第12回 ノルウェー読書会のお知らせ 『さよなら! 一強政治』

12th ノルウェー読書会のお知らせです。

6月4日(土)の第12回ノルウェー読書会は、三井マリ子著『さよなら! 一強政治 小選挙区制の日本と比例代表制ノルウェー』(旬報社、2020)を取り上げます。

民意を反映する政治を実現するにはなにが必要なのか、選挙制度に注目した本書を手に考えてみたいと思います。

詳細は下記のチラシをご覧ください。


参加申込みは 、京都会場/オンライン参加ともに、Google forms からお願いいたします。https://forms.gle/GzQyPfAVqzF32GVT8 

問い合わせは ノルウェー読書会まで。 norwaybooks@gmail.com

 

第12回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されます。

みなさまのご参加お待ちしております。

 

 

第11回 『氷の城』読書会ノート

『氷の城』 タリアイ・ヴェーソス 著 / 朝田千惠、アンネ・ランデ・ペータス 訳(国書刊行会、2022)

ヴェーソスとローマで拾ってきた猫 当日のPower Pointより

 はじめに

今回の「ノルウェー読書会」は、世話人メンバーの朝田千惠さんと、主にイプセンなどの戯曲の翻訳をされているアンネ・ランデ・ペータスさんの共訳で、20世紀ノルウェーを代表する作家タリアイ・ヴェーソスの『氷の城』を取り上げ、Zoom を使った「講演会」形式で、多くの方に参加いただけるようにしました。当日は、訳者のアンネさんと朝田さんの絶妙なやりとりに、国書刊行会編集者の伊藤昂大さんも加わった拡大版読書会になり、とても充実した内容の会になりました(会場とZoomあわせて42名の参加)。

 

1.タリアイ・ヴェーソスについて

 著者のタリアイ・ヴェーソス(1897~1970年)は、テレマルク県内陸のヴィニエ市で生まれました。同じくテレマルク県出身のヘンリック・イプセン(1828~1906年)は、県庁所在地で都会の港町、シェーエン市で生まれています。

*なお、ヴェーソスとイプセンの関連について、アンネさんによると、ヴェーソスは時代的にもイプセンやヨナス・リーなどを好んで読んでいたようですが、他の作家の作品を取り込んだり、文学的知識を自分の作品に示したりするようなタイプではなかったとのことです。

ヴィニエの観光サイトより

ヴェーソス農場 Photo by Anne Lande Peters

 ヴェーソスは、ノルウェーの自然豊かな田舎を舞台に、孤独や不安といった根源的で普遍的な人間の感情を平易な文体で描き、独特な神秘の世界へと誘う作品を手掛けたとされています。アンネさんは、ヴェーソスの生家を訪問した時の写真を映しながら、ヴィニエの一番高い場所にある農場を長男タリアイが継がないで弟に任せたこと、作家のハルディスと結婚して息子と娘、二人の子どもをもうけたこと(ちなみに、娘のグーリさんとアンネさんは旧知で、最近も一緒にヴェーソスの代表作『鳥』の舞台を一緒に観に行ったり、翻訳上の疑問点に回答してもらったりしています)、ヴェーソスの仕事部屋には当時、最高級とされていたレミントン社製のタイプライターが置かれてあったことなどを紹介しました。娘のグーリさんは、ヴェーソスは「言葉で説明する(telling)のではなくて、描写する(showing)ことで語る」という話を何度もされたそうです。

 

娘のグーリさん Photo by Anne Lande Peters

 なお、2022年は、ヴェーソスの生誕125周年に当たります。ヴェーソスの作品が世界でどれぐらい翻訳されているか、NORLA(ノルウェー文学海外普及協会)が助成した件数で調べると、この18年間で26カ国語61件あったそうです(トップ3は、ジョージア14作品、フランス9作品、ドイツ5作品)。作品では、『氷の城』が18カ国語、『鳥』が16カ国語です(ちなみに、日本語は国書刊行会から「タリアイ・ヴェーソス コレクション」として出版される『氷の城』『鳥』『風』の3作品)。

 

2.ニーノシュクとブークモール

 ノルウェー語の文語には、「ニーノシュク」と「ブークモール」の2種類がありますが、ヴェーソスの作品はニーノシュクで書かれています。ノルウェーは、14世紀以降統治されてきたデンマークから1814年に独立してスウェーデン連合王国になりますが、91年後の1905年にスウェーデンから独立するまでに民族主義意識が強まります。1800年代、人口の90%を占める農民や漁民は方言を話していましたが、10%の上流階級はデンマーク語を使っていました。そうしたなかで、後に「ノルウェー語の父」と呼ばれたイーヴァル・オーセン(1813~96)が各地の方言を基に新しいノルウェー語を生み出しました(1848年に文法書、1850~73年に辞書)。オーセンは、「我が国が本当の民主主義を手にするためには、農民や漁師も政治に参加できなければならない。そのためには、誰もが使える国民の言葉がなければいけない」と考えたからでした。

