第15回『声なき叫び 「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』読書会ノート

ファリダ・アフマディ著/石谷尚子訳 『声なき叫び 「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』2020年,花伝社 Tause skrik / Silent Screams

 

京都の会場とオンライン参加と、あわせて9名の読書会となりました。大学4年生から定年退職して3年目という方まで幅広い年齢層でしたが、みなさん『声なき叫び』は今回初めて読んだということでした。

この本は、アフガニスタン出身のファリダ・アフマディが、亡命先のノルウェーで執筆した修士論文を書籍化したものです。カブール大学で医学を学んだのち、アフガニスタン民主化運動に身を投じていたアフマディは、2度の投獄と拷問に遭い、1991年に、5ヶ月の娘を連れてパキスタン経由でノルウェーに亡命しました。40代半ばごろ、アフガニスタンにいる女性の厳しい現実を書き記そうと、オスロ大学で人類学を学び始めます。医学生時代に会ったアフガニスタンの女性たちは、身体の不調と痛みを訴えており、それは占領や戦争、貧困、原理主義的な宗教、知識や現代的な医療の不足などが原因でした。ところが、オスロに暮らすマイノリティ女性たちも大勢、同じ症状を抱えていることに気付きます。

〈人の本当の気持ちを理解するには、良い聞き手になることだ。これを目標に、私はオスロのマイノリティ女性の健康調査を始めた。出発点は体の痛みだった。しかしそこで見えてきたのは、精神的、日常的、社会的、経済的な問題の深い穴だった。それと同時に、所属意識を持てないのは、私生活でも社会生活でも認めてもらえない不満に関係していることがわかった。彼女たちはどこかに所属したがっていた!〉(p.250) 

痛みの調査結果から見えてきたのは、マイノリティ女性個人の問題ではなく、著者は「本質を見よ、それは社会構造だ」と繰り返します。研究論文を基にした、難しい内容ではありましたが、読書会での話題は多岐にわたりました。ここではとくに興味深かったトピックスを中心にまとめたいと思います。

 

■最初の感想

「出版されたときから気にはなっていた本。今回読むことができてよかった」「自主的に選ぶ本ではなかったけれども、これを機会に」などの声が複数ありました。読み始めるには気合の要る本だったようです。それでも「過去のノルウェー読書会で一番読み応えのある本」という感想も出ました。「ノルウェー人と関わりがあってもなかなか話題に出ないテーマ。ノルウェー社会を知る上で興味深い読書体験。多文化主義の裏にある実際の経験が描かれていた」「宗教や文化が差別につながるということを知った。イスラム教などについてもっと勉強が必要と感じた」といった感想もありました。

また、福祉先進国のノルウェーで?という方もありました。「移民、難民の生の声が重く、こうした厳しい生活をしている人がいることに驚いた。福祉の進んだ良い国という印象だったが、まったく知らない部分があった。痛みを抱えて生きる移民女性の存在など、日本のメディアからだけではわからないことがある」。ノルウェー社会についての厳しい批判も書かれていますが、それでもやはり「ノルウェーをまったく知らない人が読めば、ノルウェーはここに描かれているような国なんだと思うかもしれないが、その奥に、ノルウェーでさえ、こんな問題があり、これからもっと考えていかないといけないのだ、というメッセージが込められている本」ということばが印象的でした。

 

■日本人には見えにくいノルウェーの状況

ノルウェーでの滞在経験のある参加者のみなさんは、いつでも帰国できる立場にあり、家族も含めて嫌な思いをすることなくノルウェーで暮らしていたとのこと。この本には、短期滞在では見えてこない、移民・難民の状況が描かれているようです。

「3年半ほどの滞在中、オスロ在住で外国人パートナーのいる日本人に、”あなたが付き合っているのは高学歴の人たちばかりで、ノルウェーの真実が見えていない“と言われたことがあったが、この本を読み、こういうことだったのかと思った」

「留学中はいつでも帰国できるパスポートがあり、辛ければ帰る選択肢もあった。この本とはまったく違う生活環境で、差別を受けた経験もないが、マイノリティとしての痛みは感じていた。それをもっと知りたいと思って読書会に参加した」

「計3年間ノルウェーにいたが、この本を読んで、マイノリティの女性の声が拾われていないことがわかった。出版当時の2008年ごろと、その10年後の滞在だったが、その間、状況にそれほど変化はなく、いまも変わっていない」

「1994年、人口8500人の小さな町に家族と住んでいた。地元紙が大きく取り上げてくれ、子どもたちは地元の学校に通い、家族も大事にしてもらった。そのころ、進歩党は国会に1議席しかなかった。その後、右派が勢力を伸ばし、ノルウェー社会も大きく変わっていったことは、情報としては知っているが、体験してはいない。以来十数回訪問し、ノルウェーには計1年ほど滞在して調査したが、十分知らない社会状況が描かれていた」

 

■『声なき叫び』というタイトル

タイトルについては、〈文化が根本的に違うという考え方が政策に取り入れられると、マイノリティ女性は自分の暮らしぶりを受け入れざるを得なくなるし、マジョリティの側にいる人達はマイノリティ女性の文化や宗教を非難するようになってしまう。そうするとマイノリティ女性は、公の場でもプライベートでも自分が抱える痛みを口にしなくなる。それが、本書のタイトルを『声なき叫び』にした最も大きな理由〉(p.28)とあります。読書会では、痛みを認めてもらえない一方で、マイノリティ女性たちがノルウェーの制度をうまく使いこなせていなかった、という指摘がありました。女性たちが自分の問題を夫に相談したという記述がなく、家庭内でも共有できていなかったことが、外の社会に向かうときにも影響を及ぼし、“声なき”状況になったのでは?という意見でした。

ノルウェーは、恵まれない人だけでなく、全員のための福祉を築き、ノルウェー人は誇りをもってそれを使っている。ただし、だれでもその仕組みに放り込めば勝手に幸せになるのではない。子どものころからの教育を通して、自分のことは自分で決め、家族や先生に自分の意見をきちんと言い、18歳になったら自立する、という前提で成り立っているのが北欧の福祉。したがって、幸福度の高い高福祉国家に連れてきたら、だれもが幸せになれるというものではない」

 

■制度があっても救われない

p.197〜199には、戦争が原因でアフガニスタンを出て、ノルウェーに来ざるをえなかった元教師ショゴファの困難が語られています。ショゴファは、無理解を示す社会福祉事務所で激高し、戦禍を嘆いて訴えますが、対応する若いケースワーカーは、ショゴファに〈私は戦争のことを知らないの〉と言って、精神科の受診を勧めます。クライアントに寄り添う「戦争のことを知らなくてごめんね」ではなく、「私は知らない」と言い切ることに衝撃を受けた、という方もありました。

社会福祉事務所とは、社会経済的に困難な状況にいる人々がより良い生活ができるように手助けをする目的で作られた組織〉(p.207)ですが、〈社会福祉事務所は問題を解決するよりも悪化させるだけの組織であると言う。“社会福祉事務所には行きたくありません。あそこに行くと、どっと苦しくなるんです”〉(p.213)という記述があります。社会福祉を教えてきた方からは、なぜこういうことが起きているのか考えさせられる、という発言がありました。日本でも介護保険などの制度化が進み、保険料を納めればだれもが使えるようになりました。しかし、標準化とマニュアル化によって、個別の事情は考慮されにくくなり、物事は決められた通りに進められ、一律的な対応が行なわれるようになります。

