王宮で講演会を開催する。「私がノーベル文学賞を受賞できたのは、外国語の翻訳者のおかげ。翻訳者への賞と報奨金も同時に渡したい」というフォッセの希望により、フォッセプライズ(フォッセ賞)も設立された。初のフォッセレクチャーは2025年4月24日、フランスの哲学者で神学者のジャン-ルック・マリオンが行なう。120作以上のノルウェー文学作品を訳してきたドイツのヒンリッヒ・シュミッツ-ヘンケルが同日、フォッセプライズを授与される。

■文体と翻訳プロセス

 ノルウェー語にはふたつの書きことばがあります。ひとつはデンマーク語を元としたブークモールBM。そして1800年代のノルウェー独立の機運が高まるなか、ノルウェー各地の方言を標準化して作られたニーノシュクNN。地方で使われることが多く、NNの使用者は現在10-15%ほどです。

アンネ)フォッセの独特な点はNNで書いていること。私も含めNN使用者は、「これが心のことば、私のことば」と感情的になりやすい。フォッセもノーベル文学賞の受賞スピーチのなかでわざわざNNに感謝を述べている。

伊達)ノルウェー語でもNNは詩や歌の歌詞、小説などに向く、とても詩的なことばと言われている。フォッセは多数翻訳もしており、その作業について語ったインタビューは、私の翻訳にとても役立った。「違うことばなのだから、原文と違う色調になるのは当然のこと。例えばBMをNNに訳すだけでも、同じノルウェー語でありながら、すでに違う色調が出ている。大切なのは正しいかどうかに神経を尖らせるよりも、原文の底に流れる音楽を聞き取ること。それを自分なりに編曲するとよい」。そこで私はNNのリズムを日本語に移し替えようとか、鄙びたことばを使っているので方言を使おうとか、そういうことはあまり考えなかった。自分の頭のなかでヨハネスやペーテルのキャラクター設定をし、台詞の雰囲気が小説のなかで一貫するよう心がけた。

・文が切れていないのに驚き、「これはなにかの間違い?」ともう一度読み、あとがきでこういう文体なんだと理解した。変わった文体にも関わらず、ページを繰る手が止まらなかった。

・句点もかぎ括弧もないのに、だれが話しているのがよくわかる。読んでもらうと「〜と言った」が耳に付くが、目で読むと気にならず、語りが聞こえてくる。不思議だった。

伊達)「彼は言った、〜と言った」というのは、実はもっと出てくる。これでもかなり割愛した。フォッセの文章にはこれが散りばめられている。

アンネ)フォッセの文体はずっと句点(ピリオド)なし。これはノルウェー語でもそうで、ノルウェーの読者も「えっ」となる。そこを乗り越え、受け入れると、フォッセのリズムに入っていくことができる。フォッセ作品に流れるリズムを訳すために、伊達さんがした工夫とは?

伊達)フォッセを読んでいると、独り言のような、ひとり芝居のような作品に感じられた。そこで原書も日本語も朗読しながら訳した。また翻訳には正解がなく、ことばの選択で醸し出す雰囲気はずいぶん違う。小さな選択の連なりが最終的に作品になるというのが面白くもあり、難しかった。フォッセはインタビューで「自分は少し古めかしいことばを使うのが好き」と答えている。私もあまりカタカナは使いたくなかったので、たとえばスーツではなく背広、キャップではなく庇帽などとした。ことばには賞味期限というものがあるので、若い読者にとってそれが正解だったのかはわからないが。

・朗読しながら訳したと聞き、この本の読みやすさに納得がいった。カタカナを使わないというのも非常に共感できる。歴史的なことを感じさせるような訳だと思う。

伊達)ノルウェーには男女の差があまりなく、ノルウェー語も女ことばと男ことばの区別はない。ただ日本語では男女同じにすると、女性の台詞がとてもぶっきらぼうに聞こえ、どちらが話しているのか、字面だけではわからなくなる。だが「こうだわ、こうよね」ばかりでは、いまの女性の話し方から乖離してしまう。過剰に女らしくせず、なるべくニュートラルを目指した。第2部終盤で、「俺はシグネの体温を感じた、俺を通り抜けたのだ、俺の中を、とヨハネスは思った、嫌だわ、何かが私の方へ向かって来た、何かが来るのがはっきり見えた、……」(p.118)、こんなふうに視点がパンと切り替わる。ここは女ことばを使うことによって瞬時にシグネに切り替わったと伝わるようにした。またオーライとマルタ夫婦とその孫のシグネとレイフ夫婦は、世代によって夫婦関係も違うと思い、その辺りも口調に少し反映させた。

 フォッセの文章は、フォッセの住んできた地方や風土に根ざしている。小説の場面が自分のなかで具体的にイメージできるよういろいろ試した。漁師をしている中学の同級生を訪ねたり、普連土学園というクエーカー教の学校を出た友人に話を聞いてみたり。アンネさんにはフォッセ特有の表現や西ノルウェーのお年寄りが使う言い回しなど、辞書にもない表現を説明していただいた。またヨハネスの住まい、寝床と台所、母屋と物置小屋の位置関係を図解してもらったり。登場人物の生活や動き、その地の気候、食べているものなど具体的にイメージしていないと、出てくる文章は説得力をもたないのだな、と感じながら訳していた。

 ■死生観

【日本語とNNでの朗読:ヨハネスは、ペーテルに一杯食わされたと思い、……なんなんだ、とヨハネスは思った。なんなんだ。(pp.55-56)】

アンネ)ここは、いたずらで石を投げてみたら、石がその人を通り抜けてしまったという場面。日本人は違和感なく幽霊だと思うのでは? 不思議なことに、ヨン・フォッセはこの点では日本人に似ている。ノルウェーでは、幽霊や死んだ人が私たちのあいだを歩くといった話はあまり聞かない。

伊達)アンネさんからそう聞いて、ヨーロッパではそういうものかと思った。寄せていただいた感想には「この本を読んでよかったのは死が怖くなくなったこと」、「こんなふうに私も死にたい」、「私のときはだれが迎えに来てくれるんだろう」といったコメントが多く、死者と生者の交錯について違和感をもつ人はいなかった。

アンネ)『ぼくは風』と『朝と夕』にはフォッセの死生観がよく見えてくる。実はフォッセの死生観は普通のノルウェー人のものとは違う。ヨーロッパではそこがフォッセのすごいと言われるところなのだけれども、日本では悪く言うとまったく普通で、つまらないように感じられるだろうし、よく言うと、「すごく馴染みがある感じがする」、「実感がある」と受け止められるだろう。

伊達)私も含め、身近な人の死に接した人を励ましたり、慰めたりするところがある。こういう死生観はフォッセの子どものころの臨死体験から来るものだが、フォッセ自身は「(人は死後、)広々としたすごくよいところに行く」と鮮やかに考えていて、あの世とこの世のあいだが説得力をもって書き表されている。それが「そこに行くのだったら私も怖くない」という感想につながっているのだろう。本当に泣いてしまったという人もけっこうあり、実は私自身も訳しながら泣いていた。とてもエモーショナルな、素直に訴えかけてくるものがある。

