第9回 『蜜蜂』読書会ノート

第9回ノルウェー読書会

『蜜蜂』マヤ・ルンデ 著/池田真紀子 訳(NHK出版、2018)

第9回読書会では、マヤ・ルンデ著『蜜蜂』(池田真紀子訳)を取り上げました。会場とオンライン、初のハイブリッド開催でしたが、参加申込みが9名と少なかったのは、485ページという本の分厚さのせいでしょうか。それでも、ミツバチから蜂蜜、音楽にノルウェー社会、そして北欧らしさへと議論は広がり、みんなで1冊の本を読むという、読書会の醍醐味を味わえるひとときとなりました。(以下、物語の結末も含みます。未読の方はご注意ください)

 

ミツバチの生態

『蜜蜂』では、1852年のイギリス、2007年のアメリカ、2098年の中国に生きる、ミツバチと関係のある3つの家族の物語が交互に語られます。はじめに、ミツバチの生態を詳しく調べたという人から、ミツバチの生態について本の内容と絡めて説明してもらいました。ミツバチの生産物(蜂蜜や蜜蝋、プロポリスなど)や天敵(クマ、スズメバチ、寄生ダニ、農薬、異常気象、単作農業など)まで、本書で触れられている自然とミツバチの生態は、詳細かつ正確に描かれていることが改めてよくわかりました。

中国のタオは19歳で父親を亡くし、ほどなく母親も急激に衰弱します。肺炎を患った母を訪ねると、すでに高齢者施設に搬送されて、部屋は清掃済み。結局、タオは会えぬまま母親も亡くしました。ミツバチはきれい好きで死ぬときは死骸を見えるところに残さないという描写にどこか重なります。

イギリスのウィリアムの家族はミツバチのコロニーのようです。ウィリアムには7人の娘と一家の希望の星、ひとり息子のエドムンドがいますが、息子には父の仕事を継ぐ気も能力もなく、豊満な肉体で男性を惑わす従妹のアルバータを妊娠させます。アルバータはお産で命を落とし、エドムンドは行方をくらまし、結局、ウィリアムの養蜂研究の右腕、娘のシャーロットが遺児を連れてアメリカに渡り、養蜂を始めます(その子孫が実はアメリカのジョージという仕掛け)。「アルバータエドムンドの行為はまるで分蜂のよう。ふたりは過去と現在の舞台をつなぐ重要な脇役。なんの役に立つかわからない、でもある時点でその役割が見えてくる存在。社会的な昆虫であるミツバチと登場人物を重ねて読むと、一味違う面白さが見えてくる」という感想に一同なるほどと頷きました。

 

過去と現在と未来−−なぜ2098年?

養蜂の歴史を見てみると、過去のイギリス(ウィリアム)と現在のアメリカ(ジョージ)の時代設定には納得がいきます。養蜂に関する三大発明とは、①可動式の巣枠(1851年アメリカで発明)、②営巣の基礎となる巣礎(六角模様をプレスした蜜蝋板、1861年アメリカで完成)、③採蜜のための遠心分離機(1865年、オーストリアで発明)ですが、1850〜60年代は言わば、養蜂界の産業革命期。これが1852年イギリスに暮らすウィリアムの時代背景です。2007年のジョージの背景には、すでに何十年も前に始まっていた「蜂群崩壊症候群」(CCD、突然ミツバチがコロニーごと一斉に姿を消す現象)が2006年にアメリカで大量確認されたという事実があります。これに続く未来、中国(タオ)の2098年という設定はなぜなのか、なにか意味があるのか、ずっと疑問を抱いているという感想が出ました。タオが図書館で見つけた文献には、2000年に始まる異常気象、CCDに続き、2030年には飼料生産が追いつかずに食肉の生産量が減少、やがて人口減少、人類の衰退、食糧争い、2045年には地球上のミツバチが絶滅、とあります。中国が人工受粉の覇者となって40〜50年後、という時代設定です。

時代の描き方についてはほかにも、2007年が舞台のアメリカが、まるで90年代のアメリカのようだ、メガネ姿の日本人という描き方も30年くらい古いのでは?という声もありました。一方で、ノルウェー人作家がアメリカの片田舎、中国の未来を描いているので現実に即してはいないのはありえるのでは、という声も。ノルウェー語の原書では、章タイトル「ウィリアム」「ジョージ」「タオ」のフォントや表記を«William», «GEORGE», «tao» のように変えています。タオの小文字やフォントタイプにどこか、まだ見ぬ時代の遠い世界、SF映画的なものも感じられます。「すでに世紀末を感じながらいまを生きているせいか、未来の部分がすんなりと入ってくる」という感想が印象的でした。

