第14回『あるノルウェーの大工の日記』読書会ノート

オーレ・トシュテンセン 著/牧尾晴喜 監訳/中村冬美 リセ・スコウ 翻訳

『あるノルウェーの大工の日記』エクスナレッジ、2017年

 

本書はノルウェー人の大工、オーレ・トシュテンセン氏によって書かれ、「ノルウェーでベストセラーとなり、世界14か国に翻訳権の売れた話題のエッセイ(本書帯)」です。ノルウェーの首都・オスロに住むある家族の屋根裏改築の入札に参加し、契約、施工着手するところから始まり、完成した屋根裏部屋を家族に引き渡すまでの約4か月の日々が描かれています。


読書会の冒頭、司会から『ブックデザイン365』(パイインターナショナル社、2020年)で、本読書会第1回目で取り上げた『薪を焚く』(晶文社、2019年)と、見開きの同じページでノルウェーの本が取り上げられていることが紹介されました。両書とも魅力的なブックデザインであるとともに、大工道具や薪割の道具など、人が手にする身近な道具がデザインにあしらわれている点などがノルウェーらしい雰囲気を伝えています。

       


■感想 日記でありながら、深い人生哲学、職人のこだわりを感じる

まずは参加者の自己紹介とともに、本書の感想を語り合いました。「2017年の新聞広告にでた日に、本屋さんに買いに走った」という方もいれば、ずっとツンドク状態で「何でもっと早く読まなかったのだろう」という方もいて、和やかな雰囲気で会がすすみます。

平易で温かで率直な文章から伝わるノルウェーの文化、気候の描写や通りやお店の名前などから、初めて読む方にも北欧オスロの冬から春の風景が浮かびます。

 

・個人の日記として、自分のためでもありながら誰かと共有したい、多くの人にも知ってもらいたいという思いを感じた。

・様々な人と関わり、自分がどう過ごしたのかが、物を造り上げる過程と結びついている。

・片付けや準備に関わる職人の細かい作業、「職人のお作法」のようなものが全編に満ち溢れ、気持ちがすとんとまっすぐになる。

・専門的な大工の仕事を覗き見る面白さと、どんな職業、人にも当てはまる、生きる上で大切にしていること、生活の上で大切にしている普遍的なことが書かれている。

・作業ともいえないプロセスに言葉を充てることで、読者にその大切さを思い起こさせる。

・他の仕事や、人生にも通じる哲学がある。

・職人の手作りの温かみを懐かしく思い出した。

・仕事への向き合い方で、学ばせられることが多い。

・大工の仕事の面白さと、一人親方で仕事をする自営の楽しさとこだわりを感じた。

・著者の親方の「よくできた仕事を誇りに思うのであれば、同じように不出来な仕事に対しても責任をとらなくてはならない」の言葉は、心に響いた。

という本書全体からの印象が述べられました。ここからは自由に発言がなされ、最初に話題に上ったのは、冒頭で著者が一般競争入札に参加する過程と、入札に関する著書の考えのシーンでした。

 

■入札のシーン 身近な話題に会場がさらに和む

今回は、建築業界関連に従事する方、翻訳、音楽、芸能などフリーの仕事に携わる方、企業にお勤めでノルウェーにも駐在経験がある方など、バックグラウンドの違いによって共感する箇所や視点も違い、様々な意見が出されました。

 

・4社が参加する入札の場合、自分が落札できる確率は4分の1になる、つまり仕事を得るためには入札に4回参加しなければならない。フリーの立場はどの業界も似ている。自分と重ねた。

・4回入札したら自分が1回落札できるという著者の考えは、日本のようにどんな低価格でも引き受けるという企業が現れない社会なんだと思った。

・安ければよいのではない。本書全体の根底にあるのが職人としてのプライド、正しさ、あるべき姿、真摯な姿勢であることに感銘を受けた。

・行政の入札事業では価格だけが注目されがちだが、内容を見て欲しいと思うことはよくある。オーレさんは内容を落とすことなく誠実な値段をだしている。

・報酬が時給の場合、懸命に働いている姿を施主に理解してもらうことが重要だ。同じ時給でも、手の早い人は逆に仕事が増えてしまうという奇妙なループが生まれる。日本もノルウェーも同じなのが面白い。

 

■仕事に対する姿勢や社会について

さらに社会全体の変化にも話題が及びます。オーレさんが25年間働いてきた中で、ノルウェーの建築業界も高学歴で就業する人たちが増え、昔ながらの徒弟制度での技術の伝授や、信頼関係で成立する仕事のやり方が減り、技術のマニュアル化や書面での契約が日常化してきたことがわかります。ノルウェーの社会が、合理化するに伴って、個人の能力や多様性を活かせない不寛容な社会になることを懸念する意見もありましたが、それはそのまま日本にも当てはまることと言えます。

また、アカデミックな傾向が増えることで、汚い仕事や辛い仕事に目をそむけ、職人や掃除の人への扱いが不当なものになっているという指摘にも、日本社会との共通点がありました。

 

■大工の仕事ぶりの話 正確と不正確

本書は全編から「私はこの仕事が好きだ」という仕事に対する深い愛があふれています。また、何でもない言葉の中にも深い意味が込められていることに気づかされます。なかでも文中の「自分は商品だ」「多様性は大事な要素だ」「物は不正確に造るより、正確に造るほうが簡単だ」の言葉には共感の声が多くあがりました。特に業種や立場によって、物事の基準が変わるという視点には大いにうなずかされます。参加者からのご意見を続けます。

 

・正確に造るのがいいのかどうかわからない。芸術は正確である必要があるのだろうか。不正確さは決して間違いではない。でも、不正確が間違いである仕事もあり、両方の立場からこの文章を読むこともできる。