・フォッセが私の父と同い年なので「ああ、父が死ぬときはこんな感じなんじゃないかな」とか、私が先立った場合「夫がこんなふうに、なにか淡々と過ごせるんじゃないかな」と思ったりした。年齢を超えて理解できるのが不思議。フォッセの描写がまざまざとわかる。

・小児病棟で音楽療法をしており、子どもの死と常に関わっている。あの子たちの死というのはこういうことなのかなと、この本を読みながら思った。

・中年になって老いを体感し、死も意識し始めた。「こういう1日が送れるなら、自分はどこに出没するのかな」と思い、最後は「死は怖くないもの」と感じられた作品で、とても素敵。

■能との共通点

・死の1日の淡々とした書き方に驚く。自分で少しずつ気付いていくというのが斬新。幽霊話や怪談の伝統があり、日本人にはとっつきやすい。それにしてもこの文体で、これだけの確信をもって書くフォッセの勇気がすごい。もはや日本の幽玄の世界に昇華させたものを、ここまでためらいなく簡潔に書き切ったのが魅力。

・アンナと出会うとき、ヨハネスとペーテルが若くなっていた。若いときの自分の姿であり、自分のキラキラしていたときをみんなが共有する。そういうのはたいてい心地よい夏の夜。先ほど幽玄ということばが出たが、能に通じるところがある。日本の古典芸能の能において、死者が私たちに語りかけている場面では、自分の一番輝いていたときのことを話す。また娘シグネと父ヨハネスがすれ違うときに温度差を感じたように、相手の身体を通り抜けるというのも能にある演出。例えば『隅田川』では、母親には亡くなった息子の姿が見えるが、他人には見えない。抱き合おうとすると身体を通り過ぎてしまう。能にはワキとシテという役割があり、現実に生きているお坊さん(ワキ)などは、ほかの人には見えない亡霊(シテ)を見ることができる。ここでは読者がワキだ。2004年のフォッセの舞台でも、所作台に布と柱しか置かれていないなど、能の舞台装置にも似た演出がなされていた。自分が一番輝いていた時間や空間をもう一度みんなに伝えたいという、その思いが伝わってくるこの場面が好きだった。

アンネ)フォッセのミニマリズムお能に似ている。橋掛かりではないが、フォッセと能の関係は研究してみると面白いところだと思う。

ヨハネスが釣りをするとき、ルアーが沈まなくなってしまう(p.32, p.80)。ペーテルは「海にはお前は用済みなんだ」と言うが、これはノルウェーの漁師の言い伝え? 

アンネ)私の知る限り、こういう言い回しはない。フォッセが考えて、この物語に入れたのだと思う。

伊達)私も聞いたことがない。〈用済み〉というのは、やはりヨハネスが亡くなったことを暗示していると感じた。

■聖書とフォッセの宗教観

・「蟹を獲ればあの人は来る、間違いなく来るんだ、と彼は言った/そうだろうな、とヨハネスが言った」(p.105)の部分が好きだった。父を亡くしたときに、プロテスタントの牧師である友人が「キリスト教では死んだらまた会えると考える」と言ってくれてほっとしたことを思い出した。登場人物たちが聖書の名前にちなんでいるのに、神さまを疑っている様子の場面がところどころあった。最後、「間違いなく会える」ということばに安堵した。

アンネ)第2部は蟹の場面も含め、なにか変なことがちょこちょこあり「おかしいな」と読み進めると、ある時点で「もう死んでいるんだ!」と気付くのがとても面白い。漁師にとって魚を釣るというのは生きるためにいちばん重要なことなのに、それができないというのを象徴的に入れている。魚を捕まえるというのは、キリスト教では大きな意味がある。イエス・キリストの弟子には漁師もいたし、〈あなた方も魚を釣るように、人を捕まえなさい〉という聖書の表現もある。

伊達)フォッセはカトリック信者なので、訳すのと並行して、聖書物語なども読んでいたら、「ここも同じだ、ここも似ている」というのが見えてきた。具体的には、パン屑を落とす、石を投げる、髪を切る、はしごを上る、白く塗る、不妊、税金、吐き気など、きりがない。きれいな満天の星を見ているとき、私たちはただ星を眺めているけれども、ある人には星座が見えてくるように、わかる人にはわかる。そんなふうに、読み手に委ねている。ヨハネスとペーテルとヤコブ、この3つの名前はノルウェーによくある名前だが、キリストの愛弟子の名前でもある。ペテロとヨハネは実際に漁師でもあった。キリストとの関係ではたとえば、ペーテルが左に右に傾いでいて倒れそう、腕は外れそうというのは磔のシーンを想起させるし、ヨハネスが海に落ちたときに鈎で引き上げられたから肩に傷があるというのも、十字架に磔にされたキリストがわき腹を槍で突かれたということにリンクしていると思う。キリスト教の要素がたくさん散りばめられ、わかる人にはそれがわかるという小説なのだと思う。

・第1部でオーライがフィドルの曲に神聖を感じる、というところがあった。フィドルは悪魔の音楽と言われていたのでは?

アンネ)むかしパーティーではみんながフィドルに合わせて踊り、飲んで暴れると、「喧嘩や騒動の原因はすべてフィドルにある。だからフィドルは罪の楽器だ」と考えられていた。ノルウェーではとくに優れたフィドル弾きの演奏を「悪魔に取り憑かれているかのよう」と表現し、フィドルは悪魔の楽器と呼ばれた。いまのノルウェーは、そこまで宗教色は濃くないが、フォッセは自分なりの宗教観をもっていて、この小説にもそれが現れている。音楽が大好きで、音楽にこそ神が宿っていると書くことで、いろんな人を怒らせていると思う。

伊達)フォッセは音楽が大好きで、最初は音楽家を目指していた。しかし文学者を目指すことにして音楽を一切やめた。コンサートでバッハのオルガン曲を聴くのは好きらしいが、いまもBGMは嫌っている。『朝と夕』の第2部に、大切にしてきた周りの景色を見渡し、それを見納めのように感じている場面がある。「でも、このすべては俺の内に残る、何かこう、音のように、そうだ俺の内に音みたいに残るのだ」(pp.71-72)。音楽に対する愛が現れているところだと思う。

 ■物語の舞台はいつの設定?

