第13回 ノルウェー読書会のお知らせ 『小さい牛追い』

13th ノルウェー読書会のお知らせです。

 

9月17日(土)の第13回ノルウェー読書会は、マリー・ハムズン作/石井桃子訳『小さい牛追い』(岩波少年文庫、2005)を取り上げます。

ノルウェーの自然の中で、たくましく成長していく子供たちの姿がまぶしいです。子供はもちろん、大人になっても読みたい名作です。

詳細は下記のチラシをご覧ください。



参加申込みは 、京都会場/オンライン参加ともに、Google forms からお願いいたします。https://forms.gle/kPY5fnmGa97iGuZT7

問い合わせは ノルウェー読書会まで。 norwaybooks@gmail.com

 

第13回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されます。

みなさまのご参加お待ちしております。

第12回 『さよなら!一強政治』読書会ノート

『さよなら!一強政治』 三井マリ子著(旬報社、2020)

 

 7月の参議院議員選挙を前に、街中で選挙のポスターを目にすることが増えたのではないでしょうか。第12回の読書会では、三井マリ子著『さよなら!一強政治』を取り上げました。

 本書は第Ⅰ部が「小選挙区制の日本」、第Ⅱ部が「比例代表制ノルウェー」という構成になっています。意識的に情報収集をしない限り、外国の選挙制度を詳しく知る機会というのはあまりないかと思いますが、本書を読むと「選挙というのはこういうもの」と思っている私たちの「当たり前」がそうではないのだということに驚かされます。

 今回は、昔から選挙制度に興味があるという方、著者とは古くからのお知り合いという方などが参加されました。

 

日本の選挙 ―「当たり前」は、そうではない ―

 本書は、著者が想田和弘監督の映画『選挙』のDVDをノルウェーの友人夫妻に見せる、というところから始まります。彼らは、映画の中で自分の名前の連呼をするだけの候補者の姿を見て驚きあきれ「日本の選挙は哀れすぎる」(24ページ)という感想をもらします。

 日本の選挙の様子一つ一つについて著者に質問する夫妻。日本では候補者が一堂に集まっての政策討論会が法律で禁止されていると聞けば「絶対にありえない。冗談だよね」、選挙カーで名前を叫び続けることに対しては、あれで「どういうメッセージを有権者に送れたというのだ」、「一票を私に」と懇願している候補者を見て「政治家は、市民への奉仕者だけど、市民の指導者でもある。市民を指導していく人間が卑屈すぎる」といったやり取りが続きます。

 これらはきっと選挙期間中に皆さんもよく目にする風景かと思いますが、改めてそれを日本以外の国の人に説明すると想像したら、いかに私たちがよく考えもせずそれを受け入れてしまっているかということに気付かされます。

 「これが自分の国の今の状態か…」と、なかば恥ずかしい気持ちになりながら読み進めていくと、それこそノルウェーとの違いを嫌というほど思い知らされることになります。ぜひその衝撃を皆さんも実際に読んで感じていただきたいところですが、参加者からも本書には「簡潔に、でもとても大切なことが表現されているフレーズが随所にある」という感想がありましたので少し紹介します。

 

小選挙区制選挙の弱点の中でも最大の弱点は、「死に票」の多さにある。つまり民意が反映されない制度なのである(65ページ)

・福祉や教育は社会の活力を生み出す立派な産業(175ページ)

ノルウェーとの最大の違いは、少数意見が抹殺されることのない選挙制度を持つか持たないかの違いだと思い知る(188ページ)

・選ばれた人の報酬は選んでくれた人たちを超えてはいけない(208ページ)

 

ノルウェーの若者と選挙

 この本を読み終わると、おそらく多くの人は「民意を掬い上げてくれる比例代表制に」との思いを強くするのではないかと思いますが、今の日本で採用されていないというのは、何が問題なのでしょう。

 本書のノルウェーパートでは「クラスメートが国会議員に立候補しています」という高校生が紹介されていますし、地方議員は通常の仕事や学業をしながらの無給ボランティアなので、教員が市会議員を務めることも珍しくないのだそうです。

 第Ⅱ部の最初で取り上げられている「スクール・エレクション」も印象的で、これはノルウェー全土で高校生が国政選挙や統一地方選挙本番の一週間前までに行う「模擬選挙」のことなのですが、教員の介入もなく高校生たちは実にのびのびと「生きた政治」を学んでいるようです。

 ノルウェーに住んでいた経験のある参加者も「ノルウェーの若者は支持政党をはっきり持っている。きちんと意見を言うという印象。意見は記名でという、そういう意識が1票を投じるという行動につながっている。自分の発言に責任を持てるということ」と付け加えます。

 こんな風に友達や先生が政治活動していれば自然と興味も出てくると思いますが、日本では、親子や友達との会話で政治の話題って気軽に出てきているでしょうか? 政治を行う議員という存在は、我々一般の市民と違う世界の話、といった印象ではないでしょうか?