 

『蜜蜂』に見られる北欧らしさ

さて、今回の『蜜蜂』は舞台がノルウェーでないこともあり、北欧とは無関係の物語だという印象も受けます。そこで、この本には「北欧らしさ」は描かれていないのか、参加者のみなさんに問いかけてみました。弱さを見せない完璧な人物や最後まで徹底して嫌な個人が登場しないなど、多面的な人物の描き方にはどこか北欧的なものを感じます。読書会で挙がった、北欧らしさや北欧的な考え方を(逆説的にも)感じさせる部分を、次の3つにまとめてみました。

 

自由

○養蜂家のジョージは分蜂性の高いコロニーの子孫を絶ち、勤勉で集蜜量の多い、生産性の高いコロニーを育てていくことに注力(298ページ)

○「あの人はミツバチを飼い慣らそうと考えている。(中略)リー・シアラに従え。自分の頭で考えるな」(465ページ)

○「ミツバチは好きな場所へ自由に飛んでいける。どこへでも、いくらでも」(478ページ)

○「けれど、ミツバチを飼いならすことはできない。人はミツバチを守り、世話をするだけだ」(479ページ)

 

社会と個人

○中国の管理社会と人工授粉 → 社会と個人のどちらに重点をおくのか、ということを考えさせる

○「ただし、自分が育てるこどものためだけに持ち帰るのではない。どのミツバチも全体のために、全員のために、彼らが一体となって構成する大きな有機体のために、働く」(479ページ)

○「人は支配権を手放し、森は自由に領土を広げる」(481ページ)

○「わたしがそれを大きな文脈に置き、同じ夢が世界のすべての人に当てはまることに気づけずにいるかぎり、何の意味もない」(482ページ)→ 世界中の人が同じ夢をみれば、団結につながっていく

 

希望

○最終章、咲き乱れる花とミツバチの復活 → モノカルチャーからの転換

○中国の指導者が心を動かされ、変化する場面

○チャーハンの少年と父親を連れて帰るタオ → 自分の子どもでない者を育てていくことに意味

○父親がだめになる瞬間に農場に戻ってくる養蜂家ジョージの息子トム

○「人々を団結に導く心の光−−希望」(482ページ)→ 人の力が及ばないという悲観的なラストでも、スーパーヒーローが登場するのでもない結末こそがノルウェーらしい

 

環境問題の危機意識

ミツバチが受粉しなければ多くの果実や野菜は生らず、人間は生きていけないという事実は、日本の日常生活で意識されていることでしょうか。『蜜蜂』は2015年ノルウェーで刊行されると、その年の本屋大賞を受賞、ドイツでは2017年総合No.1 ベストセラーとなりました。ノルウェー社会に与えた影響は大きく、ノルウェーの6人ボーカルアンサンブルNordic Voices(ノルディック・ヴォイセズ)は2017年にBee Madrigal(ミツバチのマドリガル[=愛の歌])という6曲からなるCDを発表しました。歌詞の少ない象徴的な合唱曲ですが、内容はまさに『蜜蜂』の描く世界。「いまちゃんと考えないと私たちの地球は生き物が住めなくなってしまう」と訴えます。合唱曲としては決してうけるスタイルのものではないそうですが、売れる、売れないという問題ではなく、「どうしてもいま、この曲を歌わなくてはならない」と音楽家たちを突き動かすものがあったのだ、ということです。個人的にノルウェー人のSNSから、ホビーとして養蜂が流行っている印象を受けていますが、これも本書の影響でしょうか。日本でも環境問題を考えるひとつの手段として養蜂が行なわれている話をあちこちで耳にしますが、それもまだまだ一部でのこと。ノルウェーでは音楽家をはじめ、社会で共有されている危機意識なのだということを再認識しました。

 