アンネ)この物語には戦争の話も出てこないので、いつの時代の設定なのか、判断がつかないが、おそらく1900代前半かと思う。

伊達)フォッセのおじいさん世代をイメージして訳していた。

・「年金でタバコやコーヒーが買える」(p.48)と、年金の話が出てくる。調べてみると、むかしの年金制度ができたのが1936年と書かれてあった。第2次大戦でドイツ軍に占領される話がまったく出てこないので、そうなると、36年に年金ができて、ナチスに占領される40年までのあいだの話だろうなと思う。ほかにも時代を感じさせるいろんなものが出てくる。例えば、紙巻きタバコやベッド脇の尿瓶。「洗濯機がやって来て、桶で洗わなくて済んだ」(p.38)というのは、60〜70年代の電気洗濯機のことではなく、手回しで撹拌してローラーで絞るタイプのものだろうから、1930年代頃にはあったのかな、など考えながら読んだ。

■装丁とアストルプ

伊達)表紙は担当編集者の田中さんが見つけてくださった、ニコライ・アストルプというノルウェー人画家の絵で、2人の男が手漕ぎの舟に乗っていくのにぴったりの作品。第1部はみすぼらしい漁師の家に子どもが生まれるだけの話だが、私はそこにまるでキリストの誕生のような神聖なものを感じた。それを汲んで、暗いが赤と白と緑と金のクリスマスカラーにしてくださったのだと思う。

・本の装丁が素晴らしく、宝物が届いたような気がした。

・ニコライ・アストルプはムンクの17歳年下で、フィヨルド地方の自然に根ざし、愚直にノルウェーの風俗をもとに描き続けていた画家。北欧では、自然と風景をありのままに見つめるというよりも、一度自分の心を通して自然を見るというムーブメントが生まれていくが、それがひしひしと感じられる画家。

・この表紙の地方に住んでいた。アストルプの絵の道を通って毎週、実習に向かっていたので、懐かしい。

■おわりに−−この作品のもたらすもの 

伊達)第1部でオーライのことばに〈人はただ生まれて死ぬ。それは無のようにも思えるが、実はなにか豊かなものがある。青空はどう? 青々と葉の茂る木々はどう?〉(p.10)と続くところがある。平凡で実直な漁師が生まれ、死んだだけの物語だが、その人生はかけがえなく、尊いのだということを教えてくれる本だと思う。出版後、新聞の書評がたくさん出て、そのお陰で多くの方が手に取ってくださった。個人的に一番うれしかったのは読売新聞の書評で、脚本家、長田育恵さんによるもの。「素朴で神聖、漁師の生死」というタイトルで、「さりげない言葉から人生と肉体が視える。友と日々どんな言葉を交わし肩を並べていたか。実直に生き、為すべきことは為し、為さなかったことはそのままに、ぼちぼち歩きだす後ろ姿が。台詞がまとう息づかいから読者はきっと重ねて思い出すだろう、身近にいる誰かの姿を。…ミニマムな声の奥に深遠がある」。劇作家なだけに、フォッセの真髄まで理解してくださっているように感じた。何気ない一日、私たちのような普通の人の生や人生が神々しく、神聖なものであるということを、ごく自然に受け入れられるようになる。かなり普遍的な生と死を扱っているのだと思う。だからこそ、受け入れてくださる方が多かったのではないだろうか。

アンネ)本当はどの人生も大事で、生きることが大事。どんなに短い人生でも長い人生でも、それは輝いている。死を身近に見るとき、この本は素晴らしい慰めになると思う。そして生まれる前も、亡くなったあとにも、なにかあるという希望をくれる。

・私の方がはるかにすごい人生を送ってきたなと思うぐらい、ヨハネスは本当に普通のおじさんなのに、その人の話がこんなに面白い小説になるということを思い知らされた。

・亡くなった父のことを思い出していた。母(妻)に先立たれて、ずっとひとり暮らしの末に亡くなった。「父もこんなふうに亡くなったのだったらよかった」とほっとした。ノルウェーの漁師と自分の父に共通点はないが、それがすんなり、まるで父のことのように思えたのは、今日のお話を聞いていて、伊達さんの翻訳にすごく工夫があったからだと思った。

・フランスでノルウェー語を学び始めた2006,7年ごろ、「ヨン・フォッセというすごい作家がいるぞ。この作品をぜひ読みなさい」と勧められた。フランス語訳も出ていたし、『だれか、来る』の舞台もあった。いま日本語で読めることの喜びを噛み締めている。また今日のお話で、文字になっているのは氷山の一角、ここに至るまでにその下に膨大なリサーチや知識があったのだと感じた。

・私たちはいろんなことに煩わされ、シンプルには生きられない。生きるということをもうちょっとシンプルに受け止めて、しっかり生きていくのがいいんじゃないかと言われているようだった。

 ここに挙げた感想はほんの一部です。「誕生と死の二部構成とわかって読むと、また違った読み方ができそう」、「1回目と2回目に読んだときの印象が違う」といった声もありました。どうぞみなさんもお試しください。訳者の伊達さんと進行役のアンネさんのお陰で作品の背景にも触れることができ、そしてさまざまな立場のみなさんと感想を共有することで、作品の理解や味わい方がますます深まる読書会となりました。会のあとで、進行役のアンネさんがなんと作家にこの日の様子を伝えてくださいました。最後に、作家ご本人からのお返事を。Det var sterke og rørande reaksjonar på boka. (この本に対する印象的で感動的な反応だ)                  (千)

 

23th ノルウェー読書会のお知らせ『朝と夕』

23th ノルウェー読書会のお知らせです。

2月15日(土)の第23回ノルウェー読書会は、ヨン・フォッセ作/伊達朱実訳『朝と夕 』(2024、国書刊行会)を取り上げます。

 2023年ノーベル文学賞受賞者の作家ヨン・フォッセは、ノルウェー語公式文語ニーノシュクで戯曲に小説、児童文学にエッセイを執筆する多作の作家として知られます。ノーベル賞受賞者の選考に際しては「言葉で表せないものに声を与えた」と評されました。これはいったいどういう意味なのでしょう? 今回は訳者の伊達朱実さん、フォッセにお詳しい翻訳家のアンネ・ランデ・ペータスさんにもご参加いただきます。『朝と夕』を深堀りするこのチャンス、ふるってご参加ください。

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申込みはこちらから→ https://forms.gle/PAecCoY1ZkBkL4gHA

お問合せはこちらまで→ norwaybooks@gmail.com




22th ノルウェー読書会のお知らせ 『野がも』

22th ノルウェー読書会のお知らせです。

12月21日(土)の第22回ノルウェー読書会は、イプセン作/毛利三彌訳『野がも 』(論創社、2024)を取り上げます。

 「近代劇の父」と呼ばれるノルウェーの劇作家ヘンリック・イプセンは、2028年に生誕200年を迎えます。このイプセン・イヤーまでにさまざまなイプセン作品に触れてみませんか。今回は『野がも』を取り上げます。ふるってご参加ください。

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申込みはこちらから→ https://forms.gle/UtPD1qDNPLJXP9Tu7

 

 

第21回 ノルウェー読書会のお知らせ『私はカーリ、64歳で生まれた ー Nowhere's Child 』

21th ノルウェー読書会のお知らせです。

 

9月7日(土)の第20回ノルウェー読書会は、カーリ・ロースヴァル著/速水 望訳『私はカーリ、64歳で生まれたー Nowhere's Child 』(海象社、2021)を取り上げます。