当日のPPTより

 その後の「言語論争」を経て、1885年にデンマーク語の影響の強い「ブークモール」と新たに生まれた「ニーノシュク」は平等であると承認され、1901年にはニーノシュクの綴り方が標準化されました。しかし1913年、ヴェーソス15歳の時にはまだ、ニーノシュクを使う「ノルウェー劇場」で、反ニーノシュク派との乱闘事件も起きています。現在NRK(ノルウェー放送協会)では、25%の番組をニーノシュクで放送していますし、小・中・高の学校教育では両方を学び、どちらの書き言葉を主とするかは生徒が選ぶことになっています。自治体への問い合わせも、質問と同じ書き言葉で返事が来ます。現代ノルウェーの著名な作家ヨン・フォッセも、ニーノシュクを使っています。

 

3.『氷の城』について

 舞台になったノルウェーの冬は暗くても、子どもたちはライトをつけて外で遊ぶこと、凍った滝の様子や、鏡のような氷にひびが入るときの「氷の割れる音」など、この本の背景が紹介されました。https://youtu.be/Cnv7KzVAAZ4

暗いなか登校し、遊ぶ、冬の子どもたち 

凍った滝の様子

鏡のように凍った湖にひびが走る 

 編集者の伊藤さんは、『氷の城』がきわめて繊細で美しい物語であること、淡々としたごく簡潔な言葉により描写を積み重ねるなかで静謐な象徴性と幻想性を感じさせ、独特の神秘的な世界へ誘う作品であるだけでなく、言葉にしづらい「人と人との関わり方(コミュニケーション)」の過程を精緻に描ききっているところに「機微への気づき」があって思わずため息が出ると、その魅力を語りました(詳しくは国書刊行会のホームページ、伊藤さんのnote「<人間の孤独と不安を繊細に描いた、20世紀最高の作家>タリアイ・ヴェーソスについて」を参照ください https://note.com/kokushokankokai/n/ndc9939ba3ac6)。

 刊行までの裏話として、ノルウェー語の公用語でも少数派の「ニーノシュク」を訳せる人が探せるのかという不安はあったが、「ノルウェー夢ネット」の運営者で翻訳家の青木順子さんからの紹介で朝田さんとアンネさんへ繋がったことなど、小規模な国ならではの稀有な出会い(人脈)が重なってコレクション3冊の刊行に至ったことを話されました。

 また、この本の装幀にも話は及び、表紙カバーの装画は、朝田さんが惚れ込んでいるノルウェーの画家アイナル・シグスタードさんにお願いし、日本語版『氷の城』のために描き下ろしてもらったものです。カバーの用紙や配色、カバーを外した表紙のデザインも雪の結晶のようで美しく、手触りまでも凝った仕上げになっています。

 

4.シスとウン

 作品に出てくる人名はシスとウンの二人だけ、ノルウェーの地名も出てこないので、物語に集中できること、最小限の情報で物語が進んでいくことが特徴です。

 ちなみに、「シスSiss」はSisselやCecileに近く、伝統的な古い名前(「(悪が)見えない」の意。人気のピークは1959年、現在10,163人)、また、「ウンUnn」やUnniは少し都会風の名前(「最も愛された」の意で、人気のピークは『氷の城』出版の翌年1964年で、現在1,347人)とのこと。

 

5.訳した時の苦労と工夫

(1)翻訳を進めるなかで、ヴェーソスのスタイルとしての「枠組み」に気付いたとのこと。同じ描写が繰り返される部分があり、文字通りに訳すと日本語では奇妙に感じられるため、戯曲のト書きのように訳出したり、少しずつことばを変えたりする必要がありました。例えば135~6ページにある、「木立の中でシスはしゃがみ込んでしまった」「シスは突然、木々の中でへたり込んでしまったのである」「シスはしゃがみ込んでいた」という箇所がこれに当たります。「枠組み」であると気付くまでは繰り返しの意味がわかりませんでしたが、遠景から近景、引きから寄りの映像という具合に描写しているのがヴェーソスのスタイルだとわかりました。

 

(2)作中では音を表す名詞や動詞が多用されていますが、日本語のオノマトペ(擬音語、擬声語、擬態語)は安易に使わない努力をしたこと、使う場合はできるだけひらがなを用いた(カタカナは悪目立ち、子どもっぽい文章の印象を与えるので)、という話がありました。「オノマトペの国」といえる日本と違って、ノルウェー語にはオノマトペはそれほど多くありませんが、原作で用いられていた数少ないオノマトペeit plim-plam(ポタン、ピシャ)をあげ、96ページのひらがな表記《ぽたりぽたり》《ぴしゃ》(地の文)と104ページのカタカナ表記《ポタン、ピシャ》(音楽的な箇所)の印象の違いを確認しました。高くて音楽的な音の特別感をカタカナで表したのは日本語の表記の豊かさあってこそ、というお話でした。