「フィクションのような、ノンフィクションのような」

冒頭で「フィクションのような、ノンフィクションのような物語」という感想がありました。近年、ノルウェー文学のなかでもこの『蜜蜂』のような、フィクションとノンフィクションが混ざったような優れた作品が何冊も邦訳されている気がします。2021年12月に開催された「ノルウェー文学セミナー」(ノルウェー大使館主催)でも、ノルウェー文学海外普及協会(NORLA)が日本向けに紹介した新刊に、鮭の本、カラスの本、小道を辿る本などのノンフィクション作品があり、NORLAでも日本人好みと認識されているのかしら、と思いました。スウェーデン文学に詳しい人によれば、スウェーデンでもルポルタージュものは好まれており、とくに1960〜70年代は、国内外の社会問題をまさにフィクション、ノンフィクションの境目で書く作家が多かったそう。北欧には、作家が(ひいては読者も)社会のことに目を向けるという共通の姿勢が土壌としてあるのを感じる、ということでした。これを受けて「北欧って、社会ということばのなかに地球の視点が入っている感じがする。人間中心じゃなく、地球全体のことを考えようよ、と。社会の先には地球、もっと大きなものがあることをいつも感じさせられる」という感想が最後にありました。

ノルウェーでは、スーパーで缶入りの国産蜂蜜が手軽に買えます。まわりには蜂蜜を紅茶に入れる人がよくいました。今回の読書会では、屋上で養蜂をしている都内の大学のカフェで、超地産の蜂蜜ドリンクを飲みながらこの『蜜蜂』を読んだという人がいたり、蜂蜜は口内炎に塗っても効くし、毎日少しずつ摂取することで免疫力アップにもつながるということを教えてもらったりしました。手元にある原書は、ノルウェー人の友人からの贈り物です。真っ黄色の表紙を開くと、「私は本が好き。そしてリサイクルが好き。だから古本を贈られるのを侮辱と取らないで」と書き添えられています。国産蜂蜜を摂りながら身近な自然環境について考えること、読み終えた本を贈る習慣、真似てみませんか。2098年に至らぬよう、ほんの小さな一歩として。(千)

 

* 第9回読書会は、ノルウェー大使館の助成を受けて開催されました。

 

 

著者 マヤ・ルンデ(1975年生)

ノルウェーの作家、テレビ台本作家。児童書・YA作品10作に続く、初の大人向け小説『蜜蜂』がベストセラーに。2017年には2作目の大人向け小説『ブルー(Blå)』(未邦訳)を刊行。夫、3人の子どもとともにオスロに暮らす。

 

訳者 池田真紀子(1966年生)

ジェフリー・ディーヴァーボーン・コレクター』『スティール・キス』、アーネスト・クライン『ゲームウォーズ』、ケイトリン・ドーティ『煙が目にしみる』、アーヴィン・ウェルシュ『T2 トレインスポッティング』、メアリー・ローチ『わたしを宇宙に連れてって』など訳書多数。

 

 

第9回 ノルウェー読書会のお知らせ 『蜜蜂』

9thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第9回ノルウェー読書会は、マヤ・ルンデ 著/池田 真紀子 訳『蜜蜂』(NHK出版、2018)です。

 

世界中から蜜蜂がいなくなってしまう…。そんな近未来から物語が始まります。

 

2098年中国、2007年アメリカ、1852年のイギリスの3つの家族の物語を通して、親子の関係や生命、人類の未来を考えさせます。
小さな蜜蜂から見えてくる大きなテーマ、「人類の危機と希望を描いた予言的小説(本書帯)」です。気候変動の危機が懸念される今だからこそ、ご一緒に読んでみませんか。

 
詳細は下記のチラシをご覧ください。
お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。
※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

f:id:norwaybooks:20211109075040j:plain

f:id:norwaybooks:20211109075058j:plain

 

第8回 『北欧神話』読書会ノート

第8回ノルウェー読書会

北欧神話』P.コラム 作/尾崎義 訳(岩波少年文庫、1996)

 

「読書会」というものに初めて参加されるという方、昨年までノルウェーで1年間生活していたという方、北欧神話の知識をお持ちの方、スウェーデンデンマークアイスランドなど北欧諸国に関心がある方など、今回も福島、千葉、東京、滋賀、京都、大阪などからお集まりいただき、オンラインで自由に語り合いました。

 

北欧神話の神々の中で人気が高いのは、雷の神トールや神々の父オージンで、良いことも悪いこともする神ローキは、男性目線で見ても「たちの悪いワルさをする輩」だという感想がある一方、とは言いつつ物語の展開から言えば、ずる賢くてぬけめのない、トラブルメーカーのローキがいなければ話は進まず、物語にとっては重要な役目ではないかという意見にみなさん頷いていらっしゃいました。