ケン・ローチの映画(『わたしは、ダニエル・ブレイク』2016年)でも描かれていたが、社会福祉事務所は本来の働きができておらず、やる気のある職員は上司に叱られてよい仕事ができない状況。この本がノルウェーでの状況をはっきり示せたのは、やはり当事者だからこそ」

なにか困ったことがあると、「スマホで調べたら? 〇〇に聞きに行けば?」とアドバイスしがちですが、「PCやスマホを使いこなせない人や、ことばにハンディのある人には操作も難しい。情報へのアクセスが難しい人は大変だろうなと思った」と、高齢のご家族のことを思いながら話す方もありました。

ノルウェー語を話すと、“30年ノルウェーに暮らしていながら、ノルウェー語が話せない人がいるのに、日本人のあなたはえらい”と褒めてくれるノルウェー人が多い。私もこの本を読むまでは、自分の意思でノルウェー語を学んでいない人がたくさんいると認識していた」というコメントもありました。ノルウェーでは、勉強できる制度は整っているのにその情報を得られないだけでなく、家庭の事情でそこに到達できない人もいる。外国人について、そこまで想像が追いつかない現状は、日本も同じです。

 

■それでも“聞かれざる声に耳を傾ける”

ノルウェー音楽療法に詳しい方からは、“コミュニティ音楽療法”の考え方が紹介されました。ノルウェーでは、問題はクライアント本人にあるのではなく、周りとの関係性の問題ととらえ、周辺の人を巻き込んで解決していくのが主流。それを象徴するのが“聞かれざる声に耳を傾ける”という表現で、それが音楽療法士の仕事なのだそうです。この「聞かれざる声」こそ、まさに「声なき叫び」。実際にノルウェーでは移民・難民も音楽療法のクライアントで、中西部内陸の難民収容施設でのセッションで出会った子どもたちの眼が忘れられない、とのことでした。

「怒りというか、不安を抱えた、よそで見たことのない眼。ドイツ語、英語ができ、ノルウェー語も半年でペラペラ。この本にはノルウェー語がうまく使えない大人のことが描かれていたが、あの子たちはことばを身に付けなければ生きていけないんだなと、あのとき心に刻まれた」

「もうすぐ定年を迎える、音楽療法の恩師は、“まだやめられない。なぜならノルウェー社会にはまだまだ不公平さがあるからだ。それに取り組まなければならない”と言っていた。日本人からすれば、あんなに整った国なのに、なかにいる人にしてみたら、あるいはそういうことに対して感度の鋭い人にしてみたら、まだまだすべきことがあると映るんだなと思った」

 

多文化主義と同化主義

「フランスは同化主義を取っていて、ノルウェー多文化主義とは違うということはわかったが、制度についてもうひとつイメージが湧きにくい」という声がありました。『声なき叫び』がノルウェーで出版された2008年ごろは、ヨーロッパ中で移民問題が注目され、ノルウェーでも国内外の移民・難民の問題が取り上げられていました。その少し前、2004年から2008年までフランスでの留学経験がある方から、当時のフランスの様子をうかがいました。

シラクからサルコジ政権に変わり、外国人に厳しい政策が取られるようになった。大学改革が続き、留学生の学費も倍増。フランスで叩き込まれたのは、多文化主義に相当するコミュニタリズムは絶対に許されないということ。フランスでは、それぞれの国の出身者によるコミュニティを作らせない。フランスに来た人はみな、自由・平等・博愛の原則に基づき、フランス人なのだ、と。イスラム教徒のスカーフもキリスト教の十字架のペンダントも、宗教的なシンボルは学校では禁止。宗教を中心に生きてきたムスリムの人には抵抗もあるだろうし、家庭の内と外とでギャップも生まれる。結果的には、スラム化した地域にコミュニティができてしまっていた。外国人にとって、フランスはなんて厳しいんだ、と毎年思っていた。その後ノルウェーに来て、マイノリティにとって住みやすい社会という印象を受けたが、フランスとの対比で思い込んでいた節もある」

日本でもノルウェーでも多文化主義はよいもので、「違いを尊重するのはいいことなんじゃないの?」と考えます。ところが著者は、〈かけがえのない一人の人間としてではなく、民族や国籍や宗教で区分けしたグループの単なるメンバーとして捉えられる移民女性たち〉(カバー袖)が宗教的グループでは自分の問題を解決することができず、家父長的な考え方に抑圧され、さらに声を失くしていく過程を説明します。多文化主義に対する日本的な考え方と著者の考え方の違いをよく自覚しておかないと、この本の問題提起は理解しにくい、というアドバイスがありました。

 

■本質は社会構造

兵器産業や戦争を続けることで儲けるグローバル経済の構造。ノルウェーから建設費を得て建てられるノルウェー国内のモスクは、そこに集まる利用者の数によって活動補助金が増えていく構造です。モスクは人をさらに獲得しようとし、そこで保守的な家父長制が再生産され、問題は文化の違いということに収斂していきます。性器切除や名誉殺人ばかりにマスコミが注目することで、構造的な差別の仕組が明らかにならず、マイノリティ女性の痛みはいつまでも解決されないのだ、と著者は断じています。

 

■無職の痛み

「田舎の町でノルウェー語教室に通っていたときの話。タイで非常に優秀な医師だった人が、ノルウェーでは医師として働けず、高校からやり直して、いま助手を務めているということだった。そこを乗り越えていく力がないと、自分の国でどんなにいい仕事に就いていても難しいんだなと思った」

これは参加者のひとりがノルウェーで出会った移民の話ですが、p.212に〈無職の痛み〉という表現が出てきます。故郷では、高等教育を受け、社会に役立つ仕事をしていたのに、ノルウェーではその能力が一切認められず、社会の負担になりなくないと考えているのに、「職なし」として扱われる辛さ。無職では自信や自尊心をもてず、無力感に陥ります。マイノリティの多くは、その仕事に意義が見いだせずとも、与えられた仕事は受け入れなければならないと無理し、心身に不調と痛みをきたします。能力に応じた就労を叶えることが、女性の心身の健康に繋がっていくと著者は述べます。

また、著者は、極右政党の〈進歩党が“我々の福祉”と言い〉(p.206)、メディアが移民を〈福祉のサービスを奪っていく存在〉(p.95)として描くことの問題を指摘します。ノルウェーにはいざというときに頼ることのできる制度が整っていますが、マイノリティに就労を保証できなければ、その人たちを敵視される立場に追いやることになります。就労を阻む原因、ノルウェー人がしたがらない仕事を移民が担っている現実が伝わっていないことも問題視しています。

 