・不正確なものを造るのは難しいが、では、正確はもういいかというとそうではない。正確でないと不正確さはだせない。

・職人の技にはある程度の自由や裁量が必要だ。それがあってこそ、美しさや機能性を享受できるようになるという点が興味深い。

・著者は屋根裏の温度になじませるために作業現場に2週間木材を置く。壁と床の間にもゆとりをもたせる。そこからは正確さだけではなく、ゆとりをもって対応できるさじ加減が、職人の技であり、熟練したいい仕事をする人だということがわかる。

 

正確と不正確についてひとしきり意見が出たあと、こんな発言もありました。

・一流の演奏家には、自信と不安があって、そういう人たちこそ震えるような不安をずっと抱えている。それが、きちんと書かれていた。

書いた人と、読む人が同じレベルで共鳴しているのを感じました。

 

ノルウェーの家の特徴、イケアについて

さて、ここで司会から、屋根裏部屋を改築された知人の写真が紹介され、さらに身近な話題へと花がさきます。屋根裏の改築を頼んだ一家のように、ノルウェー人は古い家を購入して手直ししながら住みます。建物は古いのですが、家の中はハイクオリティな超最先端の家具に囲まれているというのがノルウェーの家の特徴です。クラシカルなものを大切にする国民性ですが、一方で、オスロの都市部の新しいビルは驚くほどモダンなものが立ち並びます。

家具へのこだわりは強く、ノルウェーの現地事務所を移転する際に、「この家具でなきゃだめなんだ」という家具や内装へのこだわりをすごく感じた、との実体験も聞かれました。そんな彼らですから、イケア社は日本では有名な北欧デザインですが、ノルウェーの方は目立つところはお好みの家具を置き、イケアは実用的な使い方をしているというお話もありました。

本書には著者手書きのイラストが何枚かあり、その中には画家ムンク「叫び」の人物もこっそり書かれていることも著者の遊び心を感じます。これは参加者のお一人、美術史を専攻し、ムンク研究を志して院試を控えた学生さんからの指摘です。

さらに盛り上がったのはノルウェーのお昼ごはんの話題です。本書に出てくる「お昼に温かい食事はしない」点について、ノルウェースウェーデンに滞在経験のある参加者のみなさんから、食事の時間帯やその内容まで、事細かに次々と実例があがり、さらに会場は明るい笑い声に包まれました。結論としては、昼食の時間を削っても勤務時間を短縮し、早く帰宅して家族で過ごす時間を大切にしたいという国民性であるとか、1日4回の食事習慣だが内容へのこだわりはないとか、週末のアウトドアライフが話題の中心であるとか、日本とは違う価値観に気付かされました。異文化を知る楽しさでもあります。ただ、以前に比べて食の欧米化が進んだことや、豊富な食材が手に入るようになったこともノルウェーの方からの話として付け加えておきます。

 

■翻訳者のかたから

最後のご紹介となりましたが、当日は本書を翻訳された方も参加されました。読書会の流れの中で、処々色々な情報や翻訳をされるうえでのご苦労等を教えていただきました。

 

・大工仕事がどう進んでいくかわからないと訳せない。右も左も上も下も間違えてはいけないので、絵に書きながら翻訳した。

・屋根の構造や大工の専門用語など初めて見た言葉も多く、建築関係の辞書やWEB検索しても見つからない言葉もあり、工務店や実際の建物のWEBサイトを確認しながらパズルを組み立てるようにして翻訳した。

・著者オーレさんの真面目なお人柄が、翻訳していても伝わってきた。

・著者は大学で文学の勉強もされていて、文学の道と大工の道で将来を悩まれたが、物を造るのが好きだから大工の道を選んだと聞いた。

・本書は著者と編集者とで作業して書いた。

・著者オーレさんは最近も本を出版され、作家の道と大工の道を両立されている。

・翻訳は、先に一次翻訳を全部すませ、その後に監修者が手直しをした。

・本書は出版後、ノルウェーの新聞でも取り上げられた。

DIY好きの方や同業の職人にも愛される文学だと思う。

・日本では書店のブログで取り上げられ、読者が増えた。

・出版から5年経っても本書にご興味を持って頂けることは嬉しく、翻訳者冥利につきる。

 

など、読者だけでは知り得ない生の情報をご提供いただき、本書をより深く理解できたことに感謝申し上げたいと思います。

 

■さいごに

他にもノルウェーの極寒の気候や、男女平等社会を反映した文言が使われている箇所や、建築業界における多民族性、多様性の例や、日本の大工さんの現状などが資料紹介された後、参加者からひと言ずつのコメントがあり、会を終了しました。

参加者それぞれ心に響く言葉や捉え方が違う箇所がこれまでになく多く、読書会では初めての経験でもありました。今回5年ぶりに再読された方からは、「5年間で自分が経験したことと、さらに結びつけられるようになった」とのコメントがあり、その方ひとりの中でも時間の経過とともに見方が変わるというのも本書の魅力といえます。勿論「自分一人で読んでいる時には気づかなかったことを沢山知ることができた」「一冊の本を複数で読むことは、すごい複合的であり立体的だった」という言葉もあり、「さらにもう一度読みたいと思った」「卒論を書くモチベーションがあがった」という嬉しい言葉も聞かれました。司会の「ノルウェー読書会で取り上げてきた中で、ダントツで好きな本だった。一緒に読めたことはとても嬉しかった」の言葉で閉会となりました。オーレさんの新刊も是非いつか読んでみたいと思います。(弘)

 

■次回の予告-------------------------------------------------------------------------------

第15回ノルウェー読書会 2023年2月18日(土)14:00-16:00

ファリダ・アフマディ 著 石谷尚子 訳

『声なき叫び ―「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』

花伝社、2020年、2,200円(税込)