 

最近出産したノルウェーの友人がお子さんにつけたイズーナという名前は、女神イズーナからいているという話に、他の参加者からも友人に男性の神トールやエーギル、フレイ、女性の神フレイヤの名前をよく聞いたとか、某国産車メーカーが出した車の名前が「ト―ル」だったので営業担当者に命名の由来を確認したところ知らなかったので、逆にトールの名前の説明をしましたという実体験も紹介されました。個人名に加えて映画やアニメのキャラクターにも神々の名前が使われるという話からは、ノルウェーのチョコレートの「フレイヤ」、検索サイトやチーズの商品名、スウェーデンノルウェーの地名などの例が次々にあげられ、北欧の人たちにとって神話は昔の物語ではなく、現在の生活文化の中にしっかりと根付いているのだと気づかされる機会にもなりました。

 

北欧神話は9世紀に古ノルド語で口承歌謡をまとめた『エッダ』と、13世紀に詩人スノッリ・ストゥルルソン(1178-1241)によって編纂された『スノッリのエッダ』が元になっています。古代ギリシア・ローマの神々と異なり北欧の神々に関する図像的資料は乏しく、その他の新資料もないため、北欧神話をたどる手掛かりはこの2点に限られるそうです。北欧神話に詳しい参加者から、本書パードリック・コラム(1881-1972)の『北欧神話』(1920年)はこれらふたつの『エッダ』の要素を残しつつ改変されている場面もあるという指摘がありました。例えば本書の第一話は神話全体の悲劇性を感じさせる世界の滅亡から始まっていますが、『エッダ』の構成はそうではないこと、また、物語終盤の神々と巨人族の戦いに至る直前にローキが魔女にあやつられる箇所は、『エッダ』では魔女の心臓を食べたローキが魑魅魍魎を生むという別の物語であることなどです。さらに、スノッリ自身はキリスト教徒だったという紹介もあり、全ての物が滅亡した後に再生される「意思」と「神聖」が支配する世界の出現は、もしかするとスノッリがキリスト教徒だった影響とも考えられるという話でした。今回取り上げたP.コラムの『北欧神話』はふたつの『エッダ』を正確になぞるものではないですが、本書のドラマチックな物語展開によって、神話の断片的なイメージがつながり、改めて全体を理解することができ、読みやすい本だったというのが、一致する感想です。

 

太陽や月を追いかけるオオカミや、女神が乗る車を二匹のネコがひっぱったり、世界の下でとぐろを巻くヘビがいたりと、想像を超えた大きさの動物たちが活躍し、自然や動物を身近に感じて受け入れる北欧のおおらかさ、スケールの大きさが印象に残ったという感想もありました。学生時代に北欧神話を古アイスランド語でじっくり読む授業があり、社会に出ても役に立たないなと思いつつ、ただただ面白かったという経験を話された方もありました。北欧文学を学ぶ人のなかには、馬や巨人に注目する人もいるとのこと。様々な視点から入っていける間口の広さも神話のよい点かもしれません。

 

近代ヨーロッパでは、都市文明的世界を代表する先進国フランスに対して、「遅れてきた」近代ドイツが北欧神話を「ゲルマン神話」としてドイツ精神のよりどころにしたという紹介がありました。一方で、19世紀の現代北欧では、大国が弱くなった時、自分たちにはコレがある!と北欧神話を掘り起こし、人間臭い神々たちを自分たちのアイデンティティとすることで北欧の人たちの活力につながったではないかという意見もありました。私たちが北欧諸国から受ける印象は平等な社会や寛容な人間性ですが、13 世紀に『スノッリのエッダ』が編まれた当時は必ずしもそうではなかったと言えます。北欧の人たちの平等で寛容な国民性が注目される今だからこそ、私たちは彼らのイメージを神話に投影して読んでいる部分もあるかもしれません。

 

神話に出てくる神々は清濁あわせもった妙に人間臭い存在であり、神様なのに滅亡してしまいます。人間臭いとは、言葉を替えれば人間社会そのものが投影されているともいえます。神々の欲望が、やがて世界を終末に導いていく姿は、今現在、世界が直面しているパンデミックを思わせるとの意見もありました。

 