 

日本の若者と政治

 今回の進行役からは、「日本では大学紛争を機に、1969年秋から高校生の政治活動が禁止されて2015年の18歳選挙権まで46年間つづき、加えて同じ時期に大学の授業料がどんどん上げられて親に学費の面で依存せざるを得なくなり、親の言うことをよくきいて、アルバイトに忙しく社会変革の活動経験がない学生がつくられた」と、日本の若者をめぐるあゆみが紹介されました。

 たとえば保育の問題にしても、何もないところから自分たちで共同保育所を作った世代と、決められた制度の範囲内でしかやれないと思って諦めてしまっている世代の隔たりを感じることもあるそうです。

 でも考えてみれば、政治経験がないのは若い世代だけではないのです。家庭でも学校でも話題にならないし、意識の持ちようがありません。何名かの参加者からも「報道されない。メディアがもっと取り上げて、そういう方向に目を向けさせないといけない」という意見が共通して出ていました。

 デモなどに気軽に参加する、という感覚も日本ではあまりないように感じます。参加者のお一人は「選挙制度に問題があると言う人があまりにも少ない。比例代表みたいな発想が除外されている。日本社会の中にもっと議論するような動きを作っていかないといけない」と発言されていました。

 ご自分で「後期高齢者」とおっしゃった参加者は、女性の参政権が認められたということをとても大切に考えておられ、一度も棄権したことはないとのことでした。選挙権の歴史的な重みを伝えていくのが自分たちの世代の使命と感じておられるそうです。

 学生さんと接する機会の多い参加者からは「若い人たちに夢とか希望とか欲がなくて、みんないい子なのだけど、大人がそういう風にしてしまった。教育を変えることと政治を変えること、どちらが先かみたいな話になってしまう」と話されました。若い世代に限らず、自分たちが社会変革活動に参加した経験がないため、「自分の意見が世の中を変える」と信じにくいということがあるのかもしれません。

 それでも「だから現状を変えるのは難しい」で終わらせず、結局できるのは「諦めないこと」になってしまうのかもしれませんが、こういった本を一人でも多くの人に知ってもらうことで、行動する人が増えていくのかもしれません。「知らないと動けない。疑問に思っても自分の意見のアピールの仕方を日本人はよく知らない。住民投票やデモなど手だてを知ることが大事」との意見も出ました。

 

視点を変えて、未来を変える

 ただ暗い話ばかりではなく、「数年前に比べたら、SDGsが浸透してきた。その中には、男女平等や政治を変えていく意識も組み込まれている。それが一つのきっかけにならないか。国内の資産運用企業の中にも、投資先企業が女性役員ゼロのところには投資しないという動きも出てきたし、若い人たちの視点が社会を変えるきっかけになってくれれば」との感想もありました。

 若い人が行動していないわけでは決してなくて、参加者が調べてきた新聞記事によれば、青森の女子中学生が学校へのエアコン設置等を村議会に訴えて一億円の予算を獲得した、という話もありましたし、また別の方からは「KNOW NUKES TOKYO」という核廃絶運動をしている大学生たちはものすごい勉強量で、活動をしていない他の学生にすごく影響を与えるのを目の当たりにした、という体験も聞けました。同世代だから心を打つ、かつての核廃絶運動とは違うアプローチで若い世代に訴える方法を持っていて、反対にこういう方法を取らないと若い人は離れていくのかもしれない、と思われたそうです。

 著者はあとがきで「選挙制度が一朝一夕に変えられるものではないことは、よくわかる。でも私は変えたい」(235ページ)と書いています。「本書は比例代表制への一里塚のつもり。これから仲間を募り希望への旅を続けていきたい」とのことでした。このメッセージにどのような反応をしていくのか、ノルウェーを単純に模倣するというのではなく、日本にいる私たちの問題をきちんと見て、考えていかなくてはと感じました。(野)