 

(3)苦労した点として、雪や寒さを表すことばのほか、自然の描写が多いので、日本語にしにくい馴染みのない地形を表すことばが多いことがあげられました。例えば、「os」は、英語ではmouth(of a river),outlet ですが、日本語では「(川が海や湖に注ぐ)河口」「(湖から流れ出る)川、水路」とされています。これは「湖から川に注ぎ込むところ」と訳してあります。また、「redsle-stupet」は、直訳すると「恐怖の急斜面」ですが、「急斜面だ。ぞっとする」と訳されています。最終的に訳語を決めるまでには、日常的に使う単語か専門用語なのか、それに対応する日本語があるのか、地元の琵琶湖にヒントはないか調べてみたりしたそうです。

 

(4)登場人物の口調については作品が書かれた1960年代の子どもを意識し、例えば担任の先生に対しては日本よりも友だち感覚に近い口調です。豊かな家庭のシスの母親に対し、年配のウンのおばさんは少し田舎臭い、シスの母親とは違う口調になっています。シスからおばさんに対する返事の「ja」も、流れからニュアンスを読み取って、「はい」(緊張感、不安、打ち解けなさ)と「うん」(親しみ、安心)に訳し分けたことなど、自然な日本語にするために共訳で相談できたことが良かったと強調されました。朝田さんの友人の10~11歳ぐらいの娘さんも、会ってすぐは少しかしこまっているけれど、打ち解けると口調が変わるという話もありました。

 

(5)「地の文」と「心のなかの台詞」の訳出についても、271ページの「母親」「お母さん」を例に紹介されました。文法的に区別できないところは、共訳だからこそ間違いなく判断できたとのことです。

 

【以下、作品の内容に触れています。詳細を知りたくない方はお読みにならないでください】

おわりに 

(1)共訳について……「翻訳は選択の連続だなぁ」というのが、お二人の率直な感想で、読み込み、調べ尽くしたら、どこかで決定する必要があるとされました。ノルウェー語が出来る日本人と、日本語が話せるノルウェー人、二人でやることがすごく力となったとのことで、「音読」をしながら何度も推敲を重ねたそうです。また、戯曲の翻訳家であるアンネさんとの共訳で、「舞台では言い直しができないので、一読でわかることが大切」(くどくなく、説明的でない、耳で聞いて理解できることばで)ということを学んだそうです。

 

(2)“あのこと”とは?……作品中に、はっきりと書かれていないので、急いで読むと読み飛ばしてしまうかもしれません。ここはウンが抱えているトラウマを匂わせています。奥さんと娘さんがヴェーソスに質問しても、「ぼくはそれがなにか知っているが、それがなにかは言わない」と答えるばかりだったそう。言葉に出来ないと思う気持ちさえ、簡単な言葉で描写しているのが、ヴェーソスの凄さ。「飴を舐めるように、ゆっくり味わって」とのことでした。

 

(3)ふたりはどうして裸になるの?……「レズビアンラブ」と読む人もいますが、これについて娘のグーリさんによると、「ヴェーソスの時代は、いまほどホモセクシャルレズビアンの関係が話題に上がることはなかった。11歳の転校生ウンがシスと絆を深めるなかで、自分の心配していることが自身の身体に見てとれるか確かめたかったのでしょう」ということでした。(掛)

 

*第11回ノルウェー読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。

第11回 ノルウェー読書会のお知らせ 翻訳者・編集者による『氷の城』講演会

11th ノルウェー読書会 翻訳者・編集者による『氷の城』講演会のお知らせです。

 


自然豊かな田舎を舞台に、孤独や不安など人間の根源的な感情を平易な文体で描いた作品で知られ、近年世界的に〈再発見〉が進む、20世紀ノルウェー最高の作家タリアイ・ヴェーソス。日本でのコレクション第1作『氷の城』刊行にあたり、訳者と編集者の3人が、ヴェーソスの魅力と作品について語ります。
講演会形式ですので、未読の方も、気軽にご参加ください。

 

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申込みはノルウェー読書会まで。


オンライン参加 https://forms.gle/Dfdkq318hx5RjjXD7    
京都会場参加     norwaybooks@gmail.com  

 ご参加をお待ちしています。

 