これまで、何らかの形で北欧に接してきても、なかなか「北欧神話」に向かい合う機会がなかったのですが、今回の読書会はよいきっかけになった、もっと、早く読むべきだったという声もきかれました。参加者の意見から、神話を通して、知識や知恵、なにより言葉の大切さに気付かされましたが、それはどの文化にも共通して言えることでしょう。民話や文学や哲学、オペラ、映画やアニメに至るまで、北欧文化全般に大きな影響を残した源となる作品に触れた読書会となりました。今回もご参加いただいたみなさま、目から鱗のご教示を頂いたみなさまに感謝します。(弘)

 

作者紹介】パードリック・コラム(1881-1972)

アイルランドの詩人・劇作家。イェーツなどとともにアイルランド新劇運動に参加し、1914年にアメリカに移住した。数多くの詩・戯曲を残しているが、神話や伝説を子どものために再話する仕事にも情熱を注いだ。

 

【訳者紹介】尾崎 義(1903-1969)

リンドグレーン作品集」のうち、6冊を訳している(『名探偵カッレくん』シリーズ、『さすらいの孤児ラスムス』他)。著書に、『スウェーデン語辞典』(共著)、『フィンランド語四週間』など。

※作者・訳者紹介は本書より抜粋

 

f:id:norwaybooks:20210908070347j:plain

f:id:norwaybooks:20210908070406j:plain

 

第8回 ノルウェー読書会のお知らせ 『北欧神話』

8thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第8回ノルウェー読書会は、P.コラム 作/尾崎 義 訳『北欧神話』(岩波少年文庫、2019)です。

 

太陽と月はオオカミに食べられてしまい、神様と人間は巨人族と戦い、世界はみんな燃えてなくなってしまった……北欧神話は私たちを、神と人間と自然が織りなす想像力豊かな物語に誘います。神の国アースガルドの個性的な神々も魅力的です。


北欧神話ゲルマン神話ともいわれ、言語的に英語やドイツ語にも影響を与え、
遠く離れた神話の世界のお話は、美術や音楽、文学のモチーフにもなってきました。
意外と私たちの近くにまでつながる北欧神話。この機会に読んでみませんか。

 

詳細は下記のチラシをご覧ください。
お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。
※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

f:id:norwaybooks:20210809230640j:plain

 

f:id:norwaybooks:20210809230931j:plain



第7回 『小さなスプーンおばさん』読書会ノート

第7回ノルウェー読書会『小さなスプーンおばさん

アルフ・プリョイセン作、大塚勇三訳、学研、1966年)

 

 

ある朝目覚めたら、自分の身体がスプーンくらいに小さくなっていた! 普通ならパニックで大騒ぎしそうなところですが、おばさんが最初につぶやいたのはこの言葉、「なるほど。スプーンみたいに小さくなっちゃったんなら、それでうまくいくようにやらなきゃならないわね」でした。

物語の冒頭(最初のベージ、最初の段落の数行目)、主人公の最初のセリフに読者の心はわしづかみにされ、後はもう、この不思議な「スプーンおばさん」の世界にぐいぐい引き込まれていくのです。

 

日本では1966年に出版された後、1983年にNHKのアニメで放映されたこともあり、私たちには馴染みのあるノルウェーの児童文学です。読書会開催告知の後、あっという間に定員いっぱいになったのも、「スプーンおばさん」の人気のお陰でしょう。コロナウィルスの感染対策のため、今回もオンラインのみの開催となりましたが、ノルウェー在住の方をはじめ、福島県から沖縄県まで、地域も年齢も様々な「スプーンおばさん」好きのみなさんにご参加いただきました。

 

アニメの前向きな歌詞が大好きだった、ビョ―ルン・ベルイの挿絵とお話が最高によく合っている、おじさんのことを「ごていしゅ」と言う言葉の響きに惹かれ、小学校4年の時に「ごていしゅ」が登場する創作作文まで書いたなど、「スプーンおばさん」との思い出はみなさん色々です。

 