*第12回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。

 

第12回 ノルウェー読書会のお知らせ 『さよなら! 一強政治』

12th ノルウェー読書会のお知らせです。

6月4日(土)の第12回ノルウェー読書会は、三井マリ子著『さよなら! 一強政治 小選挙区制の日本と比例代表制ノルウェー』(旬報社、2020)を取り上げます。

民意を反映する政治を実現するにはなにが必要なのか、選挙制度に注目した本書を手に考えてみたいと思います。

詳細は下記のチラシをご覧ください。


参加申込みは 、京都会場/オンライン参加ともに、Google forms からお願いいたします。https://forms.gle/GzQyPfAVqzF32GVT8 

問い合わせは ノルウェー読書会まで。 norwaybooks@gmail.com

 

第12回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されます。

みなさまのご参加お待ちしております。

 

 

第11回 『氷の城』読書会ノート

『氷の城』 タリアイ・ヴェーソス 著 / 朝田千惠、アンネ・ランデ・ペータス 訳(国書刊行会、2022)

ヴェーソスとローマで拾ってきた猫 当日のPower Pointより

 はじめに

今回の「ノルウェー読書会」は、世話人メンバーの朝田千惠さんと、主にイプセンなどの戯曲の翻訳をされているアンネ・ランデ・ペータスさんの共訳で、20世紀ノルウェーを代表する作家タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』を取り上げ、Zoom を使った「講演会」形式で、多くの方に参加いただけるようにしました。当日は、訳者のアンネさんと朝田さんの絶妙なやりとりに、国書刊行会編集者の伊藤昂大さんも加わった拡大版読書会になり、とても充実した内容の会になりました(会場とZoomあわせて42名の参加)。

 

1.タリアイ・ヴェーソスについて

 著者のタリアイ・ヴェーソス(1897~1970年)は、テレマルク県内陸のヴィニエ市で生まれました。同じくテレマルク県出身のヘンリック・イプセン(1828~1906年)は、県庁所在地で都会の港町、シェーエン市で生まれています。

*なお、ヴェーソスとイプセンの関連について、アンネさんによると、ヴェーソスは時代的にもイプセンやヨナス・リーなどを好んで読んでいたようですが、他の作家の作品を取り込んだり、文学的知識を自分の作品に示したりするようなタイプではなかったとのことです。

ヴィニエの観光サイトより

ヴェーソス農場 Photo by Anne Lande Peters

 ヴェーソスは、ノルウェーの自然豊かな田舎を舞台に、孤独や不安といった根源的で普遍的な人間の感情を平易な文体で描き、独特な神秘の世界へと誘う作品を手掛けたとされています。アンネさんは、ヴェーソスの生家を訪問した時の写真を映しながら、ヴィニエの一番高い場所にある農場を長男タリアイが継がないで弟に任せたこと、作家のハルディスと結婚して息子と娘、二人の子どもをもうけたこと(ちなみに、娘のグーリさんとアンネさんは旧知で、最近も一緒にヴェーソスの代表作『鳥』の舞台を一緒に観に行ったり、翻訳上の疑問点に回答してもらったりしています)、ヴェーソスの仕事部屋には当時、最高級とされていたレミントン社製のタイプライターが置かれてあったことなどを紹介しました。娘のグーリさんは、ヴェーソスは「言葉で説明する(telling)のではなくて、描写する(showing)ことで語る」という話を何度もされたそうです。

 

娘のグーリさん Photo by Anne Lande Peters

 なお、2022年は、ヴェーソスの生誕125周年に当たります。ヴェーソスの作品が世界でどれぐらい翻訳されているか、NORLA(ノルウェー文学海外普及協会)が助成した件数で調べると、この18年間で26カ国語61件あったそうです(トップ3は、ジョージア14作品、フランス9作品、ドイツ5作品)。作品では、『氷の城』が18カ国語、『鳥』が16カ国語です(ちなみに、日本語は国書刊行会から「タリアイ・ヴェーソス コレクション」として出版される『氷の城』『鳥』『風』の3作品)。

 