■“私たちにできることは、”を考えさせられる本

最後に、読書会の感想をみなさんからうかがいました。いくつかご紹介して、今回のまとめとしたいと思います。  

「この本は、世界の抱える諸問題を考えるときのひとつの視座を提供している。当事者として説得力があり、問題の根本を掴んでいると思った」

「留学生と関わることが多い。グループの一員としてではなく、一人の人として付き合っていくということをもっと意識し、考えていかないといけないと思った」

「〈人の本当の気持ちを理解するには、よい聞き手になることだ〉とあるが、よい聞き手になるのは簡単ではない。日本人だからこう、男だから、何歳だからこう、というフィルターをかけがちだが、そういうフィルターを外すことがよい聞き手になる一番の方法かなと思う。そういう意味でも、自分の北欧に対するフィルターを外してくれる本だった」

「外国籍の人に介護職に就いてもらうための介護研修に関わっている。研修に来てくれるのは、ことばも情報収集もできる優秀な人たちだと改めて実感した。研修を終えて修了証書を手にするとき、みなさん、涙を流される。介護の資格を取って日本の介護分野で働きたいといって来てくれることをもっと真摯に受け止めたい。自分の仕事への向き合い方に影響を与える読書体験だった」

「なにかがうまくいかないとき、“文化が違う”とか、“あなたたちの文化を尊重します”とよく言うが、本当に尊重しているのか、自覚的にならないといけない。いまの時代、自分とは前提条件が違うものや人との出会い方を学んでおかないと、なかなか“文化の違い”の先には進めない。そこで傷付き、ストレスを受けた経験が自分にもある。難民の境遇となれば、健康を害するほどの痛みになっていることは容易に想像がつく。これからの自分のテーマにしたい」

ウクライナのことではないが、日本語版に向けてのあとがきに、2020年の時点で、もう第三次世界大戦は始まっている、わたしたちにできることは行動を起こすこと、と書かれている。やっぱり自分の行動を変えていくのが大切だと思った。ノルウェーで生活した方の話もあって興味深かった」  (千)

                                     

■次回の予告

第16回ノルウェー読書会 2023年5月20日(土)14:00〜16:00

ペール・ペッテルソン 著 西田英恵 訳 『馬を盗みに』

白水社,2010年,2,300円+税

 

第15回ノルウェー読書会のお知らせ『声なき叫び』

第15回ノルウェー読書会のお知らせ『声なき叫び』

 

15thノルウェー 読書会のお知らせです。

 

2月18日(土)の第15回ノルウェー読書会は、ファリダ・アフマディ 著/石谷尚子 訳 『声なき叫び』(花伝社、2020)を取り上げます。

アフガニスタンでの迫害を経てノルウェーに移住し社会人類学者になった著者は福祉の網の目から抜け落ちたマイノリティ女性たちの存在に気づく。※出版社の内容紹介から

 

ご参加、お待ちしています。詳細は下記のチラシをご覧ください。

 

 

第14回『あるノルウェーの大工の日記』読書会ノート

オーレ・トシュテンセン 著/牧尾晴喜 監訳/中村冬美 リセ・スコウ 翻訳

『あるノルウェーの大工の日記』エクスナレッジ、2017年

 

本書はノルウェー人の大工、オーレ・トシュテンセン氏によって書かれ、「ノルウェーでベストセラーとなり、世界14か国に翻訳権の売れた話題のエッセイ(本書帯)」です。ノルウェーの首都・オスロに住むある家族の屋根裏改築の入札に参加し、契約、施工着手するところから始まり、完成した屋根裏部屋を家族に引き渡すまでの約4か月の日々が描かれています。


読書会の冒頭、司会から『ブックデザイン365』(パイインターナショナル社、2020年)で、本読書会第1回目で取り上げた『薪を焚く』(晶文社、2019年)と、見開きの同じページでノルウェーの本が取り上げられていることが紹介されました。両書とも魅力的なブックデザインであるとともに、大工道具や薪割の道具など、人が手にする身近な道具がデザインにあしらわれている点などがノルウェーらしい雰囲気を伝えています。

       


■感想 日記でありながら、深い人生哲学、職人のこだわりを感じる

まずは参加者の自己紹介とともに、本書の感想を語り合いました。「2017年の新聞広告にでた日に、本屋さんに買いに走った」という方もいれば、ずっとツンドク状態で「何でもっと早く読まなかったのだろう」という方もいて、和やかな雰囲気で会がすすみます。

平易で温かで率直な文章から伝わるノルウェーの文化、気候の描写や通りやお店の名前などから、初めて読む方にも北欧オスロの冬から春の風景が浮かびます。

 

・個人の日記として、自分のためでもありながら誰かと共有したい、多くの人にも知ってもらいたいという思いを感じた。

・様々な人と関わり、自分がどう過ごしたのかが、物を造り上げる過程と結びついている。

・片付けや準備に関わる職人の細かい作業、「職人のお作法」のようなものが全編に満ち溢れ、気持ちがすとんとまっすぐになる。

・専門的な大工の仕事を覗き見る面白さと、どんな職業、人にも当てはまる、生きる上で大切にしていること、生活の上で大切にしている普遍的なことが書かれている。

・作業ともいえないプロセスに言葉を充てることで、読者にその大切さを思い起こさせる。

・他の仕事や、人生にも通じる哲学がある。

・職人の手作りの温かみを懐かしく思い出した。

・仕事への向き合い方で、学ばせられることが多い。

・大工の仕事の面白さと、一人親方で仕事をする自営の楽しさとこだわりを感じた。

・著者の親方の「よくできた仕事を誇りに思うのであれば、同じように不出来な仕事に対しても責任をとらなくてはならない」の言葉は、心に響いた。

という本書全体からの印象が述べられました。ここからは自由に発言がなされ、最初に話題に上ったのは、冒頭で著者が一般競争入札に参加する過程と、入札に関する著書の考えのシーンでした。

 

■入札のシーン 身近な話題に会場がさらに和む

今回は、建築業界関連に従事する方、翻訳、音楽、芸能などフリーの仕事に携わる方、企業にお勤めでノルウェーにも駐在経験がある方など、バックグラウンドの違いによって共感する箇所や視点も違い、様々な意見が出されました。

 

・4社が参加する入札の場合、自分が落札できる確率は4分の1になる、つまり仕事を得るためには入札に4回参加しなければならない。フリーの立場はどの業界も似ている。自分と重ねた。

・4回入札したら自分が1回落札できるという著者の考えは、日本のようにどんな低価格でも引き受けるという企業が現れない社会なんだと思った。

・安ければよいのではない。本書全体の根底にあるのが職人としてのプライド、正しさ、あるべき姿、真摯な姿勢であることに感銘を受けた。

・行政の入札事業では価格だけが注目されがちだが、内容を見て欲しいと思うことはよくある。オーレさんは内容を落とすことなく誠実な値段をだしている。

・報酬が時給の場合、懸命に働いている姿を施主に理解してもらうことが重要だ。同じ時給でも、手の早い人は逆に仕事が増えてしまうという奇妙なループが生まれる。日本もノルウェーも同じなのが面白い。

 

■仕事に対する姿勢や社会について

さらに社会全体の変化にも話題が及びます。オーレさんが25年間働いてきた中で、ノルウェーの建築業界も高学歴で就業する人たちが増え、昔ながらの徒弟制度での技術の伝授や、信頼関係で成立する仕事のやり方が減り、技術のマニュアル化や書面での契約が日常化してきたことがわかります。ノルウェーの社会が、合理化するに伴って、個人の能力や多様性を活かせない不寛容な社会になることを懸念する意見もありましたが、それはそのまま日本にも当てはまることと言えます。