ノルウェーでは絵本や物語におばさん、スウェーデンはおじさんがよく出てくるらしい」という話を皮切りに、「ノルウェーでは女性がどんな格好をしていようと何歳だろうと、生き生き元気にしていることが、いい社会の条件」、「この本が出版された当時は、まだ専業主婦が多い時代だが、かといっておじさんはひどい亭主でも高圧的な男でもなく、おばさんがいなくなると心配で探し回る、実はおじさんはおばさんが一番大事なんだと思う」、「ノルウェー語の“kjerringa miシャーリンガ・ミ(わたしのおばさん)“には日本の”愚妻“と似たニュアンスがあるが、これは愛情をこめて妻を呼ぶ時に使う言葉」、「小さくなって一大事なのに一番最初にすることが家事だったり、子ネコを見つける大冒険のあとに、おじさんのお昼を作らなきゃならないと言ったり。なのに、男女不平等というまでの深刻さがないのが不思議」など、スプーンおばさんとおじさんの夫婦関係についての話題がひとしきりありました。

 

また、翻訳についても原文の「blåbær(ブルーべり)」は、1966年当時の日本人には馴染みがなかっただろうから、イメージしやすい「コケモモ」と訳されているのではないか、「ja」を「なるほど」、「jeg」は「わたし、あたし」など状況に合わせた訳語が付けられていることを原書に照らしあわせて確認しつつ、大塚勇三氏の訳が江戸弁や山の手言葉を反映している点についても、参加者から、趣味の落語や文楽など大塚氏の頭の中にある豊富な「昔の言葉の図書館」が翻訳に生かされているのだろうとのコメントがありました。

 

さて、夏のベリー摘みはノルウェー人にとって一大イベント。「今年は60キロとったわよ!」とか、元気なおばさんたちが大活躍します。夏のベリーは大切に保存され、冬には最高のおもてなしになるそうです。本の中にも出てくる30枚のパンケーキも日常のことです。保育園でも山のように積み重ねられたパンケーキに何をつけて食べるかが子どもたちの楽しみなのだとか。「この本に描かれているのはノルウェーのごく普通の日常」という参加者の感想が、本を読んだ誰もが感じる不思議な安堵感に通じます。

 

とはいえ、ある朝突然小さくなっちゃうのは普通のことではありません。『ガリバー旅行記』(1726年)、『不思議の国のアリス』(1856年)、『ニルスの不思議な旅』(1906年)など、主人公の身体の大きさが変わる/変わったように感じられる物語が『スプーンおばさん』に与えた影響にも話が及び、「小さくなったおばさんは弱者。多様な視点から物事を見直すことを教えているのではないか」など、コロナ禍で社会のひずみが見える時代だからこその、考えさせられる意見もありました。

 

ノルウェーではクリスマス前後にラジオでよく流されるという、作者プリョイセンの作曲の歌を聴いたり、みなさんのお話が盛り上がったこともあり、休憩なし、2時間ノンストップの読書会があっという間に終わりました。参加者の言葉を借りれば、「男性のツボにはちょっとはまりにくい本ですが、誰かをこてんぱんにやっつけたり傷つけたりするのではなく、色んな視点、人や動物、自然も関わって助けあい、ちょっと落語風のオチもある。これからの子どもにも読んでほしい」そんな、素敵な物語でした。(弘)

 

  -------------------------------------------------------------------------------------------------

【作者紹介】アルフ・プリョイセン(1914-1970)

ノルウェーの作家、詩人、シンガーソングライター。貧しい家に生まれたため学校には通えず、農場で雇われて働くなどして成人したが、豊かな想像力を詩や文章で表現し、また、歌手としての才能にも恵まれた。

 

【訳者紹介】大塚 勇三(1921-2018)

児童文学者、翻訳家。旧満洲生まれ。東京帝国大学卒。1957-1966年平凡社勤務ののち、米・英・独・北欧の児童文学の翻訳に携わる。リンドグレーン、プリョイセンなどの翻訳を多く手掛ける。

 

【挿絵紹介】ビョールン・ベルイ(1923-2008)

スウェーデンの画家、イラストレーター。プリョイセンのスプーンおばさんシリーズや、リンドグレーンのエーミルくんシリーズの挿絵画家として、国際的に知られる。

 

f:id:norwaybooks:20210529232552j:plain

 

第7回 ノルウェー読書会のお知らせ 『小さなスプーンおばさん』

定員に達しましたので、受付を終了しました

 

7thノルウェー読書会のお知らせです。

 

第7回ノルウェー読書会は、アルフ・プリョイセン 作/大塚 勇三 訳『小さなスプーンおばさん』(学研、1996)です。

 

ある朝、目が覚めたらティースプーンくらいの大きさになってしまったおばさん。 

カラスの女王様になったり、子ねずみと自転車で遊んだり、たくましくて愉快で、素

敵なスプーンおばさんのお話です。

 

世界18言語に翻訳された人気シリーズ。日本では1983年にアニメ化され、NHK総合

レビで10分間(全130話)の番組として1年間放映されました。

 

一話読むごとに、豊かな自然のなかで人と動物たちが一緒に暮らす、ノルウェー

ゆったりとした時間に包み込まれます。初めての方も大歓迎です!

