ヨン・フォッセ著 伊達 朱実訳 『朝と夕』 2024年 国書刊行会 2,200円+税
今回はヨン・フォッセ『朝と夕』の訳者の伊達朱実さんと、進行役にノルウェー語/日本語の翻訳者アンネ・ランデ-ペータスさんをお迎えしての特別回となりました。伊達さんは東京のノルウェー大使館に32年間お勤めになり、ノルウェーやその文化などにもずっと接してこられました。初の翻訳がノーベル文学賞受賞作家の作品で、その大きな挑戦へのきっかけや翻訳作業、作品について深いところまで聞かせていただきました。参加者のお気に入りの箇所や感想も挟みながら、当日の内容をお伝えします。*あらすじに触れています。『朝と夕』未読の方はご注意ください
■『朝と夕』について
伊達)『朝と夕』の主人公は西ノルウェーの小さな漁村に住む漁師ヨハネス。その誕生と最期の日の2日間を描いている。誕生の第1部はごく短く、第2部では夢現のなか、時間軸も消え去ったような世界をヨハネスが生と死の狭間を行ったり来たりしながら、少しずつ自分がもう死んでいることを悟っていく。この2日間だけからひとりの人生がすべて見えてくるような物語。題名は、朝が誕生、夕が死を表し、それが繰り返されていく、ということを表しているのだろう。
・『朝と夕』という題名である人物の1日の話かと思っていたら、「誕生と死」とあり、人生の話とわかった。危篤状態で朦朧としていると思っていたら、実はそれでもなかったとは。
伊達さんの一番好きなところは物語の最後、「さあ、もう振り向くなよヨハネス……もちろんいるよ」(pp. 138-139)、親友ペーテルとともに旅立つ場面です。
伊達)翻訳のきっかけは、ノーベル文学賞発表の約1年前、アンネさんがノルウェー文学好き数人に声をかけ、「ノーベル賞受賞に備え、いまからフォッセについて勉強しよう」と誘ってくださったこと。毎年候補に上がっていることは知っていたが、正直なところ、本当にノーベル文学賞なんて獲れるのかなと思っていた。勧めていただいたこの本を読み、先の所で、心をぎゅっと掴まれた。当時、姉を亡くして間もないころで、本当に暗闇のなかにいる気分だった。「(そこには)好きなものが全部あって、……(マグダ姉さんも)もちろんいるよ」とあり、そこまで訳したいと思った。とにかく自分の心の安定のために、1日1行でもいいから写経のように訳そうと。本当に本になるとは思ってもいなかったが、なんとフォッセがノーベル文学賞を獲り、とんとん拍子で出版が決まった。ちょっと不思議なご縁だった。
■ヨン・フォッセについて
ヨン・フォッセは2023年ノーベル文学賞を受賞したノルウェー人作家で、2025年、65歳のいま、戯曲40作、小説30作、詩集10冊、エッセイ集5冊、児童書を9作、そして翻訳も手掛ける筆の速い多産の作家です。
アンネ)フォッセは1959年、西海岸スタヴァンゲル近くのハウゲスンで生まれ、ハーダンゲルフィヨルドのストランデバルムで育ち、ベルゲン大学で哲学や文学を学んだ。ベルゲンの観光地ブリュッゲンにはハンザ同盟時代からの建物が立ち並び、小説『三部作』にはこの辺りが出てくる。首都オスロから西に水平移動するとノルウェー第2の都市ベルゲン、その少し南にスタヴァンゲルがある。むかしからこの辺りは漁業や海運業に従事する人が多い。岩場の多い海岸線が西ノルウェーの特徴的な風景。戯曲『名前』にも西ノルウェーの山やゴツゴツした岩場が描かれている。
・ノーベル文学賞受賞時の記事で「北海の風景がなければ自分の作品は生まれなかった」と語っていた。私は広島出身だが、瀬戸内海の穏やかな海では絶対に書かれない作品だ。いま長野に暮らし、気候や見える風景で生まれてくるものや性格も変わってくると感じている。
■フォッセ作品について