【講演会をご視聴の際のお願い】

・今回の読書会は講演会形式で行ないます。Zoomでご参加の方は、音声やビデオ機能をオフにしてご視聴ください

・またビデオ機能をオフにした際に表示されるお名前は、ご視聴の方、全員が見ることができます。差し障りのある場合は、表示名をハンドルネームに変更の上、ご視聴ください

・講演の録画、録音はご遠慮ください

・Zoom ミーティングルームには4月9日(土)13時30分より入室していただけます。講演会開始の14時まで、スライドショーで物語の結末を含むあらすじを紹介します。「あらすじを知りたくない」という方は、ミーティングルームへの入室後、14時の開始時間まで画面を離れてお待ちください

 

読書会参加者限定で、国書刊行会のホームページから事前注文を3/17(木)より受け付け中です(送料無料・要会員登録)。お支払いは、クレジットカード払いまたは代金引換が可能です。ご注文時、備考欄に【読書会参加】と必ずご記入下さい。 4/4(月)より発送開始予定です。 

【読書会参加者限定 『氷の城』事前予約はこちら】 https://www.kokusho.co.jp/np/isbn/9784336072504/   

 

 

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第10回 『グリーグ』読書会ノート

グリーグ』 ウエンディ・トンプソン 著/新井 朋子 訳(偕成社、1999)

 

 今回のノルウェー読書会では、偕成社の伝記シリーズ「世界の作曲家」の10番『グリーグ』を取り上げました。課題図書を手に取って私が最初に思ったのは、「同じ題名の違う図書を取り寄せてしまったかな?」ということでした。というのも、装丁や中のレイアウトが小学校の図書室で読んだような雰囲気のものだったからです。少し大きめの文字とたくさんの脚注、ページをめくれば本文の合間にカラー写真やイラストが掲載されています。大人向けの方が当然詳しく書かれたものがあるだろうという先入観がありましたが、意外なことに、実はグリーグの伝記というものは日本であまり出ていないのだとか(他はもっとページ数も多くて専門的なものになってしまうそうです)。グリーグの一生を追うにはきっと一番わかりやすいだろうということで、この図書が選ばれました。有名な音楽家なら生涯をつづったものも多く存在しそうですが、その理由も読書会の中で参加者の方から教えていただきました。今回は、ピアニストの方やノルウェー人ピアニストのファンの方、日本グリーグ協会からの参加者もいらして、音楽の専門的なお話も聞けるのかなと、楽しみな予感で始まった第10回でした。

 

 今日の主役、グリーグは1843年にノルウェーのベルゲンで生まれました。名前は聞いたことがあるけれど、神童と呼ばれていたモーツァルトのエピソードや耳が聞こえなくなったベートーヴェンの話などは何となく知っていても、さてグリーグってどんな人…?という方が多いのではないでしょうか。

 私の最初の印象とも関連しますが、参加者の皆さんからも今回の図書については、「子供向けとはいえ、コンパクトにまとめられており、またノルウェーの文化がわかる写真やイラストも豊富でよく理解できた。」という感想が出ていました。この「ノルウェーの文化」というのも今回の読書会での一つポイントとなったところかなと思います。

 今回の課題図書は外国のシリーズが訳されたものということで、外国での評価と日本の評価の違いも面白さとしてあったようです。色々な方向からノルウェーを知りたい、というご意見もありました。

 冒頭に書いた日本であまりグリーグについての図書が出ていない理由ですが、日本では交響曲が少ないと評価が低いのだそうです。グリーグが唯一残した「交響曲ハ短調」はライプツィヒ音楽院を卒業した後に移り住んだコペンハーゲンで、ネールス・ガーデの助言に従って完成させたものでしたが、本人は気に入らず楽譜に「この曲の演奏を禁じる」と書き込んだほどだったようです。作曲家なら交響曲を!という考えが当時からあったようですが、グリーグは「ソナタ弦楽四重奏曲などの大がかりな曲よりも、ノルウェーの素朴な民謡集からヒントを得て曲を作るほうを好むように」(72ページ)なります。本の中でも書かれているように、彼は作曲家というだけでなく演奏家、指揮者など多くの役割がありましたので、なかなか大きな曲を作曲する時間が取れなかったということもあったのかもしれません。

 グリーグの作品は、テクニカルの面では平易でも、「どう」弾いたらよいかが難しいことがあるそうです。たとえばノルウェーの夏を知らないと、湿度の低いすがすがしい感じだったり、白夜の幻想的な雰囲気だったりを演奏に反映させることは難しいでしょう。その土地を知らないと、その空気を知らないと、その文化を知らないと、ノルウェー人を知らないと…というように、本の中でもクリストファー・パーマーの次のような言葉が紹介されています。「グリーグの得たインスピレーションを味わいたいなら…もう一度、すばらしいノルウェーの景色、山々、フィヨルドに目を向けなさい」(138ページ)。