また、アカデミックな傾向が増えることで、汚い仕事や辛い仕事に目をそむけ、職人や掃除の人への扱いが不当なものになっているという指摘にも、日本社会との共通点がありました。

 

■大工の仕事ぶりの話 正確と不正確

本書は全編から「私はこの仕事が好きだ」という仕事に対する深い愛があふれています。また、何でもない言葉の中にも深い意味が込められていることに気づかされます。なかでも文中の「自分は商品だ」「多様性は大事な要素だ」「物は不正確に造るより、正確に造るほうが簡単だ」の言葉には共感の声が多くあがりました。特に業種や立場によって、物事の基準が変わるという視点には大いにうなずかされます。参加者からのご意見を続けます。

 

・正確に造るのがいいのかどうかわからない。芸術は正確である必要があるのだろうか。不正確さは決して間違いではない。でも、不正確が間違いである仕事もあり、両方の立場からこの文章を読むこともできる。

・不正確なものを造るのは難しいが、では、正確はもういいかというとそうではない。正確でないと不正確さはだせない。

・職人の技にはある程度の自由や裁量が必要だ。それがあってこそ、美しさや機能性を享受できるようになるという点が興味深い。

・著者は屋根裏の温度になじませるために作業現場に2週間木材を置く。壁と床の間にもゆとりをもたせる。そこからは正確さだけではなく、ゆとりをもって対応できるさじ加減が、職人の技であり、熟練したいい仕事をする人だということがわかる。

 

正確と不正確についてひとしきり意見が出たあと、こんな発言もありました。

・一流の演奏家には、自信と不安があって、そういう人たちこそ震えるような不安をずっと抱えている。それが、きちんと書かれていた。

書いた人と、読む人が同じレベルで共鳴しているのを感じました。

 

ノルウェーの家の特徴、イケアについて

さて、ここで司会から、屋根裏部屋を改築された知人の写真が紹介され、さらに身近な話題へと花がさきます。屋根裏の改築を頼んだ一家のように、ノルウェー人は古い家を購入して手直ししながら住みます。建物は古いのですが、家の中はハイクオリティな超最先端の家具に囲まれているというのがノルウェーの家の特徴です。クラシカルなものを大切にする国民性ですが、一方で、オスロの都市部の新しいビルは驚くほどモダンなものが立ち並びます。

家具へのこだわりは強く、ノルウェーの現地事務所を移転する際に、「この家具でなきゃだめなんだ」という家具や内装へのこだわりをすごく感じた、との実体験も聞かれました。そんな彼らですから、イケア社は日本では有名な北欧デザインですが、ノルウェーの方は目立つところはお好みの家具を置き、イケアは実用的な使い方をしているというお話もありました。

本書には著者手書きのイラストが何枚かあり、その中には画家ムンク「叫び」の人物もこっそり書かれていることも著者の遊び心を感じます。これは参加者のお一人、美術史を専攻し、ムンク研究を志して院試を控えた学生さんからの指摘です。

さらに盛り上がったのはノルウェーのお昼ごはんの話題です。本書に出てくる「お昼に温かい食事はしない」点について、ノルウェースウェーデンに滞在経験のある参加者のみなさんから、食事の時間帯やその内容まで、事細かに次々と実例があがり、さらに会場は明るい笑い声に包まれました。結論としては、昼食の時間を削っても勤務時間を短縮し、早く帰宅して家族で過ごす時間を大切にしたいという国民性であるとか、1日4回の食事習慣だが内容へのこだわりはないとか、週末のアウトドアライフが話題の中心であるとか、日本とは違う価値観に気付かされました。異文化を知る楽しさでもあります。ただ、以前に比べて食の欧米化が進んだことや、豊富な食材が手に入るようになったこともノルウェーの方からの話として付け加えておきます。

 

■翻訳者のかたから

最後のご紹介となりましたが、当日は本書を翻訳された方も参加されました。読書会の流れの中で、処々色々な情報や翻訳をされるうえでのご苦労等を教えていただきました。

 

・大工仕事がどう進んでいくかわからないと訳せない。右も左も上も下も間違えてはいけないので、絵に書きながら翻訳した。

・屋根の構造や大工の専門用語など初めて見た言葉も多く、建築関係の辞書やWEB検索しても見つからない言葉もあり、工務店や実際の建物のWEBサイトを確認しながらパズルを組み立てるようにして翻訳した。

・著者オーレさんの真面目なお人柄が、翻訳していても伝わってきた。

・著者は大学で文学の勉強もされていて、文学の道と大工の道で将来を悩まれたが、物を造るのが好きだから大工の道を選んだと聞いた。

・本書は著者と編集者とで作業して書いた。

・著者オーレさんは最近も本を出版され、作家の道と大工の道を両立されている。

・翻訳は、先に一次翻訳を全部すませ、その後に監修者が手直しをした。

・本書は出版後、ノルウェーの新聞でも取り上げられた。

DIY好きの方や同業の職人にも愛される文学だと思う。

・日本では書店のブログで取り上げられ、読者が増えた。

・出版から5年経っても本書にご興味を持って頂けることは嬉しく、翻訳者冥利につきる。

 

など、読者だけでは知り得ない生の情報をご提供いただき、本書をより深く理解できたことに感謝申し上げたいと思います。

 

■さいごに

他にもノルウェーの極寒の気候や、男女平等社会を反映した文言が使われている箇所や、建築業界における多民族性、多様性の例や、日本の大工さんの現状などが資料紹介された後、参加者からひと言ずつのコメントがあり、会を終了しました。

参加者それぞれ心に響く言葉や捉え方が違う箇所がこれまでになく多く、読書会では初めての経験でもありました。今回5年ぶりに再読された方からは、「5年間で自分が経験したことと、さらに結びつけられるようになった」とのコメントがあり、その方ひとりの中でも時間の経過とともに見方が変わるというのも本書の魅力といえます。勿論「自分一人で読んでいる時には気づかなかったことを沢山知ることができた」「一冊の本を複数で読むことは、すごい複合的であり立体的だった」という言葉もあり、「さらにもう一度読みたいと思った」「卒論を書くモチベーションがあがった」という嬉しい言葉も聞かれました。司会の「ノルウェー読書会で取り上げてきた中で、ダントツで好きな本だった。一緒に読めたことはとても嬉しかった」の言葉で閉会となりました。オーレさんの新刊も是非いつか読んでみたいと思います。(弘)

 

■次回の予告-------------------------------------------------------------------------------

第15回ノルウェー読書会 2023年2月18日(土)14:00-16:00

ファリダ・アフマディ 著 石谷尚子 訳

『声なき叫び ―「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち』

花伝社、2020年、2,200円(税込)

第14回ノルウェー読書会のお知らせ『あるノルウェーの大工の日記』

14th ノルウェー読書会のお知らせです。

 