 

定員に達しましたので、受付を終了しました

詳細は下記のチラシをご覧ください。

お申込みはノルウェー読書会 norwaybooks@gmail.com まで。

※メールアドレス、氏名(ふりがな)を明記してください。

ご参加をお待ちしています。

 

f:id:norwaybooks:20210529232552j:plain

f:id:norwaybooks:20210529232645j:plain


 

 

 

第6回 『ペール・ギュント』読書会ノート

                    2021年3月27日(土)14:00~16:15

                            オンライン開催、参加者11名

 

    第6回ノルウェー読書会 ペール・ギュント

    ヘンリック・イプセン作、毛利三彌訳(論創社、2006年)

 

前半では、オンライン読書会のメリットを活かして、イプセンが友人の作曲家グリーグに依頼した上演のための付帯音楽『ペール・ギュント』(独唱あり、合唱ありのスケールの大きな管弦楽;1876年)を聴きながら、井上勢津さん(ノルウェー政府認定音楽療法士)が、1幕から5幕までの劇詩の流れにそって構成を丁寧に紹介し、曲の持っている意味、使われている楽器の特性(ハーディングフェーレの共鳴弦が調弦できる)など、音楽家ならではの解説がありました。以下、後半のやりとりの中で出された意見を紹介します。

 

ペール・ギュント』が詩として書かれているので、韻などもあって翻訳するのは難しい面があること、また、音楽としてみると『ペール・ギュント』は面白いこと、例えば、第2幕7場、闇の中でペールが「おまえは誰だ?」と問うて「声」が「おのれ自ら」「くねくね入道」と答えるシーン(38頁)では、トロンボーンが「声」を合図するというように、楽器との関連がみられるところなど。

 

民話や民俗音楽の要素が取り入れられて、ロマンティシズムが漂う作品になっているが、実は第二次シュレスウィヒ・ホルスタイン戦争(1864年~対プロイセンオーストリア)でデンマークを支持しようとしないノルウェーを、イプセンは口先だけの卑怯な国として、ペールを「いざとなると逃げてしまう情けない人間」として描いている。そうした人間さえも、ソールヴェイによって救われるのがこの作品。

 

第2幕6場のトロルの国ドヴレ王とペールとの会話で、王は、照り輝く大空の下では「人間よ、おのれ自らに徹せよ!」と言うが、われらトロルの間では「トロルよ、おのれ自らに満足せよ!」と言うとして、「“満足なれ”。この力強い言葉を、倅や、生涯の武器となせ!」(32頁)と呼びかける。そして、王の「このお菓子は牝牛の糞、このお茶は牡牛の小便、甘いか酸っぱいかは問題ではない。肝心なのはすべて国産品ということ」に対して、ペールは「国産品なんて糞くらえ!どうせどっかの真似だろう!…人間万事、慣れの世の中」(32頁)と返す。ここのところの“満足せよ”・“慣れ”という箇所が、イプセンがこの戦争で感じたノルウェー人の自分さえ良ければいいという自己中心的な性格を風刺しているのでは?

 

例えば、第4幕13場の「おのれ自らに徹して、…他人の悲しみに涙を流したりしない。他人のことを理解しようともしない。おのれ自ら、考えることも言うことも」(86頁)の箇所なども痛烈だ。

 

さらには、事業に成功したペールが知人たちとの会食の席で「行動する勇気を持つためのコツとはそも何か?…いつでも引き退ることができるように常にうしろに橋を作っておくこと。この理論がわが輩に成功をもたらした。…この理論は故郷の国民性から受け継いでいる」(58頁)という箇所も。また、「生まれはノルウェー人。しかし、育ちはコスモポリタン。…アメリカからは資本主義、ドイツからは観念…ユダヤ人の吝嗇、イタリアからは甘い生活…」(60頁)など。そして、「問題は資本だ!…世界中の資本家に…投資をつのる」(69~70頁)という箇所では、「お金」ではなく「資本」という言葉が使われている。ちなみに、マルクス資本論』第1巻が出版されたのも、『ペール・ギュント』と同じ1867年。