2.ニーノシュクとブークモール

 ノルウェー語の文語には、「ニーノシュク」と「ブークモール」の2種類がありますが、ヴェーソスの作品はニーノシュクで書かれています。ノルウェーは、14世紀以降統治されてきたデンマークから1814年に独立してスウェーデン連合王国になりますが、91年後の1905年にスウェーデンから独立するまでに民族主義意識が強まります。1800年代、人口の90%を占める農民や漁民は方言を話していましたが、10%の上流階級はデンマーク語を使っていました。そうしたなかで、後に「ノルウェー語の父」と呼ばれたイーヴァル・オーセン(1813~96)が各地の方言を基に新しいノルウェー語を生み出しました(1848年に文法書、1850~73年に辞書)。オーセンは、「我が国が本当の民主主義を手にするためには、農民や漁師も政治に参加できなければならない。そのためには、誰もが使える国民の言葉がなければいけない」と考えたからでした。

当日のPPTより

 その後の「言語論争」を経て、1885年にデンマーク語の影響の強い「ブークモール」と新たに生まれた「ニーノシュク」は平等であると承認され、1901年にはニーノシュクの綴り方が標準化されました。しかし1913年、ヴェーソス15歳の時にはまだ、ニーノシュクを使う「ノルウェー劇場」で、反ニーノシュク派との乱闘事件も起きています。現在NRK(ノルウェー放送協会)では、25%の番組をニーノシュクで放送していますし、小・中・高の学校教育では両方を学び、どちらの書き言葉を主とするかは生徒が選ぶことになっています。自治体への問い合わせも、質問と同じ書き言葉で返事が来ます。現代ノルウェーの著名な作家ヨン・フォッセも、ニーノシュクを使っています。

 

3.『氷の城』について

 舞台になったノルウェーの冬は暗くても、子どもたちはライトをつけて外で遊ぶこと、凍った滝の様子や、鏡のような氷にひびが入るときの「氷の割れる音」など、この本の背景が紹介されました。https://youtu.be/Cnv7KzVAAZ4

暗いなか登校し、遊ぶ、冬の子どもたち 

凍った滝の様子

鏡のように凍った湖にひびが走る 

 編集者の伊藤さんは、『氷の城』がきわめて繊細で美しい物語であること、淡々としたごく簡潔な言葉により描写を積み重ねるなかで静謐な象徴性と幻想性を感じさせ、独特の神秘的な世界へ誘う作品であるだけでなく、言葉にしづらい「人と人との関わり方(コミュニケーション)」の過程を精緻に描ききっているところに「機微への気づき」があって思わずため息が出ると、その魅力を語りました(詳しくは国書刊行会のホームページ、伊藤さんのnote「<人間の孤独と不安を繊細に描いた、20世紀最高の作家>タリアイ・ヴェーソスについて」を参照ください https://note.com/kokushokankokai/n/ndc9939ba3ac6)。

 刊行までの裏話として、ノルウェー語の公用語でも少数派の「ニーノシュク」を訳せる人が探せるのかという不安はあったが、「ノルウェー夢ネット」の運営者で翻訳家の青木順子さんからの紹介で朝田さんとアンネさんへ繋がったことなど、小規模な国ならではの稀有な出会い(人脈)が重なってコレクション3冊の刊行に至ったことを話されました。

 また、この本の装幀にも話は及び、表紙カバーの装画は、朝田さんが惚れ込んでいるノルウェーの画家アイナル・シグスタードさんにお願いし、日本語版『氷の城』のために描き下ろしてもらったものです。カバーの用紙や配色、カバーを外した表紙のデザインも雪の結晶のようで美しく、手触りまでも凝った仕上げになっています。

 

4.シスとウン

 作品に出てくる人名はシスとウンの二人だけ、ノルウェーの地名も出てこないので、物語に集中できること、最小限の情報で物語が進んでいくことが特徴です。

 ちなみに、「シスSiss」はSisselやCecileに近く、伝統的な古い名前(「(悪が)見えない」の意。人気のピークは1959年、現在10,163人)、また、「ウンUnn」やUnniは少し都会風の名前(「最も愛された」の意で、人気のピークは『氷の城』出版の翌年1964年で、現在1,347人)とのこと。

 