12月10日(土)の第14回ノルウェー読書会は、オーレ・トシュテンセン 著/中村冬美 リセ・スコウ 訳/牧尾晴喜 監訳 『あるノルウェーの大工の日記』(エクスナレッジ、2017)を取り上げます。

ノルウェーでベストセラーとなり、世界14か国に翻訳権の売れた話題のエッセイ。(本書帯より)

ご参加、お待ちしています。詳細は下記のチラシをご覧ください。

 

【番外編】ノルウェーの図書館、いくつか(2022年夏)

 2022年夏、ノルウェー滞在中に図書館を訪ねました。ノルウェーの本つながりということで、以下にいくつか紹介したいと思います。

1.オスロダイクマン・ビョルヴィーカDaichman Bjørvika i Oslo

 オスロ中央駅を南に出てすぐ、地階を含め6階建ての吹き抜けの建物。官庁街にあった旧ダイクマン図書館が湾岸のビョルヴィーカ地区に移転し、2020年にオープンしたばかりです。市内20数カ所の公共図書館がすべてダイクマン図書館となって全館がネットワークで繋がっており、このダイクマン・ビョルヴィーカが本館にあたります。

https://www.visitoslo.com/no/artikler/deichman-bjorvika/

館内は吹き抜けで、窓が大きく、開放感があります

      

 本だけでなく、ミシンや3Dプリンターなどが使えるワークスペース、音楽室やミニシアター、有料の大小ミーティングルーム、レストランにショップなども備え、従来の図書館機能の枠を越えた設備に驚きました。ノルウェーで本に関わる仕事をしている友人が、「ここができるまでに、本の貸し出しだけが図書館の役割じゃないよね、作家を招いたイベントや本をきっかけに市民にもっと足を運んでもらって、図書館をどんどん活用してもらうべきだよねっていう声があったんだよ」と教えてくれました。知り合いのドイツ人の翻訳者は「新ダイクマン建設中、視察に来たフィンランド人がここからいろんなアイデアをもって帰って、先にヘルシンキの中央図書館を完成させちゃったのよ」と、どこか悔しそうに話していました。海沿いのこのビョルヴィーカ地区には、オスロ・オペラハウスや新ムンク美術館もあり、新しい文化ゾーンとして人気の観光スポットとなっています。ダイクマン・ビョルヴィーカも観光客や見学者が多く、ざわついていて少し落ち着かない印象ですが、読書/自習スペースはたっぷり設けられていますので、静かに過ごせる席を探してみてください。

 

2. ヴェンネシュラ市 文化センター&図書館 Vennesla kulturhuset

「クリスチャンサンに行くなら、近くにそれは美しい図書館があるよ」と教えてもらい、訪ねました。ノルウェー南端のクリスチャンサンから北へ約17キロのヴェンネシュラ市にあるこの建物は、2011年の木造建築大賞、2012年にはノルウェー建築大賞を受賞しています。木材をたっぷりと使った曲線の多い館内は、温かみのある宇宙船とでも例えましょうか。

ヴェンネシュラ文化センターのパンフレット ↑

 

かんたんなノルウェー語で書かれた本のコーナー

 あちこちにあるゆったりとした読書スペースのほか、子どもの本の棚には、ひとりで本に集中できる小さな子ども用のスペースが設けられています。ハンディがある人にも読みやすい、かんたんなノルウェー語で書かれた本〈Bok til alle だれもが読める本〉も一角にわかりやすく集められていました。ヴェンネシュラ市に限らず、ノルウェー公共図書館では、DVDやCD、ゲーム類も貸し出し、おもちゃやゲーム機器、DVDの視聴コーナーを備えた館内では、幼児から10代の若者まで、だれもが楽しく過ごせるよう工夫されています。テーマ展示は社会の関心事が反映されますが、夏の「ノルウェー・プライド」の時期、ここではLGBTQをテーマに、とくにYA(ヤングアダルト)作品がたくさん紹介されていました。訪問したこの日は閑散としており、司書の方によると「夏休みはいつもより利用者が少ない」とのこと。入口のカフェだけは高齢のみなさんが仲間同士で集まり、賑わっていました。店員さんとのやり取りから、常連だとわかります。町の大通りにあるため、犬の散歩や買い物に出てきた人たちが表のベンチで一服したり、おしゃべりしたりしている姿が印象的でした。

 ノルウェー統計局の定義では「中規模コミューネ」に分類されるヴェンネシュラ市ですが、「人口約15,000人の町で、こんなにお金の掛かりそうな図書館を建てることに反対は出なかった?」とヴェンネシュラの人にたずねてみたところ、「これまで文化活動といえば、大学や文化施設をいくつも備えた隣のクリスチャンサン市まで出かけるのが当然だったのが、工場しかない自分たちの町にコンサートもできる文化センターができたこと、そして、よそからたくさんの人が訪ねて来てくれることに、驚きと喜びと誇りを感じている人が多いと思うよ」とのことでした。文化センターという名の通り、コンサートや講演会も頻繁に開催されているそうです。

 

3.オスロダイクマン・トイエン Daichman Tøyen i Oslo

       

 移民の多いトイエンに滞在中、トラムの駅を出てすぐのショッピング・レストラン街の一角に図書館を見つけました。外から見ると小さな図書館ですが、ひっきりなしに人が出入りしています。入ってすぐに居心地よさそうな休憩スペースがあり、飲食可の館内ではお昼どき、持参したパンを食べながらおしゃべりしている人が何人もいました。奥にはコーヒーの自販機。古い建具や家具をうまくアップサイクルしていて、まるで街角のおしゃれなカフェのよう。奥の絵本コーナーでは小さな子どもたちが靴を脱いで本を楽しみ、親御さんたちもすぐ近くで本を手にくつろいでいます。入口すぐ横の広いホールは、ちょっとした集まりやコンサートの会場にもなります(開催イベントの内容によっては使用料がかかります)。

 

 入口付近の新刊コーナーは充実していますが、蔵書は少なめ…かと思ったら、幅広いテーマの書架の並ぶ大きな地階がありました。地域的なせいか、外国人向けの語学書の棚とYA作品の棚が大きく取ってあります。PCコーナーでは、移民の男性が熱心に調べ物をしていました。一脚の椅子とランプを詩集の棚で囲んだ一角は、詩の小部屋といった雰囲気。ソファや学校の古い勉強机が適度な間隔で配置され、1階とは違った雰囲気の読書スペースになっています。

 

 YAコーナーには、分厚いビニルカーテンで仕切られたなかに6、7人で囲めるコンセント付きのテーブルがありました。この図書館に行くたび、ヒジャブを被った移民の女の子たちが集まっておしゃべりし、楽しげな笑い声を上げていました。夏休みが明ければここでラップトップを開いて、わいわいグループワークをしているのかもしれません。

YAコーナーの一角には、いつも若い女の子たちが集まっていました

 園芸の書籍コーナーには〈たねの図書館〉という図書カードケースがあり、紙に包んだ植物のたねが入っていました。「春にこのたねを借りて花を育て、秋に採れたたねをここに返しに来てください」とあり、QRコードで栽培方法とたねの採取方法がわかるようになっています。市内7つのダイクマン分館にたねの図書館があり、これはたねの無料配布コーナーではなく、たねの採取という、むかしからの知識と技術を普及させることが目的の取り組みなのだとか。

たねの図書館

 トイエンに12年ほど暮らしている友人に「ここの図書館は本当におもしろいね。利用者も多いし、子どもたちがとにかく楽しそうにしていたよ」と話すと、「移民家庭は大家族のうえにアパート暮らしが多くて、家では子どものプライベート空間が本当に小さい。だから路上以外の、子どもたちが安心してのびのび過ごせる場所が地域には必要なんだ。図書館のような公共スペースなら親も安心だし、ノルウェーの図書館では大人が子どもに〈静かにしなさい!〉と叱ることもない。そうそう、トイエンには10歳から15歳までの子どもしか入れない図書館もあるんだよ」と教えてくれました。

10歳から15歳の特権ビブロ・トイエン、大人は立入禁止!