自分の出自を追い続けたあるノルウェーの女性の半生の実話です。「この本を読んで二度と戦争を繰り返してはならないと感じ取ってください」という著者カーリの強い思いが込められています。ご一緒に読んでみませんか。

詳細は下記のチラシをご覧ください。

 

第20回 ヨースタイン・ゴルデル 『カードミステリー』

第20回 ヨースタイン・ゴルデル

カードミステリー』読書会ノート

 

ヨースタイン・ゴルデル著、山内清子訳

カードミステリー~失われた魔法の島~』

徳間書店、1996年、1,500円+税

 

 最初の感想

11人の参加者(対面4人、Zoom7人)のなかには、「『ソフィーの世界』が書かれる前の作品として読んだ」という人をはじめ、「今朝、読み終えたところ」という人、「2回読んだ」という人が4人、「人生初の読書会」という参加者も3人おられました。

今回の課題本は、1991年に世界的ベストセラーとなった『ソフィーの世界』の作者が、その前年1990年に刊行し、ノルウェー批評家連盟賞、ノルウェー文化庁文学賞を受賞した作品です。ある年の夏、12歳の主人公ハンス-トマスは、4歳の時に家出した母親を探して、父親と二人でノルウェーからギリシャまでの大旅行に出かけます。

最初に地図で、ノルウェー国内での位置関係を確認しました。父と息子の自動車の旅の出発点となるアーレンダール(主人公の父親の出身地で、ノルウェー南西部の港町;東アグデル県の県庁所在地)や、国道E18を南下していくときに通るグリムスタ(若きイプセンが働いた薬屋のある街;クヌート・ハムスンが晩年に住んだ)、リレサン(オスロとともに『ソフィーの世界』の舞台になった小さな街;ここで暮らしたという参加者も)、クリスチャンサン(主人公の母親の出身地で、この港から大型フェリーがデンマークに出港する;西アグデル県の県庁所在地)など。

「『ソフィーの世界』は読み切れなかったが、『カードミステリー』は読み終えられた」という人もいれば、同様に「読書会があったので読み切れた」とか、「物語として面白い本を久しぶりに読むことができた」という感想も。また、作品の中で展開する2つの異なる物語について、「文字のフォントが2種類に分かれているので、明朝体で印刷された父と子の行程をたどる“地の文”の部分を先に読んでから、丸ゴシック》で印刷された“トランプのカードの物語”(豆本)を後からまとめて読んだ」という人もいれば、「“地の文”の話はわかりにくかったが、《丸ゴシック》の“豆本”のところが楽しかった」という人もいて、まさに多様!

そのほかには、「梅田の本屋さんで、ゴルデルのサイン本が売れ残っていたので買ったが、本書巻末の著者挨拶文『日本の皆様へ』にあるサインとまったく同じサインだったよ」と語る人もいれば、「52枚のトランプから、このような話が創られるのがすごい!」という感想も出されました。

 

♠ 「ママ」と「お父さん」、そしてファンタジーと現実

まず、「ママに似た人の写真は、ほかのものよりずっといい」(19頁)という箇所について、「ママはまだ自分自身を見つけていないようだ……ママは他の人の真似をしようとしている。かわいそうなママ。ぼくもお父さんもそう思った」ことや、にもかかわらず、お父さんは「ママの写真を寝室の壁に掛けた」の示している意味は?という問いかけがなされました。

それに対しては、「自分自身を見つけること」(=哲学)の重要さを示しているとか、「お父さん」が今もママを愛していることが「ぼく」にも伝わっている(=家族の形成)のではないだろうか、という意見が出されました。

また、ファンタジーとの関わりについては、「豆本の箇所がすき」という声のほかに、「12歳の主人公ハンス-トマスと、39歳の酒飲みのお父さんとの関係性が面白かった」とか、「豆本のなかの“小人”は何も知らず、ジョーカーが真実を暴いていくのに惹かれた」のほかにも、「“出自”と“目覚めること”の関係が興味深かった」や、「翻訳が見事!だけれども、本文中に日本語のままで書かれた通りゃんせ、通りゃんせ”の原文はどうなっているの?」という問い、「父と子の移動シーンの叙述に“生活の匂い”がして、リアリティがある」などの感想が述べられました。

さらに、「ファンタジーであって、ファンタジーでないように思えた」とか、「ファンタジーと現実が、区別されずに展開されているのが特徴的だ」という指摘や、「現実の世界はすっきり完結しているが、ファンタジーの世界は終わっていないように思える」という意見が出されました。なるほど!

さらには、「お父さんはアル中では?」という質問には、「販売時間や曜日による販売制限あるなどノルウェーはお酒に厳しい国なので、ビールはスーパーでも買えても、ワインや、アクアビットなどスピリッツは、国営の酒屋“ヴィーンモノポール”に行かないと購入できないし、値段も高い」、「アーレンダールは、南部の“バイブルベルト”というキリスト教の影響力の強い地域で保守的な地域なのに、お酒を飲むの?」、「アーレンダールの街は、帆船時代の海運で栄えたところで豊かな船主たちもいるし、“柄が悪い”船乗りも多くいたという面もある」などの解説もなされました。

 

♥ 「哲学」の講義

「時の侵食」(262頁)の観念についてのお父さんの長い講義のなかで、「時は先へ進むものじゃないんだよ、……先に進んでいるのは我々で、時を刻んでいるのは我々の時計……時の臼歯の間ですりつぶされるのが我々なんだ」という箇所がわかりにくかったという声がありました。

この点については、その先に書かれている、「考えというのは、流れ去って行かないんだよ……。アテネの哲学者たちは、流され消されてしまわないものもあると考えた」、「おれたちの中には、時がかじることのできないものがある。だから、体は魂の本当の住みかではないんだよ。まわりで流れさって行くものに目を奪われないことが大事」というお父さんの話を受けて、息子が「哲学ってのは、ちょっとやそっとじゃわからないすごいものだということだけはわかった。……この地上に大昔から存在した物の中で、今日残っているのは、ごくわずかなんだろう。だが、人間の考えたことは、今日でも生き続けているんだ」と応えているのが素晴らしいという指摘も(264~5頁)。

ここには、著者の“哲学”についての思い入れがあるように思え、「ソクラテスは当時のアテネでただ一人のジョーカーだった」(266頁)という箇所などもあわせて考えると、この作品は読者に考えさせるファンタジーなのではないかという意見に、一同納得!