5.訳した時の苦労と工夫

(1)翻訳を進めるなかで、ヴェーソスのスタイルとしての「枠組み」に気付いたとのこと。同じ描写が繰り返される部分があり、文字通りに訳すと日本語では奇妙に感じられるため、戯曲のト書きのように訳出したり、少しずつことばを変えたりする必要がありました。例えば135~6ページにある、「木立の中でシスはしゃがみ込んでしまった」「シスは突然、木々の中でへたり込んでしまったのである」「シスはしゃがみ込んでいた」という箇所がこれに当たります。「枠組み」であると気付くまでは繰り返しの意味がわかりませんでしたが、遠景から近景、引きから寄りの映像という具合に描写しているのがヴェーソスのスタイルだとわかりました。

 

(2)作中では音を表す名詞や動詞が多用されていますが、日本語のオノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)は安易に使わない努力をしたこと、使う場合はできるだけひらがなを用いた(カタカナは悪目立ち、子どもっぽい文章の印象を与えるので)、という話がありました。「オノマトペの国」といえる日本と違って、ノルウェー語にはオノマトペはそれほど多くありませんが、原作で用いられていた数少ないオノマトペeit plim-plam(ポタン、ピシャ)をあげ、96ページのひらがな表記《ぽたりぽたり》《ぴしゃ》(地の文)と104ページのカタカナ表記《ポタン、ピシャ》(音楽的な箇所)の印象の違いを確認しました。高くて音楽的な音の特別感をカタカナで表したのは日本語の表記の豊かさあってこそ、というお話でした。

 

(3)苦労した点として、雪や寒さを表すことばのほか、自然の描写が多いので、日本語にしにくい馴染みのない地形を表すことばが多いことがあげられました。例えば、「os」は、英語ではmouth(of a river),outlet ですが、日本語では「(川が海や湖に注ぐ)河口」「(湖から流れ出る)川、水路」とされています。これは「湖から川に注ぎ込むところ」と訳してあります。また、「redsle-stupet」は、直訳すると「恐怖の急斜面」ですが、「急斜面だ。ぞっとする」と訳されています。最終的に訳語を決めるまでには、日常的に使う単語か専門用語なのか、それに対応する日本語があるのか、地元の琵琶湖にヒントはないか調べてみたりしたそうです。

 

(4)登場人物の口調については作品が書かれた1960年代の子どもを意識し、例えば担任の先生に対しては日本よりも友だち感覚に近い口調です。豊かな家庭のシスの母親に対し、年配のウンのおばさんは少し田舎臭い、シスの母親とは違う口調になっています。シスからおばさんに対する返事の「ja」も、流れからニュアンスを読み取って、「はい」(緊張感、不安、打ち解けなさ)と「うん」(親しみ、安心)に訳し分けたことなど、自然な日本語にするために共訳で相談できたことが良かったと強調されました。朝田さんの友人の10~11歳ぐらいの娘さんも、会ってすぐは少しかしこまっているけれど、打ち解けると口調が変わるという話もありました。

 

(5)「地の文」と「心のなかの台詞」の訳出についても、271ページの「母親」「お母さん」を例に紹介されました。文法的に区別できないところは、共訳だからこそ間違いなく判断できたとのことです。

 

【以下、作品の内容に触れています。詳細を知りたくない方はお読みにならないでください】

おわりに 

(1)共訳について……「翻訳は選択の連続だなぁ」というのが、お二人の率直な感想で、読み込み、調べ尽くしたら、どこかで決定する必要があるとされました。ノルウェー語が出来る日本人と、日本語が話せるノルウェー人、二人でやることがすごく力となったとのことで、「音読」をしながら何度も推敲を重ねたそうです。また、戯曲の翻訳家であるアンネさんとの共訳で、「舞台では言い直しができないので、一読でわかることが大切」(くどくなく、説明的でない、耳で聞いて理解できることばで)ということを学んだそうです。

 

(2)“あのこと”とは?……作品中に、はっきりと書かれていないので、急いで読むと読み飛ばしてしまうかもしれません。ここはウンが抱えているトラウマを匂わせています。奥さんと娘さんがヴェーソスに質問しても、「ぼくはそれがなにか知っているが、それがなにかは言わない」と答えるばかりだったそう。言葉に出来ないと思う気持ちさえ、簡単な言葉で描写しているのが、ヴェーソスの凄さ。「飴を舐めるように、ゆっくり味わって」とのことでした。

 

