第3回 『ヴィクトリア』読書会ノート

第3回 ノルウェー読書会 『ヴィクトリア』

(クヌート・ハムスン作、冨原眞弓訳、岩波文庫、2015年)

ハムスンの「もっとも美しい恋愛小説」

 

 9月の読書会では、ノルウェー人作家クヌート・ハムスンの『ヴィクトリア』を読みました。まず出てきたのが、「ヴィクトリアはなんでこんなにも意地悪なんだろう! 結ばれることなく、さらには命尽きることもわかっているのに、こんな切ない手紙を遺すなんて」という感想でした。これに対して「そうそう!」と頷く人もあれば、「いや、叶わぬ恋と諦めたはずが、押さえきれず漏れ出た切ない感情だったのでは?」という声も。序盤から、さまざまな読み方、感じ方が語られました。

 進行係から猪苗代英德訳『ヴィクトリア――ある愛の物語』(日本国書刊行会, 1993)のあとがきの紹介があり、これによると、ハムスンの『牧神』に登場する野性的な魅力を持つエドヴァルダ、スウェーデンの作家ストリンドベリの『令嬢ジュリー』、ノルウェーの画家ムンクの描く《マドンナ》に通じる「ヒステリー気質を持った美女」「爆発寸前の緊張した美」がこのヴィクトリアにも受け継がれているとのこと。ヴィクトリアのツンデレ具合は、ハムスンが好んで描くタイプの女性に共通するものだったようです。一方、ハムスンがこの作品を書いたのは最初の結婚をした年(1898)で、「幸せいっぱいの時期だったはずなのに、どうしてこんな切ない恋愛小説を書いたんだろうね」という声もありました。ちなみに1902年、最初の妻とのあいだに生まれた娘の名前はVictoria(ヴィクトリア)! 

 みんなが大きく頷いた、「ヴィクトリアの黄色いドレスが印象的」という指摘もありました。これってくすんだ黄色じゃなくて、本当の黄色なの? 黄色のドレスってあまり着ないよね? 黄色に赤い帽子だよ、森のなかで見つけてもらうためだよね? 若く素直なカミッラは赤いドレス、作中作品のふたりの婦人は青い服、それにヴィクトリアが白を身に着けている場面もありました。ハムスンの『牧神』では緑色の羽根がとても象徴的だったから、ハムスンって色を大切にする作家なんじゃない? そんななか、デジタル時代の読書会らしく(?)、参加者のひとりがネットでノルウェーの高校生向けハムスン解説を発見。黄色は太陽を表し、また意外なことにこの黄色は聖なるもの、天使などにつながるイメージなのだそうです。そしてヴィクトリアの赤い帽子、この赤は死を意味するものなのだとか! 執筆当時のノルウェーで、こうした色彩イメージが読者のあいだで共有されていたのかは不明ですが、ハムスンが意識的に黄色と赤を選んだことは間違いなさそうです。ほかの作家なら服の素材や手触りなども描いていそうなところを、ハムスンは色だけに触れているのが不思議だったという声もありました。緑豊かな島で育ったハムスンの自然描写は絵画のように美しく、一方でヨハンネスが愛と作家活動に苦悩していた町の情景に色彩描写はほとんどありません。緑鮮やかな森、色をもたない町を背景に、改めて、黄色や白の服をまとったヴィクトリアの姿が鮮烈に浮かび上がってくるような気がしました。

 さてハムスンと言えば、あとがきでも少し触れられているように、第一次世界大戦が始まったころからドイツ帝国ナチス・ドイツに傾倒します。『土の恵み』(1917)が評価されたノーベル文学賞の栄誉は地に落ち、ノルウェー国民は大きく失望。たとえば、あるノルウェー人現代作家の自叙伝では、作家の祖母がハムスンの作品を庭で燃やす場面が出てくるのだとか。戦後、ハムスンは多額の賠償金を国に支払い、92歳でひっそりと亡くなります。現在では、ナチス礼賛のスティグマは薄くなり、ノルウェーを代表する優れた作家のひとりとして、純粋にその文学性の高さが再評価されています。

 最後に、読書会で意見の分かれた部分がありました。物語の終わり、手紙に「あなたの/ヴィクトリア」と書いたあと、ヴィクトリアの語りが4行さらに続きます。さてこの部分は手紙の一部なのか、ヴィクトリアの心の語りなのか、みなさんはどちらだと思いますか。私には、ヴィクトリアの目から見た風景が、まるで映画のワンシーンのように引きの映像で目に浮かぶようで、予想外の終わりに打たれました。手紙の一部として訳された版もありますが、これまでの文体を最後がらりと変え、ヴィクトリアに語らせた冨原訳の美しさにすっかりと心をつかまれました。古典だからと敬遠するにはあまりにももったいない、ハムスンの恋愛小説です。(千)

 

クヌート・ハムスン Knut Hamsun(1859-1952)

ノルウェー北部ノールラン県の自然豊かな島で育つ。1880年代に2度、移民として渡米。転職を繰り返し、貧しさのなか放浪する。帰国後の1890年『飢え(Sult)』で先駆的なモダニズム作家として注目される。1920年には『土の恵み(Markens Grøde)』(1917)でノーベル文学賞を受賞。第一次世界大戦勃発時からドイツ帝国を支持、ナチズムに傾倒。これにより文壇での名誉を完全に失い、戦後裁判では高額の賠償金を課され、失意のなか92歳で亡くなった。

 

冨原眞弓 とみはら・まゆみ(1954-)

兵庫県生まれ。上智大学国語学部卒業後、フランス政府給費留学生としてソルボンヌ大学で哲学博士号取得。聖心女子大学哲学科教授。ヨーロッパ近現代哲学(シモーヌ・ヴェイユ)、スウェーデン語系フィンランド文学(トーベ・ヤンソン)の翻訳・研究を数多く手掛ける。