アンネ)フォッセはベルゲンで初めて劇を観て、実は「演劇はつまらない」と思った。しかし結婚して赤ん坊が生まれ、経済的に苦しかったころ、戯曲は支払いが早いと知り、戯曲ワークショップに参加。サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』は、ふたりの男がだれかをずっと待っているが、結局だれも来ない物語。その反対を行くというアイデアから生まれたのが戯曲『だれか、来る』。みんなから離れ、ずっと自分たちだけ暮らしたいというふたりが「だれか来るかもしれないが、来て欲しくない、来たらどうしよう」と繰り返すシンプルな会話劇。とてもよいものを手にしているのに、だれかがやって来てそれを壊してしまうのでは?と恐れ、次第にふたりの関係が壊れていく。この戯曲は大ヒットし、ドイツやフランスでも大成功を修めた。ところが人前で話すのが苦手なフォッセは酒なしでは舞台挨拶に立てない。戯曲が当たるたびに酒量は増え、2014年、断酒のために戯曲はもう書かないと決意。そうして書いた小説『三部作』がノルウェーでもっとも栄誉ある文学賞を獲った。2023年のノーベル文学賞受賞はおそらく『七部作』を書いたから。才能豊かだがアルコール中毒の芸術家アスレとそのドッペルゲンガーのようなもうひとりのアスレの物語。7章からなる3巻本で、祈りと文学のあいだのようと評される。フォッセ作品で邦訳が出ているのは小説『朝と夕』と『三部作』、戯曲の『だれか、来る』、『名前』、『スザンナ』、『ぼくは風』。日本での初上演は2004年『だれか、来る』で、ほかに『死のバリエーション』(2007)、『スザンナ』(2015)、『ぼくは風』(2024)が上演されている。
■フォッセレクチャーとフォッセプライズ
アンネ)フォッセがノーベル文学賞を受けたあと、ノルウェーはフォッセの名を冠したフォッセレクチャー(フォッセ講演)の設立を決定。毎年世界中から講師を1名選出し、4月にオスロの王宮で講演会を開催する。「私がノーベル文学賞を受賞できたのは、外国語の翻訳者のおかげ。翻訳者への賞と報奨金も同時に渡したい」というフォッセの希望により、フォッセプライズ(フォッセ賞)も設立された。初のフォッセレクチャーは2025年4月24日、フランスの哲学者で神学者のジャン-ルック・マリオンが行なう。120作以上のノルウェー文学作品を訳してきたドイツのヒンリッヒ・シュミッツ-ヘンケルが同日、フォッセプライズを授与される。
■文体と翻訳プロセス
ノルウェー語にはふたつの書きことばがあります。ひとつはデンマーク語を元としたブークモールBM。そして1800年代のノルウェー独立の機運が高まるなか、ノルウェー各地の方言を標準化して作られたニーノシュクNN。地方で使われることが多く、NNの使用者は現在10-15%ほどです。
アンネ)フォッセの独特な点はNNで書いていること。私も含めNN使用者は、「これが心のことば、私のことば」と感情的になりやすい。フォッセもノーベル文学賞の受賞スピーチのなかでわざわざNNに感謝を述べている。
伊達)ノルウェー語でもNNは詩や歌の歌詞、小説などに向く、とても詩的なことばと言われている。フォッセは多数翻訳もしており、その作業について語ったインタビューは、私の翻訳にとても役立った。「違うことばなのだから、原文と違う色調になるのは当然のこと。例えばBMをNNに訳すだけでも、同じノルウェー語でありながら、すでに違う色調が出ている。大切なのは正しいかどうかに神経を尖らせるよりも、原文の底に流れる音楽を聞き取ること。それを自分なりに編曲するとよい」。そこで私はNNのリズムを日本語に移し替えようとか、鄙びたことばを使っているので方言を使おうとか、そういうことはあまり考えなかった。自分の頭のなかでヨハネスやペーテルのキャラクター設定をし、台詞の雰囲気が小説のなかで一貫するよう心がけた。
・文が切れていないのに驚き、「これはなにかの間違い?」ともう一度読み、あとがきでこういう文体なんだと理解した。変わった文体にも関わらず、ページを繰る手が止まらなかった。
・句点もかぎ括弧もないのに、だれが話しているのがよくわかる。読んでもらうと「〜と言った」が耳に付くが、目で読むと気にならず、語りが聞こえてくる。不思議だった。
伊達)「彼は言った、〜と言った」というのは、実はもっと出てくる。これでもかなり割愛した。フォッセの文章にはこれが散りばめられている。
アンネ)フォッセの文体はずっと句点(ピリオド)なし。これはノルウェー語でもそうで、ノルウェーの読者も「えっ」となる。そこを乗り越え、受け入れると、フォッセのリズムに入っていくことができる。フォッセ作品に流れるリズムを訳すために、伊達さんがした工夫とは?