 ただ、「楽譜にこう弾きなさい、という指示はないのか?」という質問も参加者からあがりました。それはもちろん書いてあるのですが、やはり実際に演奏するには十分ではないのかもしれません。本の中でも、パリで出会った19歳のモーリス・ラベルがグリーグの舞踊曲を演奏した際に、リズムをもっと強調するようにアドバイスされている場面が書かれています。「フィドル奏者が、足でリズムをとりながら伴奏したり、農民たちが踊っているのを、実際に見てみるべきだね」(143ページ)。

 この伝記では、グリーグの人のよさもよく描かれていました。彼は愛娘を一歳の時に亡くすという悲劇に見舞われていますが、何人もの素晴らしい友人が、彼の明るい性格と音楽に対する真摯な態度を好んでいます。人生の後半で、子どもほどに年の離れた若い友人もできているという記述に、参加者からは驚きとともに音楽家としてのグリーグの魅力所以であろうとの感想も出ていました。

 進行役によれば、グリーグは「謙虚で等身大」な人ということでした。自分はバッハやモーツァルトにはなれないことをよく理解しており、自分の能力より大きなことをするのをよしとしない、よりよく見えるような形を望まない人物だったのではないでしょうか。抒情小品集も、自分のことをつづっている「日記」なのだそうです。

 「朝(朝の気分)」などはみな学校で聴いているし、現代でもCMなどでよく耳にします。メロディは知っているけれど、それを作った作曲家名とは結びついてないということなのでしょう。「10大作曲家」といった表現にグリーグはなかなか入れてもらえないし、グリーグの研究者も少ないそうです。とはいえ、認知度は少しずつ上がってきていて、卒演や卒論で取り上げられたりもしているとのことで、書籍も今後増えるといいなあ、というお話もありました。

 30代にもなるとグリーグはもうすっかり成功した音楽家に見えましたが、有名になれば批判も付き物です。19世紀の後半、新しい音楽がパリで次々に出てくる中、「ペール・ギュント」のようなメロディのはっきりした「わかりやすい」音楽は古いとみなされることもあったようです。例えば、サティやドビュッシーは新しいことをやっているのに、いつまでもロマンティックなものは甘いというような。

 ノルウェーのような小国の作曲家は、自国の音楽が持つ音階やリズムを取り入れたいという思いがあるようです。グリーグ民族音楽は深く結びついていますが、民族音楽は芸術と認められていなかったので評価が低かったのかもしれません。民族音楽を取り入れる派と取り入れない派とがあるようで、取り入れている作曲家といっても、シベリウスバルトークは評価が高いのですが、それは彼らが直接的にはそれとわからないような取り入れ方をして民族性を表しているからだそうです。反対に、グリーグは直球の取り入れ方をしていますが、それは元がどんなものかを知っている、わくわくできるという、そもそもの立ち位置、つまりは楽しみ方の違いからきているようです。交響曲を書かなくても、今、彼の名前が音楽史上に残っているということは、成功しているという証なのでしょう。

 グリーグイプセンの友人関係にも感想が出ていました。活躍する分野が違うので、年齢差があってもただ尊敬するという対象ではなく親しくなれたのではないか、ということでした。戯曲「ペール・ギュント」という作品はノルウェーらしさを少し揶揄するような内容ですが、「ペール・ギュント」が成功したことで結果としてノルウェー民族音楽の地位が高まったそうです。民族音楽でしか表せない場面も多く出てきます。

 今回の本ではグリーグの私生活のことなどに踏み込んだ記述もあり、そのあたりにも参加者の関心が集まっていました。また、日本グリーグ協会の方からは明らかに間違っている表記が何点かあるとのご指摘もありました。25ページにあるグリーグの生家についての紹介で、写真の家が彼の生家のように書かれていますが既に焼失してしまっており、この場所にあった、というのが本当のようです。ライプツィヒに向かった月も少し違いがあるそう。また、91ページに「民族楽器のハルダンゲル・フィドルの演奏をまねた」とありますが、本来ハルダンゲル・フィドルで演奏するようスコアには書いてあり、それが用意できない場合にバイオリンで演奏されるようです。もう一か所、同じページに「スプリングダンス」とあるのも「スプリンガル」(三拍子の踊り)としてほしいという意見もありました。                                                                                                                       

 本文の中で、グリーグは神経の細やかな指揮者だったと書いてあります。批判的なドビュッシーでさえ、グリーグの指揮に「どんな微妙な違いも見逃さず音楽を豊かに表現している」(61ページ)と敬意を表していたのです。この図書を読んでいて何度か出てきた言葉の一つに、「転機」やそれに似たような意味のものがありました。私はそうやって、人生の中の転機を意識できるというのは、1曲の中で様々な要素を意識しなければならない指揮者ならではの特性なのかなと思い、自らの進むべき方向やその時々の戦略をしっかり決めていける人という印象を持っていたのですが、グリーグについて詳しい参加者からは、やはり彼は迷いながら音楽を作っていったのだろうとのことでした。つまり、グリーグは生きているうちに名声を得てはいたが自分は大作曲家にはなれないことは理解しており、それでも挑戦していく中で民族音楽という表現に出あえたのだろうというお話でした。