 

♣ ドイツ人への“悪口”

お父さんは、ノルウェー女性(母親)が恋をした「ドイツ兵下士官との間に産まれた子ども」として成長した。こうした設定もあってか、167頁にあるドイツ人についての悪口、すなわち「お腹の太ったドイツ人たちはセイウチみたい……焼いたソーセージを食べすぎてあんなに太ったんだ……(太ったドイツ人たちが)たいして意味のあることを考えているとは思えない」の箇所は、厳しい物言いとも思えるけれども、ノルウェーで暮らしたことのある経験者からは、「ドイツ人はキャンピングカーでやってきて、食べ物や飲み物はドイツから持ってくるのでお金を使うこともなく、逆に、ノルウェーの岩まで持って帰る」という話をノルウェーの知人が言うのを何度か聞いたことがあるという発言があり、別の地域で暮らした人からも「ゴミだけ置いて帰る」という同様の話が紹介されました。

また、父子の旅行中に立ち寄ったアルプスのドルフで出会ったパン屋の老人の話から、主人公は老人が自分の祖父であり、「ドルフのパン屋さんが、お父さんの実の父親なんだ」と父親に告げる場面(346頁)があります。半信半疑だった父親も、第二次世界大戦中にドイツ軍がノルウェーに侵攻してきた歴史を思い起こして、ノルウェーに住む自分の母親に電話をしますが、おばあちゃんは突然アルプスのドルフに向けて旅に出た後だった、というカードが予言した未来そのままのドラマティックな展開が入れ込まれています。1944年の夏、17歳だったおばあちゃんが、どんなにドイツ兵下士官に恋い焦がれたかを示すこのエピソードにより、ヒットラーのドイツに占領された歴史を有するという辛い背景から、単なるドイツ人への“悪口”とは少し異なる印象を受けました。

 

 ギリシャと“哲学”と運命をめぐって

ギリシャ人の背が低い」という表現が出てくるが、何か意図はあるの?という問いに対しては、北欧のノルウェー人の平均身長は高いので(男性180㎝、女性170㎝)、それにくらべると南欧ギリシャ人の身長は低いという事実を述べているだけではないかとか、ギリシャは「哲学の生まれた国」として、この本でもっとも尊敬している国ではないかという意見が出されました。ほかにも、美しい奥さんがギリシャでファッションモデルをしているのはなぜ?という問いもありました。

読書会メンバーの一人が作成した「ハンスとお父さんの大旅行ルート」(ノルウェーデンマーク→ドイツ→スイス→イタリア→ギリシャ;欧州自動車道4,110キロ)の地図をみると、「移動が、哲学の伝播の歴史を逆に遡っているので面白かった」という感想や、ギリシャへ向かう途中の「アドリア海を見ながらの旅は美しかった」という経験とか、「ペールギュントの逆」の道行きになっているという指摘もありました。ほかにも、「ノルウェーでは、大学に入ると哲学の授業があるので、言語の壁だけではなく、哲学の素養がないと置いてきぼりにされた感じがした」などの経験談が話されました。

196頁で、お父さんは「アーレンダールの成人学校で哲学史の講義に出席した」とあるように、日本とは違ってノルウェーでは“哲学”が重視されているし、著者のゴルデル自身も高校の哲学教師をしながら『ソフィーの世界』を執筆したことも話題に。

さらに、「人生を生きる上で哲学が役に立つという合意がノルウェーにはある」とか、「人生の捉え方が日本とは違うのでは」という意見をはじめ、「自分は何者で、どこから来たのか?」といった難しい問いに関する「お父さんとの哲学話が自然に描かれている」とい指摘や、「父親の言うことを息子がよく聞いているし、相互に尊重しあっている」ところ(例えば、220頁の「ハンス-トマス。おまえもいつかきっと哲学者になるよ」など)に惹きつけられたという声も。 

また、220頁には、地図を見ていた父親が、「ここ(テーベ)で、オイデュプスが自分の父親を殺したんだ」ということから、「運命のこと」すなわち「家系の因縁」について話そうということになって、18世紀から幾重にも連なるハンス-トマスとお父さんの家系を想起させるとともに、「父親からの自立」がテーマになっている展開のように思えるという感想がありました。

そして、「30年前はこうだったんだ! 今だったら、子どもは後部座席でゲームをしてるし、休憩中にはお父さんはスマホをいじっている」という指摘や、「原著は1990年に書かれているので、“ウィンドウズ95”の発売で世界が繋がる以前に書かれたもの」とか、「最近、フランスで漫画になった『ソフィーの世界』の邦訳では、ソフィーは“スマホ”を持っている!」や、「時代設定すらファンタジーになっている」などの意見が出されました。

ほかにも、「現実がこんなにうまくまとまるのがファンタジー」とか、「古代ギリシャ人たちは、運命に反したことをすれば罰を受けると思っていた」(221頁)とあるが、「哲学の世界では“運命”は否定されるのでは?」という問いかけ、また、「今朝の『朝日新聞』(2024年5月25日)の天声人語に、ドイツ兵と付き合ったフランス女性が戦後丸刈りにされるロバート・キャパの写真のことが書かれていて、この本を読むのは運命ではないかと思った」という話も紹介されました。

 

♠ ノルウェー人について

ノルウェー人には“みなまで言わない”ところがあって、余白を残す人たち。人間関係がさらっとしているところに、リアリティがある」とか、「昔も今も、人柄に差が無いところがあって、ウェットになりすぎないのがノルウェー人らしいところ」という観察のほかに、「ノルウェー人と接することで、ノルウェーという国が好きになった」という人も。

 これらの話題からは、290~91頁にあるジョーカーの語りのところで、「(ハートでもダイヤでもなければ、クラブでもスペードでもない)あっしは自分自身を見つけなければならなかった。……(仲間がいない、仕事もない)あっしは、みんなの仕事を外から見るだけだった。だからこそ、みんなに見えないことが見えるようになった」という自己分析や、「ジョーカー(である自分)は、欠点を持っているからこそ、ずっと深く、ずっとよく見ることができる」だけでなく「あっし自身が見えるんです」、さらには「見ているだけじゃなく……感じることもできるんです」という叙述からも知れるように、《どこにも属さず、自分自身を見つける》→《孤独であるが故に、みんなに見えないことが見える》→《欠点があるから、深く見える》→《見えるだけでなく、感じることができる》という、ノルウェー人がそなえている哲学的な素養(=大自然とともにある個人)のようにも思えるという意見が出されました。

そうだけれど、あっしは「かりそめの生きた人形」なんだとして、「この人形はどこから来たの」と自問を続け、「あっしは生きているんだ」とジョーカーが両手を広げる箇所(291頁)が印象的だったという意見のほか、ここでは、「みんな、天の下の、不思議な物語の世界で生きている」と外からものを見ているので、哲学でもあるしファンタジーでもある感じが伝わってくるという指摘もありました。

 

 考えることと「不思議な人形人間」

「額を集めて考える」(292頁)という箇所にも、いろんな意見が出ました。

ハートのキングからの「どこから来たのか」という問いについてジョーカーは、「一人一人が解いてみる」ことからはじめるほかないのだけれども、「どの人もその謎のごく限られた小さな部分しか解けない」ので、「どんなちっぽけなことを考えるにも、額を集めなきゃならない」としていますが、その原因については美味に誘われて過剰に摂取すると日常の感覚を失ってしまうという不思議な飲み物「プルプルソーダを飲みすぎたせい」とされています。すなわち、「プルプルソーダを飲めば……自分たちが生きていることも考えない」と。同様に、「食べるものに夢中の人は……自分が不思議な人形人間なんだということも忘れる」ので、真実を感じることができないとも。ここでは、ジョーカーは自分が「不思議な人形人間」だとして(292頁)、フローデ老人(地図にない島に漂流し、はじめてトランプのカードたちに出会う;トランプたちのマスター)も「不思議な人形人間」なんだと述べています(293頁)。