 

なお、「最低のヤンキーかぶれ」(62頁)の「ヤンキー」という用語は、イプセンの原著にもあり、日本では1904年に初めて使われている(日本国語大辞典)ことを確認するなど、物語だけではなく翻訳された単語にも話題が広がった。

 

「いまどきこんな立派なおっ母は、どこの村探したっていやしねえ」と言いつつ、「折檻したり、歌うたったり。礼をいうよ」(53頁)の箇所で、「折檻」という強い語気の単語は、ノルウェー語ではお尻ペンペンしつつ子守歌を歌うほどの意味合いか? というように謎が解けたのも、参加者が原文に当たったりノルウェー語の辞書を引いたりした成果である。

 

第4幕6場で、アニトラがペールについて、「彼の人の乗り物は、ミルク河のように白いお馬」(71頁)と言っているところで、“ミルクのように白い“という表現は性的なものをイメージさせる。第6~8場(70~78頁)では、そうした性的なものを感じさせる表現が続いている。

 

ペールを30年も待ち続けたソールヴェイは、ただ優しいだけの人間ではなく、信仰の中にある神聖な愛を秘めた強い人間ではなかったか? 「ソールヴェイの歌」を歌うときには、“決然として”歌わないと最後まで歌が続かない。やはり信仰を持つ強い女性ではないか!

 

物語の結末でペールは安息の眠り(=死)についたのか? それとも、ペールは快復して物語は続き、ソールヴェイはペールを「許す」というより「受け入れ」、尻に敷いたのではないか? 「おっ母、女房、けがれのない女―!」(121頁)の解釈を巡っても、一人の女性のなかの3側面か? それとも物語全体で、無償の愛・信仰の女(ペールの母オーセ、最後までペールを待つソールヴェイ)、家族という社会的責任を持つ女(ドヴレ王の娘、結婚式で略奪されたイングリ)、欲望の対象(山の女、アニトラ)を描き分けたのか? をめぐって意見が噴出した。


「おまえをあやし、見守ってあげる」(121頁)という結末は、男のエゴイズムをあらわす侮辱的な女性像としてのソールヴェイというカミラ・コレットの批判(訳者あとがき、124頁)の妥当性は? なお、近年の上演では、「自分探し」がテーマになっていることが多い。

 

以上、論点は多岐にわたりました。「このとっちらかった物語に、まとまりのある音楽を付けたグリーグはすごい!」との声もあり、今回の読書会はまとまらないということで、楽しい時間を終えました。また、今回は、早朝6時起きでノルウェーからの参加もありました。(掛)

 

【参考】「劇音楽《ペールギュント》全曲」は、下記のCDで入手することができる。

グリーグ管弦楽曲全集」オーレ・クリスティアン・ルード指揮、ベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団、Bis:7318591440421(8枚組)

グリーグ「劇音楽《ペール・ギュント》全曲」パーヴォ・ヤルヴィ指揮、エーテボリ交響楽団、Dg:4775433(2枚組)

グリーグ「劇音楽《ペール・ギュント》全曲」ヘリムート・フロシャウアー指揮、ケルンWDR放送管弦楽団、Capriccio:C60110(2枚組)                                                                                                                           

 【作者紹介】ヘンリック・イプセン

1828年生、1906年没。ノルウェーの劇作家。近代劇の父と呼ばれる。前期の二大劇詩『ブラン』『ペール・ギュント』で北欧随一の詩人とされたが、その後の社会問題劇『人形の家』『ゆうれい』『人民の敵』で世界的な作家となる。つづいて『野がも』『ロスメルスホルム』『海の夫人』『ヘッダ・ガブラー』で、近代リアリズム劇の基盤を確立し、晩年は、『棟梁ソルネス』『小さなエイヨルフ』など、象徴性を帯びた作品を書いた。<奥付より>

 

【訳者紹介】毛利 三彌(もうり みつや)

1937年生。成城大学名誉教授。東京大学文学部卒業、カリフォルニア大学大学院演劇科修士課程修了。ノルウェー学士院会員。日本演劇学会会長(1996~2005年)。著書に『イプセンの劇的否定性―前期作品の研究』(白鳳社、1977年)、『北欧演劇論』(東海大学出版会、1980年)、『イプセン戯曲選集―現代劇全作品』(東海大学出版会、1997年)など。