コラム:“家”を出た女性たち

『市民しんぶん』No655(京都市、1996年11月1日)「心のカギ:シリーズ人権」

「“家”を出た女性たち」

上掛利博(京都府立大学女子短期大学部教授)

 

 「あたしたち結婚して8年になるわね。変じゃない、これが最初だなんて、あたしたち二人、あなたとわたし、夫と妻が、ともに真面目に話し合うのは?」「真面目にって、どういう意味だ?」「8年間、いいえ、もっとよ、知り合ってからあたしたち、真面目なことについて、真面目な言葉を交わしたことは、一度だってなかったわ。……あなたは一度も、あたしをわかってくださらなかった」

 「あたしは、何よりもまず人間よ、あなたと同じくらいにね、……あたしは、もう、世間の人の言うことや、本に書いてあることには信用がおけないの。自分自身でよく考えて、物事をはっきりさせるようにしなくちゃ」

 「お前のためなら、おれは喜んで昼も夜も働くさ、ノーラ、お前のために、悲しみや苦しみに耐えてね。だが、愛するもののためにだって、自分の名誉を犠牲にする者なんかいやしないんだ」「何万、何十万という女はそうしてきたわ」

 「家のことは、みんな、女中たちが知っていますから――あたしよりずっとよく」

                        (イプセン『人形の家』より)

 

 今年の春に、まだ雪と氷におおわれたノルウェーに行ってきた。首都のオスロや中部の古都トロンハイムという都市部での福祉の現状を調査するためと、もう一つ、レクスビクという人口3,500人の小さな町を訪問するためである。レクスビク市は、女性の前市長のもとで1990年に女性委員会を設置し、市の政策を女性の視点から見直すという「女性プロジェクト」を実施した自治体として知られている。

 例えば、老人ホームを建設する際に、重度のお年寄りの部屋には天井にリフトを設置して、ヘルパーが腰痛にならないように工夫したり、高齢者向けのケア付き住宅を建てる計画案には、美容室を設けるように盛り込んでいる。ゴミ処理についても、紙・ガラス・布・その他の4種類に分別して収集するようにしたり、対岸のトロンハイム市にフェリーで働きに行く親たちの通勤時間に合わせて、波止場近くにある小学校の時間延長を決めたりという具合である。

 しかし、最も大きな成果は、女性たちが提起した問題について、「隣人ミーティング」を何度も開いて政策の優先順位を決めるなかで、一人ひとりの住民が変化したことだという。「プロセスこそが大切なのです」と前の市長のインゲビョルグさんは力説した。女性委員会のリーダーを務めたのは女性教頭のマリットさんだが、「一番変わったのは、私の夫なのですよ」とニッコリとやや誇らしげに、現在の市長アイナルさんを紹介してくれた。女性の立場に理解のある男性のことを、彼女は「ソフトマン」と呼んだ。

 『人形の家』が出版されたのは1879年のことだから、120年近く経過している。今、意思決定に関わるようになったノルウェーの女性たちは、「あたしもあなたも生まれ変わって、……あたしたちの共同生活が、真の結婚生活になるようなことになれば」と言い残して家を出たノーラが願った“奇跡”を、自信を持って楽しそうに実現しているように思えた。1970年代に社会進出をして女性も経済的に自立しただけではなく、それと合わせて男性の家事育児への参加を求めることによって。

 

【付記】1994年にノルウェーに在外研究に出かけて、帰国後に、京都市の『市民しんぶん』に寄稿したもの。24年前になります(肩書きは当時、2020年から京都府立大学名誉教授)。ちなみに、日本で『人形の家』が初演されたのは1911(明治44)年のことで、松井須磨子のノラが大きな反響を呼び起こしてから今年(2020年)で110年が経ちます。