伊達)フォッセを読んでいると、独り言のような、ひとり芝居のような作品に感じられた。そこで原書も日本語も朗読しながら訳した。また翻訳には正解がなく、ことばの選択で醸し出す雰囲気はずいぶん違う。小さな選択の連なりが最終的に作品になるというのが面白くもあり、難しかった。フォッセはインタビューで「自分は少し古めかしいことばを使うのが好き」と答えている。私もあまりカタカナは使いたくなかったので、たとえばスーツではなく背広、キャップではなく庇帽などとした。ことばには賞味期限というものがあるので、若い読者にとってそれが正解だったのかはわからないが。
・朗読しながら訳したと聞き、この本の読みやすさに納得がいった。カタカナを使わないというのも非常に共感できる。歴史的なことを感じさせるような訳だと思う。
伊達)ノルウェーには男女の差があまりなく、ノルウェー語も女ことばと男ことばの区別はない。ただ日本語では男女同じにすると、女性の台詞がとてもぶっきらぼうに聞こえ、どちらが話しているのか、字面だけではわからなくなる。だが「こうだわ、こうよね」ばかりでは、いまの女性の話し方から乖離してしまう。過剰に女らしくせず、なるべくニュートラルを目指した。第2部終盤で、「俺はシグネの体温を感じた、俺を通り抜けたのだ、俺の中を、とヨハネスは思った、嫌だわ、何かが私の方へ向かって来た、何かが来るのがはっきり見えた、……」(p.118)、こんなふうに視点がパンと切り替わる。ここは女ことばを使うことによって瞬時にシグネに切り替わったと伝わるようにした。またオーライとマルタ夫婦とその孫のシグネとレイフ夫婦は、世代によって夫婦関係も違うと思い、その辺りも口調に少し反映させた。
フォッセの文章は、フォッセの住んできた地方や風土に根ざしている。小説の場面が自分のなかで具体的にイメージできるよういろいろ試した。漁師をしている中学の同級生を訪ねたり、普連土学園というクエーカー教の学校を出た友人に話を聞いてみたり。アンネさんにはフォッセ特有の表現や西ノルウェーのお年寄りが使う言い回しなど、辞書にもない表現を説明していただいた。またヨハネスの住まい、寝床と台所、母屋と物置小屋の位置関係を図解してもらったり。登場人物の生活や動き、その地の気候、食べているものなど具体的にイメージしていないと、出てくる文章は説得力をもたないのだな、と感じながら訳していた。
■死生観
【日本語とNNでの朗読:ヨハネスは、ペーテルに一杯食わされたと思い、……なんなんだ、とヨハネスは思った。なんなんだ。(pp.55-56)】
アンネ)ここは、いたずらで石を投げてみたら、石がその人を通り抜けてしまったという場面。日本人は違和感なく幽霊だと思うのでは? 不思議なことに、ヨン・フォッセはこの点では日本人に似ている。ノルウェーでは、幽霊や死んだ人が私たちのあいだを歩くといった話はあまり聞かない。
伊達)アンネさんからそう聞いて、ヨーロッパではそういうものかと思った。寄せていただいた感想には「この本を読んでよかったのは死が怖くなくなったこと」、「こんなふうに私も死にたい」、「私のときはだれが迎えに来てくれるんだろう」といったコメントが多く、死者と生者の交錯について違和感をもつ人はいなかった。