(3)ふたりはどうして裸になるの?……「レズビアンラブ」と読む人もいますが、これについて娘のグーリさんによると、「ヴェーソスの時代は、いまほどホモセクシャルレズビアンの関係が話題に上がることはなかった。11歳の転校生ウンがシスと絆を深めるなかで、自分の心配していることが自身の身体に見てとれるか確かめたかったのでしょう」ということでした。(掛)

 

*第11回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。

第11回 ノルウェー読書会のお知らせ 翻訳者・編集者による『氷の城』講演会

11th ノルウェー読書会 翻訳者・編集者による『氷の城』講演会のお知らせです。

 


自然豊かな田舎を舞台に、孤独や不安など人間の根源的な感情を平易な文体で描いた作品で知られ、近年世界的に〈再発見〉が進む、20世紀ノルウェー最高の作家タリアイ・ヴェーソス。日本でのコレクション第1作『氷の城』刊行にあたり、訳者と編集者の3人が、ヴェーソスの魅力と作品について語ります。
講演会形式ですので、未読の方も、気軽にご参加ください。

 

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申込みはノルウェー読書会まで。


オンライン参加 https://forms.gle/Dfdkq318hx5RjjXD7    
京都会場参加     norwaybooks@gmail.com  

 ご参加をお待ちしています。

 

【講演会をご視聴の際のお願い】

・今回の読書会は講演会形式で行ないます。Zoomでご参加の方は、音声やビデオ機能をオフにしてご視聴ください

・またビデオ機能をオフにした際に表示されるお名前は、ご視聴の方、全員が見ることができます。差し障りのある場合は、表示名をハンドルネームに変更の上、ご視聴ください

・講演の録画、録音はご遠慮ください

・Zoom ミーティングルームには4月9日(土)13時30分より入室していただけます。講演会開始の14時まで、スライドショーで物語の結末を含むあらすじを紹介します。「あらすじを知りたくない」という方は、ミーティングルームへの入室後、14時の開始時間まで画面を離れてお待ちください

 

読書会参加者限定で、国書刊行会のホームページから事前注文を3/17(木)より受け付け中です(送料無料・要会員登録)。お支払いは、クレジットカード払いまたは代金引換が可能です。ご注文時、備考欄に【読書会参加】と必ずご記入下さい。 4/4(月)より発送開始予定です。 

【読書会参加者限定 『氷の城』事前予約はこちら】 https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336072504/   

 

 

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第10回 『グリーグ』読書会ノート

グリーグ』 ウエンディ・トンプソン 著/新井 朋子 訳(偕成社、1999)

 

 今回のノルウェー読書会では、偕成社の伝記シリーズ「世界の作曲家」の10番『グリーグ』を取り上げました。課題図書を手に取って私が最初に思ったのは、「同じ題名の違う図書を取り寄せてしまったかな?」ということでした。というのも、装丁や中のレイアウトが小学校の図書室で読んだような雰囲気のものだったからです。少し大きめの文字とたくさんの脚注、ページをめくれば本文の合間にカラー写真やイラストが掲載されています。大人向けの方が当然詳しく書かれたものがあるだろうという先入観がありましたが、意外なことに、実はグリーグの伝記というものは日本であまり出ていないのだとか(他はもっとページ数も多くて専門的なものになってしまうそうです)。グリーグの一生を追うにはきっと一番わかりやすいだろうということで、この図書が選ばれました。有名な音楽家なら生涯をつづったものも多く存在しそうですが、その理由も読書会の中で参加者の方から教えていただきました。今回は、ピアニストの方やノルウェー人ピアニストのファンの方、日本グリーグ協会からの参加者もいらして、音楽の専門的なお話も聞けるのかなと、楽しみな予感で始まった第10回でした。

 

 今日の主役、グリーグは1843年にノルウェーのベルゲンで生まれました。名前は聞いたことがあるけれど、神童と呼ばれていたモーツァルトのエピソードや耳が聞こえなくなったベートーヴェンの話などは何となく知っていても、さてグリーグってどんな人…?という方が多いのではないでしょうか。

 私の最初の印象とも関連しますが、参加者の皆さんからも今回の図書については、「子供向けとはいえ、コンパクトにまとめられており、またノルウェーの文化がわかる写真やイラストも豊富でよく理解できた。」という感想が出ていました。この「ノルウェーの文化」というのも今回の読書会での一つポイントとなったところかなと思います。