すなわち、「人はどこから来たのか」というような根本的な問いは、額を集めて皆で考えるしかないのだけれど、その問いに対して、食べ物や飲み物に夢中で欲にとらわれた人たちには「聞く耳を持つ人」はいなかったと(292頁)。

本文を通じて、「ぼく自身の今の生活と、パン屋のハンスやアルベルトやルートヴィッヒが分け合っているすごい秘密との間に、不思議なつながりがある」(137頁)という提起と、「ドルフでぼくが会ったパン屋の老人は誰」(同)という問いが投げかれられ続けます。

作中、フローデ老人の孫のハンスも時を経て魔法の島に漂流しますが、のちにジョーカーとともに島を脱出してアーレンダールの帆船に救助されてマルセイユへ着きます。そして、ジョーカーと別れた後、たまたまドルフにやって来て、「あまりにも不思議なことを経験したから、残りの生涯はそのことを考えて過ごすことになるだろう」と思っていたところに、ドルフにはパン屋がなかったことから、幼い頃リューベックで父親のパン屋の見習いをしていた経験を活かし、ドルフに落ち着くことにしたのだというのです(311~12頁)。

主人公ハンス-トマスにお父さんは、「たった1本の偶然の鎖が、3~40億年の間一度も切れないでいる。……おかげで、おれは、夢のような幸せを感じている」(140頁)と言って、「不幸なものは生まれてないから、不幸なものはいない」(141頁)と悟ったように語ります。そうして、人には「一番不思議なことが見えていないんだ。――つまり、この世が“ある”ということがね」とささやきます。つまり、「自分の足元に広がるこの謎に満ちた神の創造物を見ようとしない。おれは、この世は、偶然ではないと思っているよ」というメッセージを発しています(142頁)。

「偶然ではない」ことを強調するこうした展開からは、<ファンタジーと現実>という対立ではなくて“不思議さ”を強調している作品ではないかという意見が出され、みなさんなるほどと賛同されました。

 

♣ <世の中=生きること>に慣れるということ

「私たち人間は生きるというとても不思議なことに、慣れっこになってしまっている」という大きな問いかけをして、「私たちは、自分が存在しているということを当たり前のことだと思ってしまう。そして、そのことを考えないまま、この世を立ち去ってしまう」と述べています(352頁)。その前段では、「子どものうちは、自分の周りをゆっくり見る能力があった。けれど、世の中に慣れてしまう。成長するということは、感覚の経験に酔ってしまうことなのかもしれない」とも(350頁)。

この「酔ってしまう」ということに関係しているのがプルプルソーダ。本文中では、「もしあの不思議な飲み物を飲み続けていたら、今のこの経験はだんだん消えていって、とうとうすっかりなくなってしまうだろう」ということで、「人生で初めて、人間とは何であるかがわかった」としています(350頁)。さらには、フローデ老人(オットーの父で1790年に地図にない島に漂流;トランプたちのマスター)とジョーカーが、魔法の島の小人たちと違って「プルプルソーダを飲むのをやめたことが勝利につながった」とも記されています(351頁)。お酒が好きな人にとっては、頭の痛い箇所という感想も。

つまり、毎日強い飲み物を飲むことに時間を費やしたり、この世のありとあらゆる味に夢中になったりして、自分が存在しているということを忘れてしまうようになってはならない、との戒めではないかと。

主人公のお母さんはクリスチャンサンのモデル、お父さんはアーレンダールの船乗りですが、➀どうして8年前に4歳の子どもを残して母親は家出をしたのか? ➁なのに、あっさり帰ってきたのはどうしてか? ➂「お母さんはファッション界でも迷子になっている」というのはどういうことか? ➃息子と抱き合ってから、帰る決心をしたのはどうしてか? ➄宣伝文にあった「母を探す」のが中心ではなく、“迷子”というところに力点があるのでは? ➅4歳で母親がいなくなるのは運命なの? という疑問が出されました。

その他には、➆ギリシャからの哲学の発展の歴史の逆をたどっているのが興味深い、➇E18の自動車専用道路(制限80キロ)でノルウェーからずっとたどっていけている、➈「赤いフィアット」というのが映像的に青い空やアドリア海と対比され印象深い、➉父親は海を見てフェリーに乗ることを選択するというように、アドリア海のシーンがロマンティックに書かれている、⑪バルカン半島に住んでいたことがあるので、美しいユーゴスラビアの道を通るのかと期待していた、などの感想もありました。

 

 最後にひとこと

ノルウェーについて知りたくて読んだ。「ノルウェー読書会」のブログにあった『ノルゲ』のまとめも読んだが、ブログがとても面白かった。

・もう一度、読み直してみたい。日本人はお金がないと不幸と思っているが、ノルウェー人は自然の中で身体を動かすことで充実感を感じていて、この違いは大きい。

・初めての参加で不安だったが、たくさんのヒントをもらった。ノルウェーを理解するには、文化的な背景や歴史、地理を知ることが関係していると実感した。

・『アドヴェント・カレンダー~24日間の不思議な旅~』と同じく“入れ子構造”で、旅がえがかれている。「北欧の神秘の美術展」を観てきたが、フランスとの違いがわかった。

・みなさんの視点を聞くのは楽しい。読書会って良いな!と思った。ゴルデル=『ソフィーの世界』という印象が強いが、違った側面を知ることができた。もうすぐ、ゴルデルの最新刊『未来のソフィーたちへ~「生きること」の哲学~』(NHK出版、2024年7月)が読めるのが楽しみ。

・現実と豆本部分に分けて読むのではなく、最初から通して読みたい。また、読書会で取り上げたどの本を読んでも、こういうところがノルウェーだと思える箇所があるのは面白い。それを見つけるのが読書会なのかも。

・若い人向けの哲学の本として面白い。お母さんの自分探しのことは、作家は重視していないので気にしなくてもよいのでは? ゴルデルはフォッセと違うタイプで、話しがあちらこちら“とっちらかっている”のが特徴。

・本のデザイナーへの注文だが、ページ数の書き方で、中央下部のページ数にトランプのマークが記してあるのは、読む際に目に入ってきて気になって読みにくい。また、各章の冒頭におかれたせっかくの挿絵(トランプの中央部)が小さくてみにくい。185頁のトランプ52枚はステレオタイプに書かれすぎているかも? ノルウェー人の友人も、父親として子どもに対してどこか大人(=人生の先輩)としての“自信”のようなものを持っていると感じる。たとえば、家の修理だろうが魚をさばくことだろうが、自分で何でもこなせるという生活(=生きていくこと)の技の取得と関わっているかも。