 そのビブロ・トイエンBiblo Tøyenは、ダイクマン・トイエンから70メートルほど離れたところにありました。大人は見学もできませんが、朗読会や宿題の手伝い、料理の日、ピンポン大会に工作、音楽の日などの予定が外に書かれています。10歳から15歳という年齢設定が絶妙です。夏といえば、ノルウェー人は長いバカンスに出かけるのが常ですが、そんな余裕のない家庭の子どもの夏の過ごし方が長らく社会問題として取り上げられてきました。スポーツ団体や市民団体がさまざまな夏のプログラムを実施していますが、ビブロ・トイエンは1年を通して子どもたちにさまざまな活動や居場所を提供し、地域の子どもたちの成長の一助となっています。

 ノルウェーでは個人が読み終えた本の交換コーナーがあちこちに設けられていますが、このダイクマン・トイエン前の交換コーナーは目が離せません。なぜなら、ここは並ぶ本が毎日変わるから!(本の入れ替えが頻繁に行なわれず、埃のかぶった交換コーナーも多いのです) ある日、大型の立派な編み物の本が出ており、素敵だなぁと眺めていると、向かいで本を見ていたエチオピアからの移民のおじいさんが「ここの本は欲しかったら、持って帰っていいんだよ。ノルウェーは本が高いから、ありがたいね」と声をかけてくれました。

利用者自身が自動貸出機で貸出や返却の手続きを行ないます

 また、もうひとつノルウェーの図書館で羨ましく思ったのが〈開館延長図書館 Meråpent bibliotek〉というシステムです。これが導入されている図書館では、貸出カードを持参して所定の登録手続きをすると、通常の開館時間の前後も館内で過ごすことができます(15歳未満の人は保護者の付き添いが必要)。ダイクマンではトイエンを含め13の分館で、毎日朝7時から夜22時まで利用できます。本の貸出と返却は自動貸出機で利用者自身が行ないます。トイエンにない本は、ネットワークで別のダイクマン図書館から取り寄せることができ、貸出機横の棚に届けられます。司書の方によると、市内どこのダイクマン図書館もよく似たサービスを提供しているそうですが、地元の人の生活の一部となっているこのダイクマン・トイエンの居心地と雰囲気は、旅行者の私にとっても最高でした。

 

4.ヴォルダ市 ヴォルダ市民図書館 Volda folkebibliotek

 ここは、この夏、一番よく利用した図書館で、市役所隣りの建物1階、立ち寄りやすい場所にあります。小さな図書館ですが、ガラス張りの個室もあり、ラップトップを持ち込んで仕事もできます。ノルウェーの図書館はどこも無料のWi-Fiが使え、アジア系の男の子がいつもこの個室でラップトップやスマホを使っていました。ほかにも、小さな子どもや新聞を読みに立ち寄るお年寄りなど、常連の利用者が多く見られ、それぞれの居場所なのだと感じられました。アフリカ系の男性がメールを送るためにPCを使いに来たり、若いノルウェー人の女の子がコーヒーとスマホを手に窓際で休憩していたりと、図書館の使い方はさまざまです。

 ヴォルダ市の図書館HPには、さまざまなデジタルサービスも紹介されています。電子書籍・映画の貸出アプリ、短編/ドキュメンタリー映画を無料で見られるフィルムアプリ、国内図書館の横断検索、国立図書館デジタルHP、移民の子どもの語学支援のための多言語のノルウェー童話・童謡集、多言語の電子書籍アプリ、子どもと若者のためのニーノシュク関連サイトなど、ヴォルダ図書館が契約しているサービスは、貸出カードを持つ利用者であれば、図書館の本と同じように無料で閲覧・視聴できるようになっています。デジタル時代ならではのサービスです。https://www.volda.kommune.no/bibliotek/digitale-teneste/ 

Møre 紙(2022.07.08)より

 ヴォルダ市を発つ前日、地元紙の記事にヴォルダ市民図書館でもミシンの貸出が始まるとありました。SDGsが日常的なトピックスになっているノルウェーでは、洋服のアップサイクルのTV番組が人気だそうで、ミシンを使いたいという人は図書館に来れば、ミシンを含め裁縫道具を自由に使うことができるようになります。そして図書館は、近くの関連企業や商店、洋裁に関わりのある団体や個人に協力を求めており、ここからどんな市民活動が生まれていくのかな、とわくわくしました。(千)

 

 

 

 

第13回 『小さい牛追い』読書会ノート

マリー・ハムズン作、石井桃子訳『小さい牛追い』岩波少年文庫、1950年

 

はじめに

 『小さい牛追い』は、1950年12月25日に創刊された岩波少年文庫の最初の5冊の内の1冊であり(創刊の中心的な役割を担ったのが訳者の石井桃子)、「70周年記念」ということで「ダブルカバー」で出されている本があることが司会者から紹介され、また、作者の名前が「ハムズン」とされているがノルウェー語では「ハムスン」と発音されることがノルウェー語の専門家から指摘があった(2005年、新版第1刷発行)。

 なお、若菜晃子編著『岩波少年文庫のあゆみ1950-2020』(岩波少年文庫別冊2、2021年)を見ると、翌1951年発行の『牛追いの冬』(翻訳の底本となったA NORWEGIAN FARM, 1933 を、日本語版では2冊に分けて出版した)には、カラーの口絵がついていたこともわかる。読書会でも「カバーや文中の挿絵(エルザ・ジェム作)が興味深い」という声が、参加者の多くからあがった(例えば、11頁の乳搾りの様子、51頁のアンナの姿など)。

 

1.参加者の感想

 最初に、読んだ感想についてそれぞれが出し合った。

・「子どもの気持ちがうまく描かれているので、読み手が自分の子ども時代と結びつけて理解することができる」

・「子どもの名前や牛の名前などが混同するので、それらを書きだした“相関図”を作りながら読み進めた」

・「訳者の石井桃子さんの農業体験が反映されていると思えた」(石井さんは終戦後、宮城県で農業を営んでいた)

・「先日、避暑にいった岡山の蒜山高原は、ジャージー牛が3000頭も飼育されているので、この本を読みながら、牛や草の匂いとともに物語の世界に入ることができた」

・「自分の家族でも“長男あるある”や“二男あるある”だよね、という箇所が多かった」

・「100年前、子どもは本を読むことができなかった」;「周りの大人の子どもへの接し方が、子どもを知った接し方で感心した」

・「長男のオーラは想像力豊かな子だ」など。

 

