コラム:シーモン・フレム・デーヴォル『大人になったら失われてしまうもの』

 『市民しんぶん』No.733(京都市、2003年5月1日)「心のカギ:シリーズ人権」

「血縁を超えた人間関係への着目」

 上掛利博(京都府立大学教授)

 

  ノルウェーの新聞『アフテンポステン』の土曜版に、「何でも話そう」という子どもたちの投書欄がある。1982年からの10年間に寄せられた手紙を編集した本が、昨年夏に翻訳された(シーモン・フレム・デーヴォル『大人になったら失われてしまうもの』青山出版社)。

 7歳のオーラフ君は言う。「僕には得意なことがない。成績も良くない。でも、出来るようになろうとしているんだ。パパは成績が良かったので、お医者さんになりました。パパとママはおこっていると思う。僕を好きだったことは一度もないと思う。僕も何も話さない。オルスンが一番好き。うちの猫」と。

 老編集者のシーモンさんは、小学一年生が自分をダメだと感じ、期待に沿えないから両親に嫌われていると思うというのは、危険がそこまで迫っているのだと警鐘を鳴らしている。

 また、精神病院に何度も入院した経験のある18歳の子が、「子どもに安心を与えるのは、生物学的な家族だけの責任だと思っている人が多い。子どもが家で安らげなければ、いろいろなことが悪くなってしまうのに。/身近な人すべてに何らかの責任があると思う。子どもは傷つきやすい。ちょっと抱きしめたり、時間を作ったり、ほめたり、気持ちよく過ごしたりすることが、どんなに意味を持つか、考えて欲しい。誰かが何かを与えることは、人間としての将来にも決定的な影響を及ぼすはずだ。子どもに必要なものを家族が与えられないなら、誰か他人が与えなくてはならない」と訴えている。

 近所の人、先生、家族の友人、祖母、友人の家族などからの「気にかけているんだよ」という小さなメッセージが人生を救う場合が多いと考えている編者は、「私たちはみな、困っている人を助けられる。自分は専門家ではないからという言い訳をして、責任を放棄することは許されない」と述べている。大人達が人間的なゆとりを持ち難い現代であればこそ、血縁を超えた人間関係の大切さが浮かび上がる。

 1999年の「京都市女性への暴力に関する市民意識調査」によれば、3人に1人の女性がドメスティック・バイオレンスの被害を受けていた。このことは、夫から妻への暴力を目の当たりにしてきた子どもに与える影響にも注目することを、私たちに求めている。「子どもやティーンエイジャーを喧嘩や口論の中で生活させるというのは、それだけで養育放棄なのだ」とするシーモンさんの主張は、効率や成績のみにかたよった評価を重視して、いよいよ一面的になりつつある今日の日本でも説得力があるように思えてならない。

 

【付記】この記事は、京都市(人口146万人、63万世帯)が発行する『市民しんぶん』の「心のカギ:シリーズ人権」のコーナーに掲載されたものです。シーモン・フレム・デーヴォル著、奈良伊久子訳『大人になったら失われてしまうもの~ノルウェーの新聞投書欄に寄せられた手紙~』青山出版社(ネオテリック)、2002年6月、210頁。