 グリーグに限りませんが、音楽を聴いて得られる感動というのは、それが人生のように始まりから終わりに向かって流れているということ、そして人生では長く引き伸ばされている時間も1曲の中では凝縮されているので、物悲しさだったり喜びだったりが自分たちの日常生活よりもドラマティックに感じられることからくるのかなと思っています。

 今回はグリーグの一生を追いましたが、この本の巻末にはグリーグの年譜も付いています。彼の死後から100年以上経った現代の私たちから見ても十分成功した人生だと思いますが、それでもつらい経験や達成できなかったことなどもあるでしょう。晩年のグリーグは、作った曲は有名になり、広く人々に受けいれられているものの、音楽そのものを評価してもらいたくても人気だけが先行していくことに不満を感じていました。「この貧弱な肩に、とてつもなく大きな荷物を背負っているのです――それは、理想の音楽を追求するという仕事です。でも、目的のある人生はすばらしい。よろこんで犠牲をはらおう。輝くばかりの喜びにつつまれる瞬間も経験できるのだから」(129ページ)という言葉が本文中にありましたが、迷いながらも信念があるからこそ、振り返った時に一つの曲のように起伏が鮮やかなのかと感じた今回の読書会でした。(野)

 

 第6回で取り上げた『ペール・ギュント』の紹介もあわせてご覧ください。

 

第10回 ノルウェー読書会のお知らせ 『グリーグ』

10thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第10回ノルウェー読書会は、ウエンディ・トンプソン 著/新井 朋子 訳『グリーグ』(偕成社、1999)です。 

ノルウェーを代表する民族音楽の作曲家グリーグ(1843-1907)の生涯を、写真や年譜など豊富な資料からたどります。


詳細は下記のチラシをご覧ください。
お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。
※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

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第9回 『蜜蜂』読書会ノート

第9回ノルウェー読書会

『蜜蜂』マヤ・ルンデ 著/池田真紀子 訳(NHK出版、2018)

第9回読書会では、マヤ・ルンデ著『蜜蜂』(池田真紀子訳)を取り上げました。会場とオンライン、初のハイブリッド開催でしたが、参加申込みが9名と少なかったのは、485ページという本の分厚さのせいでしょうか。それでも、ミツバチから蜂蜜、音楽にノルウェー社会、そして北欧らしさへと議論は広がり、みんなで1冊の本を読むという、読書会の醍醐味を味わえるひとときとなりました。(以下、物語の結末も含みます。未読の方はご注意ください)

 

ミツバチの生態

『蜜蜂』では、1852年のイギリス、2007年のアメリカ、2098年の中国に生きる、ミツバチと関係のある3つの家族の物語が交互に語られます。はじめに、ミツバチの生態を詳しく調べたという人から、ミツバチの生態について本の内容と絡めて説明してもらいました。ミツバチの生産物(蜂蜜や蜜蝋、プロポリスなど)や天敵(クマ、スズメバチ、寄生ダニ、農薬、異常気象、単作農業など)まで、本書で触れられている自然とミツバチの生態は、詳細かつ正確に描かれていることが改めてよくわかりました。

中国のタオは19歳で父親を亡くし、ほどなく母親も急激に衰弱します。肺炎を患った母を訪ねると、すでに高齢者施設に搬送されて、部屋は清掃済み。結局、タオは会えぬまま母親も亡くしました。ミツバチはきれい好きで死ぬときは死骸を見えるところに残さないという描写にどこか重なります。

イギリスのウィリアムの家族はミツバチのコロニーのようです。ウィリアムには7人の娘と一家の希望の星、ひとり息子のエドムンドがいますが、息子には父の仕事を継ぐ気も能力もなく、豊満な肉体で男性を惑わす従妹のアルバータを妊娠させます。アルバータはお産で命を落とし、エドムンドは行方をくらまし、結局、ウィリアムの養蜂研究の右腕、娘のシャーロットが遺児を連れてアメリカに渡り、養蜂を始めます(その子孫が実はアメリカのジョージという仕掛け)。「アルバータエドムンドの行為はまるで分蜂のよう。ふたりは過去と現在の舞台をつなぐ重要な脇役。なんの役に立つかわからない、でもある時点でその役割が見えてくる存在。社会的な昆虫であるミツバチと登場人物を重ねて読むと、一味違う面白さが見えてくる」という感想に一同なるほどと頷きました。

 

過去と現在と未来−−なぜ2098年?