 また、「北欧には、アストリッド・リンドグレーン(1907~2002)の『やかまし村の子どもたち』(1947、続編2編49,52年)、アルフ・プリョイセン(1914~70)の『小さなスプーンおばさん』シリーズ(1957~67年)、アンネ=カット・ヴェストリ(1920〜2008)の『おばあちゃんと八人の子どもたち』シリーズ(1957〜61、 86、 99年、未邦訳)など、似た性質の作品がある。プリョイセンの時代にはさらにユーモラスな内容になっているが、ハムスンの作品にはもっとシンプルな子どもの日常が描かれているように感じられた」という文学上の話も紹介された。

 

2ノルウェーにおける「牛追い」のいろいろ

 読書会の直前にノルウェーから帰国した参加者から、ノルウェーでの牛飼い(羊、山羊)の様子がスライドで紹介され、「牛追い」についてのイメージが多様に語られた。

Briksdalの氷河を背景に、放牧中の仔山羊たち

 昔、ノルウェーの放牧場の横をノルウェー人の友人と車で走っていた時に、友人が「よく見てみろ、牛がみんな同じ方向を向いて草をはんでいるだろ」と言うので、私が「ノルウェーは自由な国なのだから、君たちも好きな方向を向いて食べたら?」と牛に向かって叫んだら、友人が大笑いした経験がある。その時の牛は、ベルをつけていなかったように思う。

 また、牛追いが家に帰ってくるときのノルウェーの動画(牛の首のベルの音)をみると、牛たちは結構素直に戻ってきているとか、盛岡の小岩井農場では「シープドッグ」が使われていたが、ノルウェーではあまり見かけないので、おそらく、大規模に何百頭も飼っている牧場との違いではないかという話しにもなった。

 この本で、牛が迷子にならずに戻ってくることや、10歳とか8歳の男の子が牛追いをやって小遣いをもらっているのに驚かされたという感想も出された。

 ノルウェー国立美術館にあるヨハン・クリスチャン・ダール(1788~1857)の有名な風景画「スタルハイムからの眺望」(1842年)をよく見ると、民族衣装のブーナッドを着て牛の側にいる“女の子”が小さく描かれている。ノルウェーでブーナッドを作るのは堅信礼(14歳位)の頃なので、この本に登場する子どもたちはまだ持っていないはず。着用するのも5月17日の憲法記念日独立記念日)等の特別な日なので、農作業の時などは着ないのではないか。と考えると、ダールの絵の女の子がブーナッドを着ているのは少し謎である。もしかしたら19世紀に起こった民族主義の影響もあるのではないかなど、話題はつきなかった。

Johan Christian Dahl 1842 Fra Isdalen ved Svartediket nær Bergen

 

 

   ちなみに、5月17日の「子どもの行進」は、彼の詩がノルウェー国歌にもなってノーベル文学賞を受賞したビヨルンソン(1832~1910)が1870年に始めている(この時参加した1200人は全員が男の子。女の子が参加できるようになったのは1889年から)。

 

3ノルウェーの自然の中での暮らしと子どもの労働

 さらに、(この本の162頁に「きれいなうすいシラカバの皮でできた箱」がでてくるので)スライドで、白樺の樹皮でつくったバッグなどの品物が映されたり、(197頁の「コケモモなんか、木イチゴにくらべたら、ほんとにつまりません」とあるのに関連して)「クランベリー(コケモモ)」より「ラズベリー(木イチゴ)」の方が美味しいという話しや(値段的には、湿地で育つ「クラウドベリー」が「森の黄金」と言われるほど稀少性があって高い)、秋になると森でベリー摘みをするノルウェーの子どもたちが、顔にベリーでペインティングしたりして遊んでいることなどが紹介された。

クランベリーは肉料理の付け合せにも

 1924年出版(英語版は1933年)の『セーテルの子どもたち』では、牛追いは男性の仕事(山の上の牧場で働く『アルプスの少女ハイジ』のペーターも)、乳搾りをしてチーズやバターをつくるのは女性の仕事(「ブダイエ」と言う)という描写がある。『小さい牛追い』では、「バタをつくっている、きれいな娘さん」「こんなに若い、きれいな乳しぼり女」(241頁)がでてくる。

   19世紀の子どもには、年齢なりの労働が期待されている。仕事は家族みんなで分担するのが当然で、「労働力としての子ども」が描かれている。したがって、「お手伝い」のレベルではない労働だといえる。この本でも、子どもたちに関わるお金のやりとりが、あちこちに出てくる。

   また、子どもたちが「インディアンごっこ」をして(57頁~)、「平和のパイプ」のタバコを吸う場面(60頁)や、材木小屋が「メキシコ」と呼ばれている(127頁)のは、何か唐突な感じがする(暖かい南の国へのあこがれからかも?)が、19世紀末以降、北欧からアメリカへ多くの人が移民として渡っていったことが、アメリカ大陸の身近な情報として子どもたちの世界にも影響しているのではないか?という話になった。ちなみに、彼らが住んだのは、ミネソタなど五大湖周辺の寒いところが多い。ハムスンも、若いときに食い詰めて2度アメリカに渡り、シカゴで働いたりなどしている。

  「マムレの森」(42頁)は、聖書に出てくる創世記の話だが、オーラが聖書の勉強をしているのを反映しているとも考えられる。

    おばあさんに「黒い髭が生えている」(66頁)というのもビックリするが、髭が生えている女性もいるので、怖い存在として描いている。ただ、65頁の挿絵ではやさしそうに描かれているが…。

   「ランゲリュード」という農場の名前(9頁)は、スウェーデン南部のスモーランドにもあるような名前だ。ノルウェーの西海岸にはない。マリー(1881~1969)の出身地は、リレハンメルの近くのエルベルムの出身なので、そのあたりかも。

 

4.母親マリーと父親クヌート

   『小さな牛追い』(1933年、原題「ノルウェーの農場」の第1部)は、夫クヌート・ハムスン(1859~1952)が『土の恵み』(1917年)で1920年ノーベル賞を取った後の作品。女優志望だったマリーは、1909年にハムスンと結婚(27歳)して、農場で暮らす。ブックカバーの著者紹介には、「洗練された都市文化を否定し、自ら原始的な農民生活をした」とされている。若い母親であった頃の自分の4人の子どもたち(男・男・女・女)の生活をもとに、8年にわたって『村のこどもたち』(1932年)を執筆している。なお、ハムスン夫妻は、1918年に南ノルウェーのリレサン(Lillesand)とグリムスタ(Grimstad)の間の「ノルホルム」に屋敷を建て住んだ(ここにお墓も)。

   この本には、大作家クヌート・ハムスンの妻であるマリーの、夫への感情が反映しているところもあるのではないか。例えば、父親の存在感があまり感じられない。お母さんと子どもの場面(喧嘩など)は多いが、父親は一見影が薄いが、「花よめ、花むこ、お通りだ」(26頁)や物語の場面転換(112頁)で登場し、父親がオーラの背中を後から押す(91頁)など、お父さんは息子をちゃんと見ていると思わせる“おいしいところ”に出てきている、という感想もあった。

