書評: 佐伯一麦『マイ シーズンズ』

書評:佐伯一麦(かずみ)著『マイ シーズンズ』

         (幻冬舎、2001年4月、270頁)

 

ノルウェーの刺繍芸術との出会い」

    『協う』第66号、くらしと協同の研究所、2001年8月

      上掛利博(京都府立大学 福祉社会学部  助教授)

 

 この本は、ノルウェーの染織芸術家ビヨルグ・アブラハムセンの作品との出会いをきっかけに、1995年の 4月・6月・10月、96年の2月と、春夏秋冬の4度にわたってノルウェーを訪れて書かれたというユニークな小説です。

 物語は、草木染めの染織家である妻の早紀が、日本で出版されたビヨルグの『布のステンドグラス』(佐野敬彦編、学習研究社、1985年)という画集に感動し、「なんとしてでもあなたの作品の実物が観たいのです」と手紙を書いてノルウェーに送ったけれど彼女はすでに亡くなっており、夫のヘルゲによって未開封のまま返送されてくることから始まります。

 1994年に私は、南ノルウェーの小さな町リレサンで在外研究をしましたが、市役所には町の遠景をデザインした美しい色彩のタペストリーが掛けられてあったし、ホテルや老人ホームなどの公共施設にも、普通の人の家の壁にも素敵に飾られていました。ノルウェーの人たちの、ピンクや紫の色づかいの見事さには、幾度となく唸らされたものです。どうすればこんなセンスが身に付くのか、この本を読み終えて謎が少し解けたようにも思えます。

 旅のガイドブックとは別にこの本を読んだほうが、ノルウェーのことが深くわかる気がします。たとえば、「北欧の人々は、困っている人を見て積極的に『どうしましたか?』と声をかけてくることはめったにありませんが、言葉に出して助けを求めると、とても親身になって受け答えしてくれる...。もし自分の手に終えないときには、必ず別の人を紹介してくれるという律儀さを持っている」という箇所など、私の体験からも頷かされました。同様の指摘は、「ノルウェーでは、学校と仕事を行ったり来たりして学ぶのは普通のことで、子育てを終えた人が大学で学ぶことも多い」とか、「親と成人した子が一緒に住むということはまずない」、「強大な王権を持つ王家がついに発達しなかった」、「明治30年代から昭和6年の鯨油大暴落の時まで、日本における捕鯨砲手はすべてノルウェー人」など多岐にわたります。

 また、「いくら優れた作品でも、刺繍は芸術ではなく手芸にすぎないとする保守的な風潮がまだ強かったが...ビヨルグはそうしたカテゴライズから断固として自由であろうと挑戦した」という叙述にあるように、権威的なもの官僚的なものを否定し、自分らしくあるための自由と独立心を尊重するノルウェー人の人生観が、うまく描かれています。

 

【付記】本稿は、京都にある生活協同組合の研究所の機関誌に掲載したもので、今回の再録にあたり一部手直ししました(肩書きは当時のもの。2020年から京都府立大学名誉教授)。その後、著者の佐伯氏は、1997年に妻の留学に付き添い1年間ノルウェーに滞在した経験をもとにして、10年後に『ノルゲNorge』(講談社、2007年)を出版しています(第60回野間文芸賞を受賞。講談社文芸文庫、2015年)。併せておすすめします。