アンネ)『ぼくは風』と『朝と夕』にはフォッセの死生観がよく見えてくる。実はフォッセの死生観は普通のノルウェー人のものとは違う。ヨーロッパではそこがフォッセのすごいと言われるところなのだけれども、日本では悪く言うとまったく普通で、つまらないように感じられるだろうし、よく言うと、「すごく馴染みがある感じがする」、「実感がある」と受け止められるだろう。
伊達)私も含め、身近な人の死に接した人を励ましたり、慰めたりするところがある。こういう死生観はフォッセの子どものころの臨死体験から来るものだが、フォッセ自身は「(人は死後、)広々としたすごくよいところに行く」と鮮やかに考えていて、あの世とこの世のあいだが説得力をもって書き表されている。それが「そこに行くのだったら私も怖くない」という感想につながっているのだろう。本当に泣いてしまったという人もけっこうあり、実は私自身も訳しながら泣いていた。とてもエモーショナルな、素直に訴えかけてくるものがある。
・フォッセが私の父と同い年なので「ああ、父が死ぬときはこんな感じなんじゃないかな」とか、私が先立った場合「夫がこんなふうに、なにか淡々と過ごせるんじゃないかな」と思ったりした。年齢を超えて理解できるのが不思議。フォッセの描写がまざまざとわかる。
・小児病棟で音楽療法をしており、子どもの死と常に関わっている。あの子たちの死というのはこういうことなのかなと、この本を読みながら思った。
・中年になって老いを体感し、死も意識し始めた。「こういう1日が送れるなら、自分はどこに出没するのかな」と思い、最後は「死は怖くないもの」と感じられた作品で、とても素敵。
■能との共通点
・死の1日の淡々とした書き方に驚く。自分で少しずつ気付いていくというのが斬新。幽霊話や怪談の伝統があり、日本人にはとっつきやすい。それにしてもこの文体で、これだけの確信をもって書くフォッセの勇気がすごい。もはや日本の幽玄の世界に昇華させたものを、ここまでためらいなく簡潔に書き切ったのが魅力。
・アンナと出会うとき、ヨハネスとペーテルが若くなっていた。若いときの自分の姿であり、自分のキラキラしていたときをみんなが共有する。そういうのはたいてい心地よい夏の夜。先ほど幽玄ということばが出たが、能に通じるところがある。日本の古典芸能の能において、死者が私たちに語りかけている場面では、自分の一番輝いていたときのことを話す。また娘シグネと父ヨハネスがすれ違うときに温度差を感じたように、相手の身体を通り抜けるというのも能にある演出。例えば『隅田川』では、母親には亡くなった息子の姿が見えるが、他人には見えない。抱き合おうとすると身体を通り過ぎてしまう。能にはワキとシテという役割があり、現実に生きているお坊さん(ワキ)などは、ほかの人には見えない亡霊(シテ)を見ることができる。ここでは読者がワキだ。2004年のフォッセの舞台でも、所作台に布と柱しか置かれていないなど、能の舞台装置にも似た演出がなされていた。自分が一番輝いていた時間や空間をもう一度みんなに伝えたいという、その思いが伝わってくるこの場面が好きだった。
アンネ)フォッセのミニマリズムはお能に似ている。橋掛かりではないが、フォッセと能の関係は研究してみると面白いところだと思う。
・ヨハネスが釣りをするとき、ルアーが沈まなくなってしまう(p.32, p.80)。ペーテルは「海にはお前は用済みなんだ」と言うが、これはノルウェーの漁師の言い伝え?