 今回の課題図書は外国のシリーズが訳されたものということで、外国での評価と日本の評価の違いも面白さとしてあったようです。色々な方向からノルウェーを知りたい、というご意見もありました。

 冒頭に書いた日本であまりグリーグについての図書が出ていない理由ですが、日本では交響曲が少ないと評価が低いのだそうです。グリーグが唯一残した「交響曲ハ短調」はライプツィヒ音楽院を卒業した後に移り住んだコペンハーゲンで、ネールス・ガーデの助言に従って完成させたものでしたが、本人は気に入らず楽譜に「この曲の演奏を禁じる」と書き込んだほどだったようです。作曲家なら交響曲を!という考えが当時からあったようですが、グリーグは「ソナタ弦楽四重奏曲などの大がかりな曲よりも、ノルウェーの素朴な民謡集からヒントを得て曲を作るほうを好むように」(72ページ)なります。本の中でも書かれているように、彼は作曲家というだけでなく演奏家、指揮者など多くの役割がありましたので、なかなか大きな曲を作曲する時間が取れなかったということもあったのかもしれません。

 グリーグの作品は、テクニカルの面では平易でも、「どう」弾いたらよいかが難しいことがあるそうです。たとえばノルウェーの夏を知らないと、湿度の低いすがすがしい感じだったり、白夜の幻想的な雰囲気だったりを演奏に反映させることは難しいでしょう。その土地を知らないと、その空気を知らないと、その文化を知らないと、ノルウェー人を知らないと…というように、本の中でもクリストファー・パーマーの次のような言葉が紹介されています。「グリーグの得たインスピレーションを味わいたいなら…もう一度、すばらしいノルウェーの景色、山々、フィヨルドに目を向けなさい」(138ページ)。

 ただ、「楽譜にこう弾きなさい、という指示はないのか?」という質問も参加者からあがりました。それはもちろん書いてあるのですが、やはり実際に演奏するには十分ではないのかもしれません。本の中でも、パリで出会った19歳のモーリス・ラベルがグリーグの舞踊曲を演奏した際に、リズムをもっと強調するようにアドバイスされている場面が書かれています。「フィドル奏者が、足でリズムをとりながら伴奏したり、農民たちが踊っているのを、実際に見てみるべきだね」(143ページ)。

 この伝記では、グリーグの人のよさもよく描かれていました。彼は愛娘を一歳の時に亡くすという悲劇に見舞われていますが、何人もの素晴らしい友人が、彼の明るい性格と音楽に対する真摯な態度を好んでいます。人生の後半で、子どもほどに年の離れた若い友人もできているという記述に、参加者からは驚きとともに音楽家としてのグリーグの魅力所以であろうとの感想も出ていました。

 進行役によれば、グリーグは「謙虚で等身大」な人ということでした。自分はバッハやモーツァルトにはなれないことをよく理解しており、自分の能力より大きなことをするのをよしとしない、よりよく見えるような形を望まない人物だったのではないでしょうか。抒情小品集も、自分のことをつづっている「日記」なのだそうです。

 「朝(朝の気分)」などはみな学校で聴いているし、現代でもCMなどでよく耳にします。メロディは知っているけれど、それを作った作曲家名とは結びついてないということなのでしょう。「10大作曲家」といった表現にグリーグはなかなか入れてもらえないし、グリーグの研究者も少ないそうです。とはいえ、認知度は少しずつ上がってきていて、卒演や卒論で取り上げられたりもしているとのことで、書籍も今後増えるといいなあ、というお話もありました。

 30代にもなるとグリーグはもうすっかり成功した音楽家に見えましたが、有名になれば批判も付き物です。19世紀の後半、新しい音楽がパリで次々に出てくる中、「ペール・ギュント」のようなメロディのはっきりした「わかりやすい」音楽は古いとみなされることもあったようです。例えば、サティやドビュッシーは新しいことをやっているのに、いつまでもロマンティックなものは甘いというような。

 ノルウェーのような小国の作曲家は、自国の音楽が持つ音階やリズムを取り入れたいという思いがあるようです。グリーグ民族音楽は深く結びついていますが、民族音楽は芸術と認められていなかったので評価が低かったのかもしれません。民族音楽を取り入れる派と取り入れない派とがあるようで、取り入れている作曲家といっても、シベリウスバルトークは評価が高いのですが、それは彼らが直接的にはそれとわからないような取り入れ方をして民族性を表しているからだそうです。反対に、グリーグは直球の取り入れ方をしていますが、それは元がどんなものかを知っている、わくわくできるという、そもそもの立ち位置、つまりは楽しみ方の違いからきているようです。交響曲を書かなくても、今、彼の名前が音楽史上に残っているということは、成功しているという証なのでしょう。