養蜂の歴史を見てみると、過去のイギリス(ウィリアム)と現在のアメリカ(ジョージ)の時代設定には納得がいきます。養蜂に関する三大発明とは、①可動式の巣枠(1851年アメリカで発明)、②営巣の基礎となる巣礎(六角模様をプレスした蜜蝋板、1861年アメリカで完成)、③採蜜のための遠心分離機(1865年、オーストリアで発明)ですが、1850〜60年代は言わば、養蜂界の産業革命期。これが1852年イギリスに暮らすウィリアムの時代背景です。2007年のジョージの背景には、すでに何十年も前に始まっていた「蜂群崩壊症候群」(CCD、突然ミツバチがコロニーごと一斉に姿を消す現象)が2006年にアメリカで大量確認されたという事実があります。これに続く未来、中国(タオ)の2098年という設定はなぜなのか、なにか意味があるのか、ずっと疑問を抱いているという感想が出ました。タオが図書館で見つけた文献には、2000年に始まる異常気象、CCDに続き、2030年には飼料生産が追いつかずに食肉の生産量が減少、やがて人口減少、人類の衰退、食糧争い、2045年には地球上のミツバチが絶滅、とあります。中国が人工受粉の覇者となって40〜50年後、という時代設定です。

時代の描き方についてはほかにも、2007年が舞台のアメリカが、まるで90年代のアメリカのようだ、メガネ姿の日本人という描き方も30年くらい古いのでは?という声もありました。一方で、ノルウェー人作家がアメリカの片田舎、中国の未来を描いているので現実に即してはいないのはありえるのでは、という声も。ノルウェー語の原書では、章タイトル「ウィリアム」「ジョージ」「タオ」のフォントや表記を«William», «GEORGE», «tao» のように変えています。タオの小文字やフォントタイプにどこか、まだ見ぬ時代の遠い世界、SF映画的なものも感じられます。「すでに世紀末を感じながらいまを生きているせいか、未来の部分がすんなりと入ってくる」という感想が印象的でした。

 

『蜜蜂』に見られる北欧らしさ

さて、今回の『蜜蜂』は舞台がノルウェーでないこともあり、北欧とは無関係の物語だという印象も受けます。そこで、この本には「北欧らしさ」は描かれていないのか、参加者のみなさんに問いかけてみました。弱さを見せない完璧な人物や最後まで徹底して嫌な個人が登場しないなど、多面的な人物の描き方にはどこか北欧的なものを感じます。読書会で挙がった、北欧らしさや北欧的な考え方を(逆説的にも)感じさせる部分を、次の3つにまとめてみました。

 

自由

○養蜂家のジョージは分蜂性の高いコロニーの子孫を絶ち、勤勉で集蜜量の多い、生産性の高いコロニーを育てていくことに注力(298ページ)

○「あの人はミツバチを飼い慣らそうと考えている。(中略)リー・シアラに従え。自分の頭で考えるな」(465ページ)

○「ミツバチは好きな場所へ自由に飛んでいける。どこへでも、いくらでも」(478ページ)

○「けれど、ミツバチを飼いならすことはできない。人はミツバチを守り、世話をするだけだ」(479ページ)

 

社会と個人

○中国の管理社会と人工授粉 → 社会と個人のどちらに重点をおくのか、ということを考えさせる

○「ただし、自分が育てるこどものためだけに持ち帰るのではない。どのミツバチも全体のために、全員のために、彼らが一体となって構成する大きな有機体のために、働く」(479ページ)

○「人は支配権を手放し、森は自由に領土を広げる」(481ページ)

○「わたしがそれを大きな文脈に置き、同じ夢が世界のすべての人に当てはまることに気づけずにいるかぎり、何の意味もない」(482ページ)→ 世界中の人が同じ夢をみれば、団結につながっていく

 

希望

○最終章、咲き乱れる花とミツバチの復活 → モノカルチャーからの転換

○中国の指導者が心を動かされ、変化する場面

○チャーハンの少年と父親を連れて帰るタオ → 自分の子どもでない者を育てていくことに意味

○父親がだめになる瞬間に農場に戻ってくる養蜂家ジョージの息子トム

○「人々を団結に導く心の光−−希望」(482ページ)→ 人の力が及ばないという悲観的なラストでも、スーパーヒーローが登場するのでもない結末こそがノルウェーらしい

 