アンネ)私の知る限り、こういう言い回しはない。フォッセが考えて、この物語に入れたのだと思う。
伊達)私も聞いたことがない。〈用済み〉というのは、やはりヨハネスが亡くなったことを暗示していると感じた。
■聖書とフォッセの宗教観
・「蟹を獲ればあの人は来る、間違いなく来るんだ、と彼は言った/そうだろうな、とヨハネスが言った」(p.105)の部分が好きだった。父を亡くしたときに、プロテスタントの牧師である友人が「キリスト教では死んだらまた会えると考える」と言ってくれてほっとしたことを思い出した。登場人物たちが聖書の名前にちなんでいるのに、神さまを疑っている様子の場面がところどころあった。最後、「間違いなく会える」ということばに安堵した。
アンネ)第2部は蟹の場面も含め、なにか変なことがちょこちょこあり「おかしいな」と読み進めると、ある時点で「もう死んでいるんだ!」と気付くのがとても面白い。漁師にとって魚を釣るというのは生きるためにいちばん重要なことなのに、それができないというのを象徴的に入れている。魚を捕まえるというのは、キリスト教では大きな意味がある。イエス・キリストの弟子には漁師もいたし、〈あなた方も魚を釣るように、人を捕まえなさい〉という聖書の表現もある。
伊達)フォッセはカトリック信者なので、訳すのと並行して、聖書物語なども読んでいたら、「ここも同じだ、ここも似ている」というのが見えてきた。具体的には、パン屑を落とす、石を投げる、髪を切る、はしごを上る、白く塗る、不妊、税金、吐き気など、きりがない。きれいな満天の星を見ているとき、私たちはただ星を眺めているけれども、ある人には星座が見えてくるように、わかる人にはわかる。そんなふうに、読み手に委ねている。ヨハネスとペーテルとヤコブ、この3つの名前はノルウェーによくある名前だが、キリストの愛弟子の名前でもある。ペテロとヨハネは実際に漁師でもあった。キリストとの関係ではたとえば、ペーテルが左に右に傾いでいて倒れそう、腕は外れそうというのは磔のシーンを想起させるし、ヨハネスが海に落ちたときに鈎で引き上げられたから肩に傷があるというのも、十字架に磔にされたキリストがわき腹を槍で突かれたということにリンクしていると思う。キリスト教の要素がたくさん散りばめられ、わかる人にはそれがわかるという小説なのだと思う。
・第1部でオーライがフィドルの曲に神聖を感じる、というところがあった。フィドルは悪魔の音楽と言われていたのでは?
アンネ)むかしパーティーではみんながフィドルに合わせて踊り、飲んで暴れると、「喧嘩や騒動の原因はすべてフィドルにある。だからフィドルは罪の楽器だ」と考えられていた。ノルウェーではとくに優れたフィドル弾きの演奏を「悪魔に取り憑かれているかのよう」と表現し、フィドルは悪魔の楽器と呼ばれた。いまのノルウェーは、そこまで宗教色は濃くないが、フォッセは自分なりの宗教観をもっていて、この小説にもそれが現れている。音楽が大好きで、音楽にこそ神が宿っていると書くことで、いろんな人を怒らせていると思う。
伊達)フォッセは音楽が大好きで、最初は音楽家を目指していた。しかし文学者を目指すことにして音楽を一切やめた。コンサートでバッハのオルガン曲を聴くのは好きらしいが、いまもBGMは嫌っている。『朝と夕』の第2部に、大切にしてきた周りの景色を見渡し、それを見納めのように感じている場面がある。「でも、このすべては俺の内に残る、何かこう、音のように、そうだ俺の内に音みたいに残るのだ」(pp.71-72)。音楽に対する愛が現れているところだと思う。
■物語の舞台はいつの設定?
アンネ)この物語には戦争の話も出てこないので、いつの時代の設定なのか、判断がつかないが、おそらく1900代前半かと思う。
伊達)フォッセのおじいさん世代をイメージして訳していた。
・「年金でタバコやコーヒーが買える」(p.48)と、年金の話が出てくる。調べてみると、むかしの年金制度ができたのが1936年と書かれてあった。第2次大戦でドイツ軍に占領される話がまったく出てこないので、そうなると、36年に年金ができて、ナチスに占領される40年までのあいだの話だろうなと思う。ほかにも時代を感じさせるいろんなものが出てくる。例えば、紙巻きタバコやベッド脇の尿瓶。「洗濯機がやって来て、桶で洗わなくて済んだ」(p.38)というのは、60〜70年代の電気洗濯機のことではなく、手回しで撹拌してローラーで絞るタイプのものだろうから、1930年代頃にはあったのかな、など考えながら読んだ。