 グリーグイプセンの友人関係にも感想が出ていました。活躍する分野が違うので、年齢差があってもただ尊敬するという対象ではなく親しくなれたのではないか、ということでした。戯曲「ペール・ギュント」という作品はノルウェーらしさを少し揶揄するような内容ですが、「ペール・ギュント」が成功したことで結果としてノルウェー民族音楽の地位が高まったそうです。民族音楽でしか表せない場面も多く出てきます。

 今回の本ではグリーグの私生活のことなどに踏み込んだ記述もあり、そのあたりにも参加者の関心が集まっていました。また、日本グリーグ協会の方からは明らかに間違っている表記が何点かあるとのご指摘もありました。25ページにあるグリーグの生家についての紹介で、写真の家が彼の生家のように書かれていますが既に焼失してしまっており、この場所にあった、というのが本当のようです。ライプツィヒに向かった月も少し違いがあるそう。また、91ページに「民族楽器のハルダンゲル・フィドルの演奏をまねた」とありますが、本来ハルダンゲル・フィドルで演奏するようスコアには書いてあり、それが用意できない場合にバイオリンで演奏されるようです。もう一か所、同じページに「スプリングダンス」とあるのも「スプリンガル」(三拍子の踊り)としてほしいという意見もありました。                                                                                                                       

 本文の中で、グリーグは神経の細やかな指揮者だったと書いてあります。批判的なドビュッシーでさえ、グリーグの指揮に「どんな微妙な違いも見逃さず音楽を豊かに表現している」(61ページ)と敬意を表していたのです。この図書を読んでいて何度か出てきた言葉の一つに、「転機」やそれに似たような意味のものがありました。私はそうやって、人生の中の転機を意識できるというのは、1曲の中で様々な要素を意識しなければならない指揮者ならではの特性なのかなと思い、自らの進むべき方向やその時々の戦略をしっかり決めていける人という印象を持っていたのですが、グリーグについて詳しい参加者からは、やはり彼は迷いながら音楽を作っていったのだろうとのことでした。つまり、グリーグは生きているうちに名声を得てはいたが自分は大作曲家にはなれないことは理解しており、それでも挑戦していく中で民族音楽という表現に出あえたのだろうというお話でした。

 グリーグに限りませんが、音楽を聴いて得られる感動というのは、それが人生のように始まりから終わりに向かって流れているということ、そして人生では長く引き伸ばされている時間も1曲の中では凝縮されているので、物悲しさだったり喜びだったりが自分たちの日常生活よりもドラマティックに感じられることからくるのかなと思っています。

 今回はグリーグの一生を追いましたが、この本の巻末にはグリーグの年譜も付いています。彼の死後から100年以上経った現代の私たちから見ても十分成功した人生だと思いますが、それでもつらい経験や達成できなかったことなどもあるでしょう。晩年のグリーグは、作った曲は有名になり、広く人々に受けいれられているものの、音楽そのものを評価してもらいたくても人気だけが先行していくことに不満を感じていました。「この貧弱な肩に、とてつもなく大きな荷物を背負っているのです――それは、理想の音楽を追求するという仕事です。でも、目的のある人生はすばらしい。よろこんで犠牲をはらおう。輝くばかりの喜びにつつまれる瞬間も経験できるのだから」(129ページ)という言葉が本文中にありましたが、迷いながらも信念があるからこそ、振り返った時に一つの曲のように起伏が鮮やかなのかと感じた今回の読書会でした。(野)

 

 第6回で取り上げた『ペール・ギュント』の紹介もあわせてご覧ください。

 

第10回 ノルウェー読書会のお知らせ 『グリーグ』

10thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第10回ノルウェー読書会は、ウエンディ・トンプソン 著/新井 朋子 訳『グリーグ』(偕成社、1999)です。 

ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家グリーグ(1843-1907)の生涯を、写真や年譜など豊富な資料からたどります。


詳細は下記のチラシをご覧ください。
お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。
※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

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