・めちゃくちゃ楽しい読書会でした。父親がやや説教くさく感じた。海外での生活を経験した人の話が面白かった。

・いろんな読み方があると思った。

・自分の頭で考える。読書会は、答え合わせではなく、みんなの意見を聞けるのが良い。最近出版された漫画の『グラフィック版 ソフィーの世界~哲学者からの不思議な手紙~』(上・下、NHK出版、2024年5月)では、ソフィーがなんと携帯電話を持っているそうなので、ぜひ読んでみたい。

ということで、次の読書への期待を抱きつつ、2時間の読書会が終わりました。(掛)

 

 *なお、本文からの引用は、読みやすくするために簡略にした箇所があります。

第19回 『フリチョフ・ナンセン 極北探検家から「難民の父」へ』読書会ノート

『フリチョフ・ナンセン 極北探検家から「難民の父」へ』  新垣 修 著

2022 太郎次郎社エディタス

 

■はじめの感想

今回は8名(会場4名、オンライン4名)での読書会でした。参加者の半数近くが「ナンセンは今回の課題本で初めて知った名前だった」とのことで、フリチョフ・ナンセン(1861-1930)は日本ではそれほどよく知られた存在ではないことがわかりました。ナンセンの名を聞いたことのある参加者も、「ノルウェーの探検家といえば、ナンセン、アムンゼンハイエルダール。なかでもノルウェーで一番尊敬されているイメージだったのがナンセン。その理由がよくわかった」、「ナンセンは探検家としてしか知らなかったので、多方面の活動を知った」と、とくにナンセンの人生後半部分についての発見が大きかったようです。ノルウェーの首都オスロには、市庁舎前にその名を冠したフリチョフ・ナンセン広場もあるそうで、どれほどの偉人であるかがうかがわれます。

著者の新垣修さんは国際基督教大学の教授で、評伝を書くことの難しさとやりがいを感じていたとのことですが、「文章が非常に読みやすく、読み始めるとすっとその世界に入っていける」という声に全員がうなずきました。「著者の人生観と重なるのでは?と感じる表現が随所に見られたのも印象的」、「励まされることばがたくさんあった」などの感想が聞かれました。

 

■ナンセンの幼少期とノルウェー流の子育て

ノルウェー全体がまだ貧しかった時代に生まれたナンセンですが、両親はともに名家の出で、質素な日常生活ながらも、比較的恵まれた幼少期を送りました。父親がナンセンを厳しくしつけたという記述について「ノルウェーにおける厳しいしつけとは?」という質問が出ました。子ども(小1、6)とノルウェーに暮らしたことのある参加者によると、「年齢に応じた就寝時間のルールなどが決まっていたり、ほかの親に注意されるのは恥ということもあって、みんな家庭できちんとしつけをしていた。親の言うことにちゃんと耳を傾けるよう教え、家の修繕からボートや自動車の運転などの生活に必要なことも教える。でも、子育ては18歳までで、それ以降は口もお金も出さない。大学には、国の教育ローンを自分で借りて行き、親は子どもが家を出て独立していくのを見守る」とのこと。日本とは厳しさの意味が異なりそうです。18歳での自立が可能な社会背景も重要です。ノルウェー音楽療法士の資格をもつ参加者からは、ノルウェーでの子どもの力の伸ばし方について教えてもらいました。「大人は、その子のもつリソースをよく見ている。ないところを伸ばそうとしたり、トレーニングしたりするのではなく、その子のもつ力をいかに伸ばし、強化していくか。日本では目指すべき像が1つあり、みながそこに向かうよう教えるが、ノルウェー人には、人をどう伸ばすべきかを考える姿勢がある」。別の参加者によれば、教育educationの語源は「その人の能力を引き出す」とのことで、そこにはノルウェー人の考え方に通じるものがあります。

 

■〈困難と不可能の定義〉

はしがきのエピソードで、〈困難と不可能の定義の違い〉を問われたナンセンが次のように答えています。〈困難とは、ほとんど時間をかけずに何かをなしとげられることである。不可能とは、解決までに少しばかり時間がかかることである〉。この前向きなことばには圧倒されます。

さまざまな局面で不可能を可能にしたナンセンですが、ナンセンを特別な人物と感じる一方で、「この評伝に描かれているナンセンには、ノルウェー人的なものが象徴されている気がする」という声もありました。ノルウェー人と一緒になにかをしようとすると、「ノルウェー人の自己肯定感の強さ」を感じることが度々あります。「失敗したと思っていても、ノルウェーでは周りが肯定的にとらえてくれる。小さなころから『あなたはできる』と評価されて育っていれば、ここまではやったんだという自己肯定感と、自分もここまではできるという自信につながる。日本側が『それできる?』と不安になるが、意外とうまくいくことが実際に多い。ノルウェー人は自分の行動への自己評価が強く、それを語ることばも強い。多くは語らずとも自信に満ちた姿に、いつもすごいと思う」。本書に描かれるナンセンにもどこか共通するところを感じます。

 

■探検家であり研究者

フレデリク王立大学(現オスロ大学)で動物学を専攻していたナンセンは、20歳のとき、北極圏海洋生物の標本採集のためにアザラシ狩りの船、バイキング号に乗船。雪と氷の大地、未踏のグリーンランド内陸を目指したのはその6年後のことで、スキーによるグリーンランド横断を成功させたナンセンはイヌイットの村で一冬過ごしたのちに帰国しました。ベーリング海峡からの漂流物がグリーンランド南部に流れ着く謎を解き明かすべく、北極海の未知の海流や気象の観測・調査を第一目的に、1893年、31歳のナンセンはフラム号でクリスティアニア(現オスロ)を出港し、1896年に無事帰国します。北極圏を船ごと氷漬けになって漂流して渡るというナンセンの奇想天外の計画とその冒険譚は、ぜひ本書を手にとって読んでもらいたいところです。

こうした極北探検のあいだも、ナンセンは研究者として確実な実績を残しました。動物学のなかでもとくに難解な中枢神経系を研究テーマにひたすら顕微鏡で観察し、スケッチを版画に残します。のちに脳神経の解明に大きく寄与することになる、神経組織の染色法も習得し、膨大な図解を含む、先駆的内容の博士論文を執筆しました。この博士論文にはニューロン神経細胞)構造を解き明かす基礎研究が含まれ、ニューロン創始者のひとりとみなされるほどの業績でした。やがて極北探検を通してナンセンの関心は海洋学へと移ります。ナンセンの得た科学データは、その後長年、海洋学や地質学、気象学分野の研究で活用され、ナンセンの極北探検により、北極点は陸地や恒久的な氷盤の上にあるわけではないことが実証されました。

 