■装丁とアストルプ
伊達)表紙は担当編集者の田中さんが見つけてくださった、ニコライ・アストルプというノルウェー人画家の絵で、2人の男が手漕ぎの舟に乗っていくのにぴったりの作品。第1部はみすぼらしい漁師の家に子どもが生まれるだけの話だが、私はそこにまるでキリストの誕生のような神聖なものを感じた。それを汲んで、暗いが赤と白と緑と金のクリスマスカラーにしてくださったのだと思う。
・本の装丁が素晴らしく、宝物が届いたような気がした。
・ニコライ・アストルプはムンクの17歳年下で、フィヨルド地方の自然に根ざし、愚直にノルウェーの風俗をもとに描き続けていた画家。北欧では、自然と風景をありのままに見つめるというよりも、一度自分の心を通して自然を見るというムーブメントが生まれていくが、それがひしひしと感じられる画家。
・この表紙の地方に住んでいた。アストルプの絵の道を通って毎週、実習に向かっていたので、懐かしい。
■おわりに−−この作品のもたらすもの
伊達)第1部でオーライのことばに〈人はただ生まれて死ぬ。それは無のようにも思えるが、実はなにか豊かなものがある。青空はどう? 青々と葉の茂る木々はどう?〉(p.10)と続くところがある。平凡で実直な漁師が生まれ、死んだだけの物語だが、その人生はかけがえなく、尊いのだということを教えてくれる本だと思う。出版後、新聞の書評がたくさん出て、そのお陰で多くの方が手に取ってくださった。個人的に一番うれしかったのは読売新聞の書評で、脚本家、長田育恵さんによるもの。「素朴で神聖、漁師の生死」というタイトルで、「さりげない言葉から人生と肉体が視える。友と日々どんな言葉を交わし肩を並べていたか。実直に生き、為すべきことは為し、為さなかったことはそのままに、ぼちぼち歩きだす後ろ姿が。台詞がまとう息づかいから読者はきっと重ねて思い出すだろう、身近にいる誰かの姿を。…ミニマムな声の奥に深遠がある」。劇作家なだけに、フォッセの真髄まで理解してくださっているように感じた。何気ない一日、私たちのような普通の人の生や人生が神々しく、神聖なものであるということを、ごく自然に受け入れられるようになる。かなり普遍的な生と死を扱っているのだと思う。だからこそ、受け入れてくださる方が多かったのではないだろうか。
アンネ)本当はどの人生も大事で、生きることが大事。どんなに短い人生でも長い人生でも、それは輝いている。死を身近に見るとき、この本は素晴らしい慰めになると思う。そして生まれる前も、亡くなったあとにも、なにかあるという希望をくれる。
・私の方がはるかにすごい人生を送ってきたなと思うぐらい、ヨハネスは本当に普通のおじさんなのに、その人の話がこんなに面白い小説になるということを思い知らされた。
・亡くなった父のことを思い出していた。母(妻)に先立たれて、ずっとひとり暮らしの末に亡くなった。「父もこんなふうに亡くなったのだったらよかった」とほっとした。ノルウェーの漁師と自分の父に共通点はないが、それがすんなり、まるで父のことのように思えたのは、今日のお話を聞いていて、伊達さんの翻訳にすごく工夫があったからだと思った。
・フランスでノルウェー語を学び始めた2006,7年ごろ、「ヨン・フォッセというすごい作家がいるぞ。この作品をぜひ読みなさい」と勧められた。フランス語訳も出ていたし、『だれか、来る』の舞台もあった。いま日本語で読めることの喜びを噛み締めている。また今日のお話で、文字になっているのは氷山の一角、ここに至るまでにその下に膨大なリサーチや知識があったのだと感じた。
・私たちはいろんなことに煩わされ、シンプルには生きられない。生きるということをもうちょっとシンプルに受け止めて、しっかり生きていくのがいいんじゃないかと言われているようだった。
ここに挙げた感想はほんの一部です。「誕生と死の二部構成とわかって読むと、また違った読み方ができそう」、「1回目と2回目に読んだときの印象が違う」といった声もありました。どうぞみなさんもお試しください。訳者の伊達さんと進行役のアンネさんのお陰で作品の背景にも触れることができ、そしてさまざまな立場のみなさんと感想を共有することで、作品の理解や味わい方がますます深まる読書会となりました。会のあとで、進行役のアンネさんがなんと作家にこの日の様子を伝えてくださいました。最後に、作家ご本人からのお返事を。Det var sterke og rørande reaksjonar på boka. (この本に対する印象的で感動的な反応だ) (千)