   なお、長女インゲリドの扱いがやや少ないが、この点に関しては、『やかまし村』や『スプーンおばさん』『おばあちゃんと八人の子どもたち』などは、おばあちゃんなど一部の登場人物に焦点を当てるが、『小さい牛追い』は、どの子にもスポットライトが当たっているので好きだという意見も出された。

   また、本作には、ほんとうに「いやな人物」や「悪い人」というのは出てこない。最近のノルウェーのドラマなどでも、「最後までの悪人」というのは出てこないような気がするということが紹介された。

   「家族の思い出」ではない、みんなが普遍的に読める本。「お母さんが書いた本」という感じがする。農場での子どもたちの牛追いの様子を書いたというよりは、兄弟同士の掛け合いとか、子どもたちの生活を元にして書いたという感想が出されるのは、そのあたりの影響ではないか。まだ「男性中心の社会」だったにもかかわらず、長子偏重や男子偏重になっていないのが特徴だとする意見もあった。

 

5.その他の意見交換

   『牛追いの冬』にある「訳者あとがき」にも、「そのころ、東北のいなかで牛を飼っていた私にとって、オーラたちの生活は全く身近で、オーラたち自身、いわば、友だちのように親しく思われていた」とか、「ハムズン家の子どもたちの生活をモデルにしたものですが、自分の子どもたちのことを、これだけ距離をおいて書けたのは、夫人にもなみなみでない作家的力量があったことを思わないわけにはいけません」など、いろんな人が共感できる指摘がある。

   大人が読むと「そんなことしたら危ない」というハラハラ感があるが、子どもが読んでもそうなのではないか?

   「養老院に救済されているほど嫌なことはない」(83頁)とあるが、この養老院は「救貧小屋」のことではないか? リンドグレーンの『エーミル』にも出てくるが、そちらは大人数の救貧小屋だった。

   151頁の「話を変えた方が良さそうです」という場面で(145~155頁)、オーラは優しい子なのに、女の子(インゲル)が「家であまりいい思いをしていない」(=お母さんからあまり良い扱いを受けていない)という話を聞いた時、何か助けてあげる行動をするのではなく「話を変えて」終わらせていることに違和感をおぼえた、という指摘がなされ、そのあとの自分の家族と違った家族と出会った時の様子に続いているので、オーラの家の「お母さんが温かく迎えてくれるのが当たり前」という雰囲気と違う家族を目の当たりにした時の反応、ちょっとそこで思考が一瞬止まってしまうような感じが子どもらしいというか、「自分の知らない世界のダークな部分は自分にはまだ何が原因かわからない」というのが子どもの反応なのかな、と納得できたという感想が出された。

 

(補遺)---------------------------------------------------------------------------------------

   このノートを書きながら再読して、次のような箇所を発見しました。すなわち、「ふたりは……インゲルが……骨ばかりの小さいからだで、思いバタ作り機を舞わしているのをながめると、心が暗くなりました」(254頁)という場面で、「じぶんが、まい日、どんなにこき使われているか、またあの女の人が、じぶんにどんな口のききようをするか、オーラたちに見られて、インゲルは、はずかしがっているのです。それが、オーラにはわかりました」(255頁)という叙述があって、そのあとで、「オーラは、なんといたらいいか、わからないでいるのに、エイナールのほうは、なかなか気がきいていました。エイナールはすぐに……ごほうびのことなどを話しはじめました。それから、前の晩、どんなふうにしてねたとか……話しているうちに、インゲルも、だんだん元気になってきました」(256頁)と書かれていて、真面目だが融通の利かない長男のオーラより、機転が利いて明るい二男エイナールの資質を高く評価しているのです。“長男あるある、二男あるある”の新たな局面のように思えました。

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   また、夫の「グスタ・ギュドブランド」と妻の「ギュドブランド・グスタ」についても(223頁)、姓(名字)と名(名前)が入れ替えられているのが面白かったが、どうしてこんな風にされているのか、言葉遊びの一種なのか、本当にこういう名前の人がいるのか、作者の意図は何だったんだろうと思った、という意見も出された。

   「コーヒーがなくては生きていかれない」(223頁)という話が出てくるが、この頃のコーヒーは“ヤカンで煮出す”コーヒーだったと思われる。コーヒーが南米から、たばこがアメリカから伝わったとしたら、メキシコからは何が入ってきたのだろうか? 疑問はつきない。

   オスロの民族博物館に行ったとき、19世紀の労働者の家のストーブの上には「ヤカン」があって煮出したコーヒーが置いてあった。飲ませてもらったけど、今日のような美味しい飲み物ではなかった。また、労働者階級のところで、子どもがタバコを吸っている写真も展示していた。この本にも、お母さんがタバコを吸うのを怒る場面も出てくる(63~64頁)。

 

おわりに

   参加者からは、最後に次のような発言が寄せられた。

・「子どもたちは“子育て漫画”がとても好きなので、『小さな牛追い』は、共感を覚える作品だ」

・「この子たちは、どうやって大人になっていくかという点でさらなる興味が湧いた」

・「『大草原の小さな家』の挿絵とも似ているので、興味が持てた」

・「読書会で時代背景など知れたのが面白かった」

・「大人向けに、注釈があったら面白いと思う」

・「例えば、『りっぱなコーヒーわかし』(230頁)が3歳の息子と同じぐらい大事といわれたら、それはどれほど立派なものなの?」

・「100円というわかりやすい単位に訳されているが、実際の価値はどれぐらいか?とか、牛追いのアルバイト代は妥当なのか?とか、いろいろ知りたくなる」

 

   そうして、「牧歌的な子どもの本『小さい牛追い』を、このノルウェー読書会でどう読むのか気がかりだったが、やはり“社会的な読書会”になった」、「100年近く前に、日本からは遠いノルウェーで書かれた本が、今日なお共感をもって読まれるというのはすごいこと」という発言で2時間の読書会がまとめられた。(掛)

 

【次回の予告】===========================================

     第14回ノルウェー読書会 2022年12月10日(土)14:00~16:00
     オーレ・トシュテンセン著        中村冬美/リセ・スコウ訳、牧尾晴喜監訳  
    『あるノルウェーの大工の日記』エクスナレッジ、2017年、1,870円(税込)

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第13回 ノルウェー読書会のお知らせ 『小さい牛追い』

13th ノルウェー読書会のお知らせです。

 

9月17日(土)の第13回ノルウェー読書会は、マリー・ハムズン作/石井桃子訳『小さい牛追い』(岩波少年文庫、2005)を取り上げます。

ノルウェーの自然の中で、たくましく成長していく子供たちの姿がまぶしいです。子供はもちろん、大人になっても読みたい名作です。

詳細は下記のチラシをご覧ください。



参加申込みは 、京都会場/オンライン参加ともに、Google forms からお願いいたします。https://forms.gle/kPY5fnmGa97iGuZT7

問い合わせは ノルウェー読書会まで。 norwaybooks@gmail.com

 

第13回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されます。

みなさまのご参加お待ちしております。