■難民救済と人道支援の道に

ところがノルウェー独立(1905)、第一次世界大戦(1914-18)という時代、ナンセンは外交の世界に引き込まれます。1919年のパリ講和会議にはノルウェー代表団の一員として参加、翌年、国際連盟ノルウェー代表に就任します。第一次世界大戦後、ロシア=ソ連の領域内、とくにシベリアには多くの捕虜が取り残されていました。国際連盟に請われてナンセンは捕虜帰還高等弁務官に就き、政治交渉や資金確保などさまざまな困難を型破りな方策で乗り越え、結果的にはこの捕虜帰還事業で40万人以上の命が救われました。また同時期、ロシア=ソ連は飢饉と感染症の流行に見舞われ、2〜3千万人が飢餓の危機に直面していました。ナンセンは、国際連盟を代表するロシア難民高等弁務官と、市民社会組織を代表するロシア飢饉救済事業高等弁務官とを兼任し、難民救済と人道支援に尽力します。

204ページに〈ナンセン・パスポート〉という法的な身分証明書を発行したことが出てきます。「リトアニアで大量のビザを発行して、日本経由で大勢の避難民の命を救った杉原千畝さんと同じものかと思ったら、各国が一定数の発行を認めた特別な正式のパスポートだった。国家衝突を避けながら、避難民に国家間の移動を認めさせた功績は大きい。また、避難民自身も少しだけお金を払う仕組みになっていて、当事者がまた別の人の命を救うことにつながっている」。

 別の参加者が本書を読んでいるときに目にしたニュースによれば、ノルウェー政府は国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に対し、新たに約38億円を拠出すると発表したとのこと。「UNRWAの職員がイスラエルを攻撃したイスラム組織ハマスに関わっているという疑いから、英・米・独などが資金拠出を停止した一方で、ノルウェー政府はそこに難民がいるから、撤退はしないと言った。この本を読みながら、そこに苦しんでいる人がいれば、どんな政治的信条であっても支援するというナンセンの精神が生きているのを感じた」。

 

■難民の自立と福祉の考え方

第8章〈難民支援〉を読むと、ナンセンは難民の教育と自立を重視していたことがわかります。就労による自助を叶えられるような雇用促進を支援し、難民の自立を促すという考え方は、現代社会で支援を必要とする人への福祉のあり方にも重なります。「教育・労働・住宅を充実させて自立を支援するというのがいまの北欧の福祉だが、ナンセンも人間の自立が基本だと考えていたことが描かれていてすばらしかった」、「難民がどの季節に帰国すれば、種蒔きをしてその収穫物で生活していけるかといった具体的な考え方は、学者だったナンセンならでは」、「食糧と衣服があれば緊急的に命は救えるが、それだけでは根本的、永続的な解決にはならない。人として働き、住む場所を得て、自分の技術と経験を活かしながら生き続けられる場所が必要。ここは以前の読書会で読んだ『声なき叫び』に書かれていたことにもつながる」、「仕事と教育を提供することの大切さが100年前に議論されていたことに驚く。いまに重なることが多い」、「セックス・ワークに就く難民女性の姿を目にし、ナンセンがノルウェー女性委員会に伝えたことで、北欧諸国とイタリアが女性の状況改善のための募金を寄せた。このころすでに女性問題として見ていたのが分かる」など、ナンセンの先進的な福祉的視点についての感想も多く聞かれました。

 

■〈リベラルアーツ人〉の目指した世界

最終章で、著者はナンセンをリベラルアーツ人と呼んでいます。リベラルアーツとは古代ギリシャにおける〈自由市民の知識・技能の習得〉が起源で、その自由七科(セブン・リベラルアーツ:文法・論理・修辞・算術・幾何・天文・音楽)は〈人を自由へと開放するための学問的技法〉を意味しました。やがて後世において、大学での専門教育を受ける前の準備教育としての位置付けとなります。

ナンセンには目の前にした対象の仕組みを解き明かそうとするあくなき探究心があり、その結果、横断的、学際的に業績を残します。こうした学術面だけでなく、著者はナンセンが科学で新たな道を切り拓きながら、探検や外交、人道支援という現実世界に踏みこんでいったことを指して〈リベラルアーツ人〉と呼びます。どの活動においても、だれも試したことのない方法で独自の答えを見つけようとし、独創性と先駆性に富む業績を残しました。ナンセンがその学問的探求を通して身につけたのが、あきらめないで〈関心を保ちつづけ、技量を高めつづけ、問いにしがみつづけるしつこさ〉。また、なにかを創造するときは、当時の常識を一方的に破壊して、新たに構築するのではなく、〈先行して生まれたものと対話を紡ぎ、それを理解し、そのなかに諸原理を発見することで、解体するのみならず再構築していく〉という姿勢でした。

外部からの要請に応じて、人道支援の分野で活動することになったナンセンですが、さまざまな出会いを経て、〈自分自身を極限まで用い、他者の命のために尽くす〉ことに価値を見出します。〈リベラルアーツ人〉として〈新たな国際社会の構築による平和と、他者の救済〉に目標を設定し、〈他者の救いになることで、自分自身を救〉い、〈他者の自由のために生きることで、彼ははじめて自由に生きることができた〉と著者は語ります。「他者が幸せになれなければ、自分も幸せにはなれないという宮沢賢治の考え方と重なる気がした」という声もありました。また、沖縄出身の著者、新垣さんはあとがきで、〈ちむぐるさん〉(肝が苦しい:他者の魂の痛みを目撃したとき、それを自分の魂の痛みと感じる)ということばに触れています。ナンセンの唱えた〈連帯の情〉という平和哲学と重ね、両者は同情の域を越えて〈その背景にある社会の平和の維持を企図しているのではないか。他者の苦痛に無頓着であるかぎり、その社会の平和は維持せず、いつしかそれは、自分やつぎの世代の苦痛となるのだから〉と記しています。

 

■おわりに

〈人生で第一に大切なこと、それは自己の発見。そのためには、少なくともときどきは、孤独と沈思が必要である。解放は、あわただしく騒々しい文化生活の中心からは生まれない。孤独の場からうまれるものだ〉(280ページ)。これはナンセンが65歳のとき若い学生たちに伝えたことばのひとつで、著者は、学者であり、平和思想家であるナンセンらしいことばと記しています。「〈孤独と沈思〉、都会に住んでいると、現実でもネット上でも、ひとりで考えることがない。困難と不可能の定義など、あまりにも違う考えに、なんて粘り強く、道を切り拓いていく人だったのだろうと感じた」という感想が出ました。最後に、ほかの感想もいくつか紹介して、今回の読書会のまとめとします。

「若い人にも勧めたい本だった。ナチスに協力して裏切り者と呼ばれた人物(キスリング)との交流や右傾化した時期についても、そうなった社会背景がよくわかり、深く描かれていた」

「評伝は自分から手に取る種類の本ではないが、読んでいて勇気づけられる内容だった。自分が歳を重ねたからか、感じ入ることばが多かった」

「抑留、難民、飢餓。原因となる戦争のない世界にしたい」

「子どものころに読んだ偉人伝のナンセンとは違った。探検家、学者から難民支援へのつながりが丁寧に描かれていた。ナンセンの難民支援の姿勢には、障害のある人とどう関わるかの眼差しと同じものを感じる。平和について考えたいという学生もいるので、一緒に読むとよいかもしれない」                

(千)