環境問題の危機意識

ミツバチが受粉しなければ多くの果実や野菜は生らず、人間は生きていけないという事実は、日本の日常生活で意識されていることでしょうか。『蜜蜂』は2015年ノルウェーで刊行されると、その年の本屋大賞を受賞、ドイツでは2017年総合No.1 ベストセラーとなりました。ノルウェー社会に与えた影響は大きく、ノルウェーの6人ボーカルアンサンブルNordic Voices(ノルディック・ヴォイセズ)は2017年にBee Madrigal(ミツバチのマドリガル[=愛の歌])という6曲からなるCDを発表しました。歌詞の少ない象徴的な合唱曲ですが、内容はまさに『蜜蜂』の描く世界。「いまちゃんと考えないと私たちの地球は生き物が住めなくなってしまう」と訴えます。合唱曲としては決してうけるスタイルのものではないそうですが、売れる、売れないという問題ではなく、「どうしてもいま、この曲を歌わなくてはならない」と音楽家たちを突き動かすものがあったのだ、ということです。個人的にノルウェー人のSNSから、ホビーとして養蜂が流行っている印象を受けていますが、これも本書の影響でしょうか。日本でも環境問題を考えるひとつの手段として養蜂が行なわれている話をあちこちで耳にしますが、それもまだまだ一部でのこと。ノルウェーでは音楽家をはじめ、社会で共有されている危機意識なのだということを再認識しました。

 

「フィクションのような、ノンフィクションのような」

冒頭で「フィクションのような、ノンフィクションのような物語」という感想がありました。近年、ノルウェー文学のなかでもこの『蜜蜂』のような、フィクションとノンフィクションが混ざったような優れた作品が何冊も邦訳されている気がします。2021年12月に開催された「ノルウェー文学セミナー」(ノルウェー大使館主催)でも、ノルウェー文学海外普及協会(NORLA)が日本向けに紹介した新刊に、鮭の本、カラスの本、小道を辿る本などのノンフィクション作品があり、NORLAでも日本人好みと認識されているのかしら、と思いました。スウェーデン文学に詳しい人によれば、スウェーデンでもルポルタージュものは好まれており、とくに1960〜70年代は、国内外の社会問題をまさにフィクション、ノンフィクションの境目で書く作家が多かったそう。北欧には、作家が(ひいては読者も)社会のことに目を向けるという共通の姿勢が土壌としてあるのを感じる、ということでした。これを受けて「北欧って、社会ということばのなかに地球の視点が入っている感じがする。人間中心じゃなく、地球全体のことを考えようよ、と。社会の先には地球、もっと大きなものがあることをいつも感じさせられる」という感想が最後にありました。

ノルウェーでは、スーパーで缶入りの国産蜂蜜が手軽に買えます。まわりには蜂蜜を紅茶に入れる人がよくいました。今回の読書会では、屋上で養蜂をしている都内の大学のカフェで、超地産の蜂蜜ドリンクを飲みながらこの『蜜蜂』を読んだという人がいたり、蜂蜜は口内炎に塗っても効くし、毎日少しずつ摂取することで免疫力アップにもつながるということを教えてもらったりしました。手元にある原書は、ノルウェー人の友人からの贈り物です。真っ黄色の表紙を開くと、「私は本が好き。そしてリサイクルが好き。だから古本を贈られるのを侮辱と取らないで」と書き添えられています。国産蜂蜜を摂りながら身近な自然環境について考えること、読み終えた本を贈る習慣、真似てみませんか。2098年に至らぬよう、ほんの小さな一歩として。(千)

 

* 第9回読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。

 

 

著者 マヤ・ルンデ(1975年生)

ノルウェーの作家、テレビ台本作家。児童書・YA作品10作に続く、初の大人向け小説『蜜蜂』がベストセラーに。2017年には2作目の大人向け小説『ブルー(Blå)』(未邦訳)を刊行。夫、3人の子どもとともにオスロに暮らす。

 

訳者 池田真紀子(1966年生)

ジェフリー・ディーヴァーボーン・コレクター』『スティール・キス』、アーネスト・クライン『ゲームウォーズ』、ケイトリン・ドーティ『煙が目にしみる』、アーヴィン・ウェルシュ『T2 トレインスポッティング』、メアリー・ローチ『わたしを宇宙に連れてって』など訳書多数。

 

 

第9回 ノルウェー読書会のお知らせ 『蜜蜂』

9thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第9回ノルウェー読書会は、マヤ・ルンデ 著/池田 真紀子 訳『蜜蜂』(NHK出版、2018)です。

 

世界中から蜜蜂がいなくなってしまう…。そんな近未来から物語が始まります。

 

2098年中国、2007年アメリカ、1852年のイギリスの3つの家族の物語を通して、親子の関係や生命、人類の未来を考えさせます。
小さな蜜蜂から見えてくる大きなテーマ、「人類の危機と希望を描いた予言的小説(本書帯)」です。気候変動の危機が懸念される今だからこそ、ご一緒に読んでみませんか。

 
詳細は下記のチラシをご覧ください。
お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。
※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

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